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3・閉ざされた離宮

 その日から、誰もがアデリアを無視した。どんなに泣いても懇願しても、アデリアはそこにいないものとして皆は振る舞った。幼い王女は自分で身支度ひとつした事がない。誰にも構ってもらえずに、日ごとに汚れ、痩せ細り、弱っていった。


「女官長……、お願い、アデリアを見て。話しかけて。私はここにいるよ……」


 幼い姫の縋る手を、女官長は心を鬼にして、何か引っかかったようだわ、と呟きながら払う。王妃の冷酷さを知った人々は、情けをかければ、自分の首が危ないと解ってしまったのだ。


「アデリアを見て……おねがい……」


 厨房で盗み食いをする事は誰も咎めなかった。おかしいわね、鼠がいるのかしら。蹲ってパンを囓る本人を目の前に、女官たちは囁き合う。このおかげでアデリアは生きる事は出来た。だが、幽鬼のように痩せ細って、すすり泣きながら離宮の廊下を彷徨う日々が続いた。すれ違っても誰も目を合わせない。ただの悪戯だったのに、アデリアの存在は義母によって抹殺されてしまったのだ。

 やがてアデリアは何もかも諦めて、誰にも近づかなくなった。一日中、自分の寝台にもぐったまま、厨房にも現れなくなった。弱って死んでしまうのは時間の問題だと、誰にもみてとれた。この様子を聞いた王妃は、そろそろ離宮は閉じてしまいましょう、と言った。誰も入れないよう、誰も出られないように。あの子の魂が静かに安らげるように。


 寝台でうとうとしていたアデリアは、いつもと違う物音がしているのに気づき、二日ぶりに廊下に出た。誰もいない。音は正門の方からしている。


「どうしたの、みんなどこへ行ったの?」


 アデリアは残った力をふり絞って表に見に行った。女官たちは全て荷物を引き払い、散っていこうとしている。そして外から頑丈な閂がかけられて、おまけに兵士がその閂が二度と開かないよう、熱した鉛を流し込んで封印しようとしているところだった。


「アデリアをひとりにしないで!」


 思わずアデリアは泣き叫びながら門にとりついた。だが兵士は何も聞こえないような振る舞いで作業を続ける。か細い泣き声に、最後までその場に残っていた女官長は目頭を押さえ、呟いた。


「どうか安らかにお眠り下さいませ、死ら雪姫さま」


 塀の上には茨が伸び茂っている。ひとりきりで取り残された幼女が出られるような隙間もない。門のところで聞こえていた啜り泣きもやがて途絶えて、小さな骸が門に縋るかたちで雨に打たれている様を、宮殿勤めに戻った女官長は想像した。そんな矢先、女官長は急死した。夜に、宮殿の裏の泉に足を滑らせて落ちて。元離宮勤めだった女官たちは秘かに囁き合った。死ら雪姫さまの呪いだと。

 そして、誰もいない筈の離宮からは時々、叫び声が聞こえてくる、と近隣の住民から噂されるようになった。




 大人達が無情に去ってしまった後、痩せ細った娘はひとり、封じられた門の内側に取り残された。今までは、どれだけ無視をされていても、そこには何人もの人がいて、生活をしていた。だが、今はもう誰もいない。厩の馬たちも、裏庭で飼われていた鶏も、全て連れて行かれてしまった。アデリアが啜り泣く声を除けば、そこには生の気配は絶えて無く、ひゅうと冷たい風がアデリアの素足に吹き付ける音だけが耳に残った。外側から完全に閉じられてしまった離宮の中で、子どもがたった一人で生きてゆく術などありはしない。厨房には何か残っているかも知れないが、やがて尽きる。これから冬を迎えようという時に、菜園にも満足なものはないし、あったとしてもアデリアは調理する事も知らなかった。残されたのは井戸水くらい……。

 燭台も全て持ち出され、真っ暗になった建物の中にひとり戻ってゆくのが怖かった。でも、寒くて寒くて、これ以上ここにいたら今夜死んでしまう事が子ども心にも理解出来た。今夜死ななくても、明日は死ぬかもしれない。明日死ななくても、数日のうちには死んでしまうだろう。でも、死ぬのは怖いからそれを少しでも先にしたい、という思いが、彼女の細い足を立ち上がらせ、寒さを凌ぐ為に建物に戻らせた。


「おとうさま……」


 アデリアは泣きながら、世の中で一番会いたい人を呼んだ。たくさんの愛情、たくさんのお菓子、たくさんのドレスをくれて、小さかったアデリアを笑顔で抱き上げて頬ずりしてくれたお父さま。そのお父さまが、自分のした小さな悪戯を懲らしめる為に、自分をここに閉じ込めて、たった一人で死なせようとしている。だってお父さまはこの国で一番偉い人だから、ここでアデリアが一人きりで呼んでいる事を知らない訳はない。アデリアはそんな風に理解していた。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 生きたい。そしてもう一度おとうさまに会ってお詫びを言いたい。そんな願いに突き動かされてアデリアはよろよろと厨房へ行って、テーブルの隅に転がっていたかちかちのパンを齧った。


「うう、うぇぇっ……」


 ここ何日か、食べる事を忘れていたアデリアの胃は、それを受け付けなかった。涙と胃液に吐き出したパンが混ざりながら床に染みを作る。昔だったら、病気で吐き戻したりしたならば、すぐに女官たちが暖かい部屋のふかふかのベッドへ連れて行ってくれたのに。そうだ、おとうさまと結婚する前のお母さまは優しかった。熱が出た時に、枕元で子守歌を歌ってくれたっけ。あれは……どんな歌だったっけ……。

 寒さに震えながらアデリアは自分の寝台へ戻った。火の焚かれていない暖炉に薄い布団。横たわった時、アデリアは、もうこのまま自分はここから起き上がる事は出来ないと悟った。


 その夜、初雪が降った。かつて『白雪のように美しい』と讃えられた姫の小さな身体は、真っ暗闇の離宮の一部屋で静かに体温を奪われていった。

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