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永遠の挑戦者

干州で暴れ回る高越をはじめとした反乱軍。

これを押さえるため、泊雷たち稜明の兵たちは干州各地に散っていた。

戦況を維持するため玖周に駐屯する泊雷だが、そんな彼の元に思いがけない訪問者がやってきた。

「お前……! 悠舜っ! 今、なんて言ったっ……!?」


 数多くの中小部隊の隊長が顔を合わせている天幕内。

 一際年若い隊長が素っ頓狂な声を上げる。目を丸めて、まるで物怖じした様子も無く、この軍をまとめている若手の将へと乱暴な言葉を吐いた。


「姫が唐林を発ったそうですよ?」

「……ここに来るのか」

「はい。俺の代わりにこの軍を率いて下さる様ですよ」


 対する将は、まるで女性のような顔で、柔和に笑って見せて話を続ける。


「泊雷、随分久しぶりだそうですね?」




 ***




 少年隊長は悩んでいた。

 彼らしくもなく、頭を抱えていた。

 干州の西側を平定するために集められた中小隊の中でも圧倒的に年若い彼――泊雷は、未だかつて無い少年らしい悩みを前に、どうして良いか分からずに悶々としていた。


「はぁ……」


 駐屯しているこの陣には、幾つかの天幕が張られており、夜の間は少しだけ安穏とした空気が流れる。

 ここいらで暴れ回っている高越軍の夜襲もないし、軍議も一通り落ちついた今。なんとなく一人になりたくて、泊雷は陣から少しだけ離れた草原に寝っ転がっていた。

 空には無数の星がまばらに輝いており、明日もきっと晴れるであろうことが予想される。絶好の戦日和である。



 ひらいた手の平を空に掲げた。

 ずっと遠くに瞬く星を掴めそうな気がして、ぎゅっと握りしめる。

 幼い頃から届かなくて、届かなくて――悔しくて、なんとなく距離を置いて――でもいつか、掴み取りたいと心に決めていたもの。


 李稜花。

 彼女と会うのは、もう、何年ぶりだろうか。


 昨年の冬、彼女が初陣に出たと聞いて、慌てて自分も後を追った。成人するなり、すぐさま戦場に出て――幼い頃から父なり兄たちなりに鍛えられてきたからこそ、それなりの武功を手にすることも出来た。

 しかし、どんなにせこせこと武功を稼いだとしても、この心の溝は埋められないのだ。だって泊雷が手に入れたいのは、敵を打ち破ったという小さな栄誉などではないのだから。



 再び大の字に寝っ転がって、ぼんやりとする。

 ふと気がつくと、全身に力が入ってしまうようだ。武者震いすらしてしまうが、彼女と出会う前からこんな事では困る。妙に緊張しているととられるのも癪に障るし、はてさて、どんな顔をして彼女と会っていいやら分からない。ただ妙に胸騒ぎがして、不安と同じくらい、期待するようなこそばゆい気持ちがあるのは事実だ。


 なんと言ってやろうか。

 流石に身体も大きくなったし、昔のようにガキ扱いされることもないだろうし――。


 そう思っていると、遠くから馬が駆けてくる音が聞こえる。

 こんな夜に斥候だろうか。折角軍議を終えたところだが、これはまた呼び出されるかなと思っていた時――その蹄の音がごく側まで近づいて来ているようで、泊雷は視線で追ってみた。




「って、どわっ!?」

「……?」


 草原の草に紛れる形で寝っ転がっていた泊雷の側を、その馬が通過する。

 慌てて身を転がして避けたものの、先ほどの位置に居たら顔面を踏みつぶされていたことは間違いないだろう。

 戦々恐々としながら、先ほどまで寝転がっていた位置に目を向けた。

 風そよぎ、草原の草が揺れる。馬の蹄の音はもう聞こえず――代わりに歩いてくる人の足音が聞こえてくる。


 さや、さや。と草が擦れ合う音。そこに分け入る小さな靴音。それは妙に軽くて、無頼な男のそれとは違う気がして。


 ふわりと――夜空を見上げる視界に、青銀色の絹のような髪が揺れる。艶を含んだ長い髪が、月夜に照らされて艶やかに輝いた。その靡いた髪の行方を目で追うと、次に視界に飛び込んできたのは大きな赤い瞳だった。

 溢れそうなほど大きくて、艶やかに輝くその瞳に目を奪われた。長い睫、小ぶりだが形の良い鼻に、きゅっと結んだ唇。不思議そうな表情を浮かべた彼女――稜花は、泊雷の姿を見つけるなり、その瞳を益々大きく見開いた。



「泊雷っ? えーっ! なんでここにいるのっ?」


 美しい壮大な星月夜。そこに佇む華奢な彼女が美少女であるためには、口を閉ざす必要があったらしい。

 幻想的な雰囲気にうっかり目を奪われていたのだが、彼女の発した素っ頓狂な声にすべて雰囲気をぶち壊される。

 とたん、息を呑むほど見惚れていた自分の行動が恥ずかしくなり、泊雷は顔を真っ赤にした。


「……っるせ! 先に謝りやがれ! 死ぬところだったぞ!」

「いやいや、こんな紛らわしいところに寝っ転がってる方が悪いでしょ?」

「お前もっ! 陣に近いんだからもうちょっと注意しやがれっ」

「何も無かったんだから別にいいじゃない?」

「よかねえ! 全然良かねえっ!!」


 全力で抗議しながら泊雷は起き上がる。そうして彼女の隣に立ってみて初めて、おや、と目を丸めた。昔並んだ時と、何かの感覚が違う。

 先ほどまできゃんきゃん騒いでいた男が突然口を噤んだものだから、稜花だってきょとんとする。そんな彼女に、首を傾げながら泊雷はその違和感を口にした。


「お前、背、縮んだ?」


 結果、馬に蹴られる代わりに彼女に殴られたわけだが。




 ***




「――痛い」



 次の日、夜が明ける前から泊雷は不機嫌だった。日が昇るなり戦が始まるのは重々承知しているが、この状況なかなか受け入れられるものではない。

 昨日稜花に殴られた頬は、みっともないほどの痣となっていた。

 とっさの一撃を避けられなかったのは完全に泊雷の落ち度とはいえ、あの衝撃的な出来事は忘れられない。彼女の出した拳が目で追えなかった。


「……そんな馬鹿な」


 呻くように呟いて、頭を抱える。

 どうやって彼女と接するのか。それに頭を悩ませていたのが馬鹿馬鹿しくなるくらい、彼女は変わっていなかった。もはや、それはどうでも良い。


 問題は、彼女が唯一変わっていたところ。それはその武術の腕に他ならなかった。

 もちろん、改めて手合わせしたわけではない。しかし、彼女が出した手の軌道。無駄のないその動き。彼女と会わなかった数年間、泊雷とて無為に過ごしてきたわけではないのだ。それなりの自尊心だってある。しかしそれをぎったぎたに壊してしまうほど、彼女の一撃は衝撃だった。


 しかしそこまで考えて泊雷は首をふる。いやいや、彼女とはきちんと手合わせしたわけではないのだ。あれは偶然。ちょっと彼女に見とれていただ……見とれていた? うん、なんだか不穏な言葉だからそれはそっと横に置いておくとして――。

 泊雷はうっすら浮かんだ単語を見て見ぬ振りして、槍を掲げる。

 本来彼が得意なのは槍術。この際彼女を倒せるならばなんでもいい。今日はこの槍で勝負を仕掛けて、彼女を「ぎゃふん」と言わせなければならぬ。


 まだ出陣前のこの時間。しかし、彼女はきっと愛馬の様子を見に来るであろう。ここで待っていれば自ずと彼女には会えよう。



 ざっ。と、地面を踏む音がする。

 その音は軽い。目的の相手に即会えたようで、泊雷は胸をなで下ろす。



「あら? もしかして――」


 気の抜けた声の中に、少々喜びのようなものが交じっているのは、泊雷の気のせいではないだろう。

 かつて、何度彼女をこのように待ったことだろう。

 武器を片手に、本来ならば絶対に刃を向けてはいけない相手なのに。

 いくらひとつ年上だからと言って、女である彼女に負けた。負け続けた。それが悔しくて何度も何度も彼女に勝負を挑み続けた過去――。

 稜花に視線を向けると、実に楽しそうな顔をしていた。こうやって遠慮無く、彼女に挑み続けていった男を他に泊雷は知らない。

 彼女は基本的に気さくだし、軍の調練にはよく顔を出していたため、彼女と手合わせしたことのある者は少なくないだろうが。それでも、幼い頃から競うようにして切磋琢磨してきたのは、泊雷と彼女の兄である李進くらいだろう。


「……うふふ、良いの? 出陣前に? 手加減しないわよっ」

「望むところだっ」


 頷く泊雷を目にして、稜花は実に嬉しそうに双剣を引き抜き、にっこりと微笑んだ。




 ***




「――嘘だ」


 何かの間違いに違いない。

 槍と双剣。圧倒的な間合いの差をものともせずに彼女は懐へと飛び込んできた。

 勝負になる前に勝負がついてしまい、まるで夢だったのでは無いかと思わざるを得ない。


 相対する前に、実に嬉しそうににっこりと微笑んだ彼女に見とれてしまったのは認めよ……いやなんだなんだ。また不穏な単語が頭をよぎったぞと泊雷はわかりやすく首を振った。

 ぶんぶんと頭を振り回し、脳内に再生される彼女の可愛らしい顔をかき消……ん、ちょっと待とうか。何つった頭今なんて言った湧いたか? 湧いたな? うん、湧いたことにしよう。もう大丈夫稜花の作戦には乗るまいと、朝から堂々巡りになる不毛な思考を振り払いつつ、泊雷は身を潜めていた。



 正面から当たりに行って、勝負にならなかった。

 もはや勝てば良いという結論にたどり着いた泊雷は、物陰に身を潜めて稜花の隙を狙うことにした。ちなみに、悪いとは思っていない。

 幼い頃から悪さし合った仲では、今更のこと。勝てないを理由に不意打ちしまくった過去。今更一回や二回増えたところで問題は無いだろう。図体がでかくなった分、物陰に身を潜める様は少々見目が悪いかもしれないが、奇襲は戦でも常套手段。勝った者が強い。勝った者が全てなんだ。と必死で自己を肯定する。



 というわけで翌朝再び。今度は物陰から稜花がやってくるのを狙ってみた。

 またまた彼女は愛馬の様子を見に、早朝から陣内を歩いているようだ。その無防備な様子。ここで彼女を狙っている者がいるとは思うまいと、泊雷は口の端を上げた。


 そして、彼女が目の前を通りかかる時。

 泊雷は身を乗り出し、真っ直ぐに彼女を突いた――!



「……甘いっ!」


 しかし彼女はものの見事にひらりと避けて、体を捻ると同時に双剣を構える。


「うふふ、こう言うの、久しぶりね」


 不意打ち、楽しい。とさえ言ってのけながら、稜花は泊雷の喉元に右手の剣をかざす。

 戦いが楽しくて楽しくて仕方が無い。彼女の表情は確実にそう言っており、泊雷のごく近くでうっとりと目を細めた。




 ***




「……ほぅ」


 弱った。

 あれから幾度となく稜花に挑み続けて数日。戦の方が完全におまけになってしまい、今では彼女にどう勝つのか、そればかりが頭を支配している。

 彼女に勝つ方法を探し続けて、ついつい戦場でも彼女を目で追ってしまう。

 あの小柄で華奢な体躯。年の割に体格の良い泊雷が抱きしめたら折れてしまいそうな少女の何処にあんな力があるのだろうか。――あ、いや、今のね。抱きしめてとかはね。あれだよあくまで比喩なんだけどさ?


「……って俺は何を考えてるんだッ!!」


 だああああ! と、脳内で華奢な彼女を抱きしめる自分を想像し、同時に全力で振り払う。

 稜花は、目標だ。あくまでも、泊雷の目標であって。幼い時から彼女だけを見て、彼女に追いつこうと育ってきた。

 少しでも彼女に相応しい男になりたいと調練を続けてきたし、将来の夢は幼い頃から大将軍。でなければ、武術の好きな稜花には釣り合わないだろうとそう思ってきた過去――。



 ――今気づいたんだが、あれ? 相応しいって、なんだ? 釣り合わないって? え? 俺、釣り合ってどうしようと? あれっ???


 元々難しく考えるのは得意でない頭が混乱状態に陥る。

 泊雷とてもう十五。ただただ稜花に勝ちたくて噛み付いてきた幼い頃とは、少しくらいは違うはずだ。


 ――え? そういうことなの? こういう感覚なのそうなの?


 脳内で、ふわっと現れた絶対に認めたくない事実が現れてはかき消し、現れてはかき消し。

 今日も稜花に挑むつもりで物陰に身を潜めているのに、それどころでは無くなってきている。この感情のざわめき、どうにかして処理をしなくてはいけないのだろうが。


「……っ! なんなんだよ一体っ!!」


 向かい合ったことのない類いの想いに、苛立つことしか出来なかった。



「あ、泊雷発見ーっ」


 そして、叫んだ彼は身を潜めた行為も無駄になり。

 うふふ、と口の端を上げた稜花が、刃を輝かせすぐ目の前にいた。




 ***




「……」


 もう、いい加減いいだろうと、泊雷は思う。

 ここ数日、悶々とした感情が胸の中を渦巻き、まったく奇襲に集中できなかった。

 武器を構えて口の端を上げる彼女は、泊雷が見たこともないほど大人っぽくて艶っぽかったし――そもそも、武器を構えたら綺麗に見える女って何なんだと、ひとしきり脳内で文句を吐いた。


 ――綺麗になァ……見えるよなァ……。


 ぼんやりと夜明け前の空を見上げながら思った。


 ――嘘だろ……あんなじゃじゃ馬の何処が良いんだ。馬鹿力だぞ。自分より強いとか、熊か? そうだ、熊だぞ、あいつ。


 自分より強い対象として黒くてずんぐりした熊を思い浮かべた後、いやいやと首を振る。


 ――いやいくら何でも熊とかは、酷すぎるか。もっと綺麗な……素早くて……虎、とか?


 凜とした佇まいの稜花。上手く例えるものが見当たらない。結局彼女は彼女。それ以上でもそれ以下でもないのだ。

 彼女を脳内で否定して、否定し倒して、それでも気を緩めると肯定している自分がいる。

 再会して、改めて稜花と向き合ってようやく。彼女を目標にしてきた意味が分かったらしい。


 しかし、まだまだ自分では足りない。

 彼女の隣に立つには、少なくとも彼女よりも強くならねばならないのだ。

 だからこそ、泊雷は武器をぎゅっと握りしめる。この戦が終わるまでに、彼女には一矢報いたい。正面から戦って勝てるようになるまでにはまだまだ時間がかかりそうだけれども、一度で良いから彼女に見直してもらいたい。


 そう願っているところに、また、いつもの足音が聞こえてくる。

 今日は二つ――もう一つは男のものだが、悠舜か誰かを連れているのだろうか。


 しかしそんなことは関係ない。稜花ただ一人を狙って、泊雷はただ突くのみだ。



「――うおおおおおっ!!!」



 物陰から飛び出して、真っ直ぐに稜花の懐を狙う。

 そんな彼が最後に見たのは、横から飛び出してきた黒の影だった。






 その後、稜花の護衛として楊炎という男がやってきたと耳にした。あの黒い影がそうらしい。

 峰打されてすこーんと意識を飛ばした後、部下たちが大笑いしながら教えてくれた。

 噂では、李公季の秘蔵っ子だとも聞いたが、子細は分からず、突然湧き出てきた謎の男だとか。


 稜花に挑もうと思っても、先にその黒い男に捻られる日々に切り替わり、なるほど稜花の横に立つには彼ほどの実力が必要であると泊雷は悟った。



 ――待ってろ稜花。いつか必ず、お前を跪かせてや……跪かせるのは可哀想か。一矢報いて……ん、違う。なんだ。とりあえず、ぶっ倒して、んでもって守ってやるからなっ!


 きめたいところで、きめられない。

 大いに矛盾をはらんだ憐れな彼が、ちょっと成長するのはもう少し先の話――かもしれない。

戦闘時、稜花の恍惚とした表情を見られるのは敗者のみです。

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