小説 金比羅尾根
第一章 晴れたらいいね
日付がかわる頃、ようやく家に辿りついた。
「ああ、今日も疲れた。」
PCの電源を入れ、メールを確認する。
その中に懐かしい響きのメールが。
「晴れたらいいね」
雨ちゃん、おかえりなさい。
少しは落ち着いたかな。
さて本題で~す。
5月に皆で山へ行こうと計画してます。
どうですか?
いきなり走るのは無理でしょうから、ハイキングにしました。
場所はあの奥多摩、大岳山です。
晴れたらいいね
森川 しおり
メールには、大岳山から見える富士山の写真が添付されていた。
しおりには、年賀メールで4月には日本に帰れるって伝えていたもんな。
懐かしい。
皆にも会いたいな。
誰がくるのだろ。
僕は、子供のように夢中になり、山を駆けていたあのアツいアツい日々を思い出していた。
そしてあの大会も。
海外赴任する前の1年余り、僕は毎週のように山を駆けていた。
「トレイルランニング」というやつだ。
そしてあの大会が終わり、しばらくして海外赴任に。
仕事が忙しかったこと、異国の地で慣れないこともあり、それ以来、全く走ることはなくなった。
おかげでこの3年で10キロ余りも増えてしまった。
「確かに、今の身体じゃ走るのは無理だな。」
返事を書こう。
本当は「元気?」「今、何してる?」「こちらは・・・」など色々書こうとした。
1時間以上悩んだ結果、メールはたったこれだけになった。
ただいま。
3週間前に日本に帰ってきました。
ハイキングの件、了解です。
おてやわらかにお願いします。
晴れたらいいね
雨宮 翔
第二章 出逢い
その年のこと。
年のはじめに決めたんだよね。
トレランをもうちょっと真剣にやろうって。
そしてセミナーに積極的にでてみようって。
1月に3回参加。
高尾~陣馬往復にいたっては全くついていけずげっそり。
勢いで2月もセミナーに2回参加。
明日は、トレイルランニングにセミナー。
「雪、降ってるな、積もるな。やるのかな。」
でも申込みしちゃったし…。
朝、高尾山口駅に集まる。
高尾山は、雪です!
雪の上、走ったり、雪だるま作ったり。
こういうトレランもいいよね。
凍結のため、ヤビツ峠までバスが登れない。
蓑毛から大山を目指すことに。
山頂付近では、登山者はアイゼンをつけている。
なのに我々はトレランシューズに軽装。
山頂付近はのぼりもくだりも滑る。滑る。
ある程度下って雪がなくなってからは皆速い。
どんどんおいていかれる。
3月以降も奥武蔵、青梅高水、宮ケ瀬湖に奥多摩等、いろんなセミナーに参加。
あいかわらず、いつもいつも後方部隊。
トレランの世界は狭い。
何度も顔をあわせているうちに挨拶を交わし、仲良くなり、そして一緒に走りに。
そこで僕らは出逢った。
第三章 2台のスポーツカーとおんぼろ50ccバイク
偶然という言葉が正しいのか。
運命のいたずらという言葉が正しいのか。
それとも全ては必然なのか。
僕はあの大会への参加を心に決めていた。
僕は24時間かけてゆっくりとゴールを目指すつもり。
まもなく申し込み開始。
大会に参加する予定のない知人からの連絡。
チームエントリーのメンバーをさがしているとのこと。
僕はメールを書いた。
「もう一人を誘ってもらえませんか。
彼が参加せずにどうしても人がいなかったら声かけてください。
その時は是非、参加させてください。」
一緒にチームエントリーしたい気持ちもあったのだが、二人とは全く走力が違うので…
二人の走力はすごい。それにひきかえ、僕は5キロ、10キロの大会すら、出たことない…
二人とは別々のトレランに行ったことあるけど、走りは覚えていない。
いつも僕は後方部隊(遅れているだけ)だから。
その後、メールが届く。
「彼とは連絡がつきません。連絡がなかったら、お願しますね。」
同夜、不思議なメールが届く。
「xxx大会エントリーについて」
○○○講習会参加者の皆様・・・・
「選手マーシャルとしてのエントリー優先資格がある・・・」
何?何?
これは以前に申し込んでいたけど、返答がないから、放っておいたやつだ。
一応、期待せずに、問い合わせる。
返事がきても遅いのだ。
後日、開封されていない封筒が見つかった。
自身が気がつかなかっただけのようだ。
これが一つめの運命のいたずら。
エントリー開始前日の朝。
メールが届く。
「彼とは連絡がつきませんので、よろしくお願いします。今夜0時にエントリー開始です。」
「わかりました。」
後日、聞くとそのメールを見ていなかった。
これが二つめの運命のいたずら。
そして昼。
トレランに関して無関心な妻にチームエントリーのことを話した。
突然、烈火のごとく怒り始めた。
「すぐ断りなさい。」
「チームエントリーってお祭りみたいなものだから・・・」
「あんたには、常識がないの。」
「・・・」
「リタイアしかしたことないでしょ。マラソンとかもやったことがないでしょ。」
「・・・」
当然に今さら断れるわけもない。
これは三つめ?
0時にパソコンの前に座り、大会へのエントリーを済ませ、誘ってくれた友に連絡。
スポーツカー2台とおんぼろ50㏄バイク。そんな感じのチームだ。
その日から僕の目標は、「完走&二人の合計タイムに勝つこと」となった。
僕はこの運命のいたずらにとても感謝することとなる。
第四章 撃沈
7月の末のこと。
僕は、夜の高尾山口駅にいた。
都岳連の知人の呼びかけによる「高尾~陣馬ナイトラン練習会」に参加するためだ。
20名程が参加。
簡単な説明と紹介の後、0時過ぎにスタート。
稲荷山コースをとおり、高尾山へ(山頂には登らない)。
とにかく暑い。
どっと汗が噴き出す。
霧が凄く視界を遮られる。
深夜2時過ぎ、雨にかわる。気温が下がるので恵みの雨といったことろか。
小仏峠で全員集まり、影信山の先までを30秒間隔で一人づつ走る。
視界がなく、なかなかたいへん。
すぐに後方に追い付かれ、その人たちについていく。
そして前の人に追い付き、その人についていく。
後ろから来た人はどんどん先に。
その後は、バラバラに陣馬山を目指す。
自身はアドベンチャーグリーンでもあり、道に詳しい方についていき、明王峠を経て陣馬山へ。
このグループはトレイルランではなく、トレイルウォークといったところ。
さすが、ベテランの味、もっとも負担のないまき道を駆使し、陣馬山へ。
白い馬にタッチして休憩。
時計をみると4時ちょっと前。
道を誤った人を除くとほとんど皆、到着している。
暗い中おにぎりを食べる。
帰り路へ。
まず、デモンストレーション走行を見る。
めっちゃ速い。
帰りはどこで待ち合わせということはなく、とにかく高尾山口までいけばいいということらしい。
すぐに走力の似た数名のグループになり、途中は、2人になり、数名にもどりを繰り返し、道迷いもしながら、高尾山口へ。
5時半過ぎに全ての水が尽きる。
しばらくして、自身だけが、歩きに近いペースとなり、とり残される。
一人なので高尾山にて水の補給も考えるが、そのパワーもない。
何回も行き交う人に駅までどのくらいかを確認し、7時15分頃、高尾山口のケーブルカー前になんとかかんとかたどりつく。
皆(?)が待っている。
すぐにお金を取り出し、コーラを。
「生き返る」って感じ。
皆で高尾山口駅へ移動し、30キロ余りのナイトランは終了。
今回、忘れた「メガネの曇り止め」と「リザーブ用の水(いわゆる命水)」は必須かな。
「リザーブ用の水(いわゆる命水)」については何回同じこと繰り返しているんだろうか。
トイレで着替えを済ませ、帰る用意をしていると知った面々と会う。
清掃登山とトレランのグループだ。
「これから帰ります。」挨拶して、家路に。
その翌週。
8月の頭のこと。
とても暑い日だった。
始発に乗り、7時前に武蔵五日市の駅に着いた。「ハセツネ練習会」に参加。
仲の平から西原峠に上がり、ハセツネコースを日の出山まで辿り、金比羅尾根への分岐をつるつる温泉に下る。
「本コース」で30キロ弱。
仲の平~西原峠と金比羅尾根への分岐~つるつる温泉を加えると36キロ。
誘ってくれたチームメイトを除いて全員初対面。
この夏にこの距離は普通じゃないとかなりの不安を抱き、武蔵五日市駅に向かった。
14名が本日のメンバー。
7時5分のバスに乗り、数馬手前の仲の平で下車。
いよいよ30数キロと暑さの戦い。時刻は8時。
西原峠から三頭山へ向かう。
走り始めてすぐに最後尾となり、どんどん遅れる。
途中都民の森へよって、第2関門の月夜見第2駐車場へ。
ここまでも遅れ遅れの展開。
ここから先は完全についていけず。
リーダーのフォローを経て進む。
「おまたせしました」これが今日のセリフ。
そして御前山頂上では水と食料を残し、他の荷物を全て他の人に持ってもらう。
それでも落ちこぼれ。大岳山に向かう行程では、平坦な部分、下りの部分も歩きへ。
「自分のペースで進めないと完走できないよ。」そのとおり。
大岳山に到着。
トップの人たちは30分近く待っていたらしい。
大岳山をでる。忘れ物に気づく。
とりにいく。
最も迷惑かけているのにこんな状況。
集中力も切れてきたか。
最初はガレ場も多いが、それからは平坦に。
ついていけずに完全に一人旅。
御岳山でコーラを飲み、日の出山へ。
別動隊が待っている。
別動隊の方もかなり待たせたようだ。
皆で写真をとり、つるつる温泉へ。
くだるくだる。
17時半過ぎにつるつる温泉に到着。
予定は16時頃だったので、かなり迷惑かけたことになる。
温泉につかり、食事をして20時10分のバスで武蔵五日市へ。
ほんとにほんとにきつかった。
みんなに迷惑をかけた。
今日出会った仲間とはこれからも野山を駆けていくこととなる。
そうそう、これからあの大会でもお世話になるシューズ「サロモンXTウィング」は今日がデビュー。
2週連続の撃沈したトレランのことは、今もよく覚えている。
第五章 試走
セミナーや練習会などであの大会の試走を重ねた。
6月。
月1回開催の安全講習会。
参加1回目。
コースは、(上川乗~)浅間峠~西原峠~三頭山~鞘口峠(~都民の森)。
都民の森に待つバスに乗り遅れないように真剣。
7月。
安全講習会。
参加2回目。
コースは、月夜見第2駐車場~小河内峠~御前山~大ダワ(~神戸岩キャンプ場)。
ソウヤノ丸デッコ先で前年のレースにて亡くなったランナーに対し、献花および黙祷。
RUN終了後、ロープワーク。
8月。
あの撃沈のトレラン。
コースは、(仲の平~)西原峠~日の出山~金比羅尾根の分岐(~つるつる温泉)。
安全講習会。参加3回目。
コースは、(御岳沢林道~)長尾平~御岳神社~日の出山~金比羅尾根~武蔵五日市会館。
長尾平でロープワーク。
御岳神社では宮司のありがたいお話。
雨の夜の金比羅尾根。
9月。
第2週の日曜日。
8月に撃沈した際のトレランの仲間達と練習会。
コースは、五日市中学~浅間峠~数馬峠(~数馬の湯)。
第2週の週末。
金比羅尾根のナイトランセミナー参加。
コースは、(五日市会館~金比羅尾根~)日の出山~金比羅尾根~五日市会館。
夜の金比羅尾根。
第3週の平日
セミナー参加。
コースは、(御嶽駅~)御岳神社~日の出山~金比羅尾根~五日市会。
昼の金比羅尾根。
第4週の祝日。
複数のトレイルランナーによるセミナー。
コースは、(上川乗~)浅間峠~数馬峠(~数馬の湯)。
トレイルランナーとともに逆走の珍事あり。
第4週の週末。
安全講習会。
参加4回目。
(神戸岩キャンプ場~)大ダワ~長尾平~日の出山(~梅の木峠~つるつる温泉)。
一部まき道を使用。
ミニレース。
スタート後、テーピングをして、途中、ロープワークを実施。
まさに障害物レース。
計9回。
そして金比羅尾根の走行は3回。
9月の第2週の日曜日。
8月のトレランの仲間達と練習会。
始発に乗って、武蔵五日市駅へ。
途中、重大なことに気づく。痛恨の忘れもの。
それは、「インソール」。
先週の安全講習会にて雨の夜、金比羅尾根を走行し、にシューズがドロドロになり、洗った。
シューズだけをそのままカバンにいれてきた。
「どうしよう、ただでさえ、ついていけないのに…」
ショックを隠しきれないまま、武蔵五日市駅へ。
武蔵五日市駅から、五日市中学に場を移し、写真撮影と自己紹介。
スタートは11名。
ここに途中から2名が加わる予定である。
西原峠までいき、数馬の湯に降りる予定。
本コースで31キロあまり。
それに数馬の湯までを加えた30数キロ。
7時30分過ぎスタート。
結構はやい。
まもなく、定位置の最後尾。
入山峠を越えたあたりで一人旅(単についていけていないだけ)。
市道分岐で待ってくれている。
ここからは僕を含め、遅い3名にスイパーが1名の4名で進む。
何度も何度もくじけそうになりながらようやく第1関門の浅間峠第1関門に到着。
スタートから5時間2分。想定通りのタイム。
当然のことながら、先行部隊はもういない。
後続2名がすぐに追いつく。
大会当日はどうなるのだろう。
今日より荷物が重くなり、渋滞もある。
ここはマイナス要因だ。
レース当日ということでアドレナリンが…。
これはプラスかな。
そしてレースまでの体力強化。
できるかな。
13時前に、6名でスタート。
すぐに追いついてきた2名が先に行き、再び4名になる。
ゆっくりゆっくり先に進む。
会話をしながら進むのでそれほど苦ではない。
13時30分過ぎに、雷が鳴り始める。
瞬く間に強い雨が…
自身はバフから帽子にかえただけ。
リーダーからスイーパーに雨と雷がひどいので西原峠までいかずに数馬峠を下るようにとの連絡が入る。
数馬峠は30キロ手前になる。
数馬峠に到着した時には雨もあがり、数馬の湯までは、非常に快適なトレイル。
走行中、連絡が入る。
我々4名以外は全員、数馬の湯に到着済。
先に入浴しているとのこと。
約10分後、我々も数馬の湯に到着。
結局、いつものの定位置である最後に到着。すぐにコーラを入手。
コーラで乾杯し、入浴。
既に帰っている人もいた。
快適な入浴後、食事&お話タイム。
外では雷と強い雨。
17時27分のバスに乗るため、皆でバス停へ。
強い雨のため、バス停にはいけず、数馬の湯の前で待つ。
バスがきたとの情報で一斉に駆ける。
そして乗り込む。
バスは武蔵五日市駅に到着し、解散。
前回の荷物をもってもらった時と比べると少しはよくなったかな。
移動距離は、33キロ程度であった。
9月の第2週。
金比羅尾根のナイトランセミナー参加。
金曜日の夜のこと。
スーツ姿で武蔵五日市の駅に降り立つ。
集合時間は23時30分だが、まだ22時を回ったところ。
本日は「アドベンチャーレース主催の夜間走行練習会」である。
駅で着替えを済ませ、ペットボトルからハイドレーションに水を移す。
そしてトレランできる格好に。
それでも時間はまだまだ余る。
交番の裏のトイレに。
あれっ。
講師が既に来ている。
トイレを済ませ、講師と歓談。
23時30分過ぎ、受付開始。
遅れている人がいるため、その時間を使って、講師が道具などの説明。
別のアドベンチャーレーサーもスタッフとして参加。
講習生30名にスタッフ4名を加えた34名。女性は5~6名か。
武蔵五日市から日の出山往復のナイトラン。
遅れた人を待って、武蔵五日市会館へ。
24時30分過ぎ、講習開始。
行きは何箇所かで止まって講習。帰りはフリー走行の予定のようだ。
スタートし、いつもの定位置(最後尾のスタッフの前)へ。
ずっとスタッフと話をしながら、走ったり歩いたり。
ところどころで、上り方、下り方の説明が講師からある。
そしてまた、RUNへ。
気がつくと我々だけがとりのこされているようだ。
前の人があまりにゆっくりだったのた。
彼を抜いて前の集団に追いつこうと走る。
なかなか見えない。
明かりが見える。
皆集まって講習準備中。
これを繰り返し、日の出山へ。
日の出山では、皆で明かりを消す。
夜景と夜空がとてもきれいだ。
猛者6名と講師は、御岳往復。
他は、五日市会館を目指す。
ゴールまでのノンスットップフリー走行。
何度か足を取られながれ、ゴールを目指す。
いつの間にか一人旅(最下位ではないですよ)。
そしてトレーニング好きの自身は、五日市中学を1周してゴール。
ただ、道を間違えただけですが…
場を駅の駐車場に移す。そして解散。
「HOW TO トレイルランニング」に講師2名のサインをいただいて帰途に。
今回の講習は、かなり中身が濃かったな。
今日の金比羅尾根の夜間走行は大会でいかされるのだろうか。
第六章 負けないで
10月に入った。大会は、まもなくである。
10月1日。
家に帰ったら、封筒がふたつ。
ひとつは、大会の封筒。
もう一つはまたの機会に。
当日は、20時間近い旅。
旅の途中、いくつもの波が訪れ、こう思うだろう。
「なんで、こんなことやってんだろ。」
「きつー。もう、2度とこんなこと…」
でも、この言葉を胸にフィニッシュラインを目指して頑張るつもり。
「あきらめることはいつでもできる。あきらめないことは今しかできない。」
10月6日。
昨日は信越のあの大会。
仲間もそれぞれ頑張った。
優勝、入賞、完走。
記録としての結果はいろいろ。
目標どおり走れた人。
力およばず目標に届かなかった人。
怪我との戦い、それでも完走した人。
皆それぞれだけど、皆、フィニッシャー。
そして随分と楽しかったようだ。
今度は僕の番。
皆の走り、頑張りを「エール」と受け止め、頑張っていこう。
そして仲間からバトンとともに歌を。
「負けないで」
10月8日
「71.5キロの先にあるもの」
ずっとその答えを探している。
本を読んでも人から聞いてもわからない、しっくりこないのだ。
わかってきたことは、その答えを実際に自分で見つけるしかないことだ。
自分の手で答えを見つけてこよう。
10月11日
とうとう明日。すごく緊張してきた。
皆からたくさんの応援のメッセージをもらった。
皆の応援メッセージを力にかえて。この数カ月に最も聴いたこあの曲を力にかえて。
「栄光の架橋」
第七章 幾つもの想い、メッセージ、御守一つをバックパックにつめて
大会当日。
「幾つもの想い」「皆の応援メッセージ」そして「御守一つ」をバックパックに詰めて、家を出た。
武蔵五日市の駅を降り、会場に向かう。
振り返ると何度か一緒に山を駆け抜けた仲間がいる。
一緒に会場に向かう。
9時に小学校の体育館に着く。
8月のトレランでお世話になった陣営にむかう。
知り合いが多く、同窓会気分で会話を楽しむ。
緊張をほぐすのにはちょうどいい。
そしてブースをちょっと見学。
ブースでは、トレランセミナーの講師に会う。
がっちりと握手を交わし、自身の完走を約束。
混雑している受付を済ませ、今度は選手マーシャル控え室に。
マーシャルの役割の説明を受け、派手なマーシャルマークとマウスピースを受け取り、有事の時の連絡先を携帯に登録。
そうそう、こんな僕でも選手マーシャル。
体育館にもどり、準備する。
緊張が高まる。
そして皆で集合写真。
これはいい記念になりそうだ。
友人が遠路はるばる応援に。
先程、メールをもらったけれども何にも書いてなかった。
おどろかせようとしたな。
グランドとなる会場では参加しない人も応援にきている。
ここでも女性2人に激励される。
まもなくスタートだ。
16時間の手前に並ぶ。
この時、まだこれから始まる壮絶なレース模様を知る由もなかった。
第八章 難敵「三頭山」
いよいよ、スタート。
沢山の人に見送られ、長い旅の始まり。
トレイルに入ると案の定、渋滞に。
前方に友人を発見。僕との間は数人なんだけど、シングルトレイルがそれを阻む。
入山峠に近づいた頃、ようやく追いつき、会話ができた。
しばし、雑談。
今度は後方から声がかかる。
こちらもしばし、雑談。
入山峠を通過し、少しずつレースが動き始めた。
市道山分岐を過ぎ、醍醐丸を目指す。
その頃から、体調の異変を感じはじめる。力が入らない。
意識がブレる。
走ることはできなくとも止まらないと決めたことがもう守れない。
そして何度も立ち止まり空を仰ぐ。
そして進む。これを繰り返す。
醍醐丸から三国峠まで立ち止まっている人を除くと誰一人パスできない状態。
どんどんパスされていく。
とうとう、三国峠手前で完全にストップ。
何人かの友人から声をかけられる。
しばらく休んだ後、アームウォーマーをして、おにぎりとカーボンショッツを口にする。
なんとか回復した感じ。そして走り出す。
第一関門である浅間峠を5時間30分近くかかり、通過。かなり遅れたこともあって、第1関門での休憩をパスする。
浅間峠を通過した後、力の入らない感覚が幾度となく、発生。
だましだまし進む。
西原峠を通過したのは、21時直前だ。
順当ならば、トップがゴールしている時間だ。
三頭山への登りが始まった頃、背中で携帯のバイブが鳴る。
しばらくしてまた背中で携帯のバイブが鳴る。
著しい疲労もあり、三頭山避難小屋で腰をおろす。
そしてメールをみる。
後のメールが届いて20分ぐらいたってからだ。
ふたつとも応援メール。
「今頃、三頭山を超えた辺りですか? ・・・」
残念ながら、まだ三頭山にもたどりついていない。
返事は完走してからだそう。
元気を得て、再び前へと進む。
何度となく、心が折れそうになる。
苦しんで苦しんでようやく三頭山頂。
ここでハイドレの飲み物が切れた。
しばらく休んで三頭山を下る。
下り終えて、鞘口峠からストックを使い始める。
風張峠では、なんと100人以上の隊列に。
今の僕のペースで追いつけるのだから、かなり遅いことになる。
怪しい意識と疲労を抱えた体で月夜見駐車場を目指すこととなる。
第九章 鬼門「大ダワ」
ようやく第2関門到着。
時計は0時を回り、スタートから11時間を過ぎていた。
水1.5リットルを手にする。
トイレを済ませ、おにぎりとカーボンショッツを口にする。
その後、メダリストの粉をハイドレに入れる。
息を整え、第2関門をスタート。
背中で水が揺れる。
メダリストをいれた際に空気が入っていたのだ。
暗闇の下り坂で端により、空気を抜き、再びスタート。
いったりきたりする意識と体調は、ほとんどにおいてすぐれないものとなっていた。
歩くような速度で進む。
何度も何度も天を仰ぐ。
足を前にださないとゴールに近づかない。
百も承知のことができない。
そして惣岳山に登る階段の途中でどうしても耐えられなくなった。
階段脇にある木にもたれかかる。
一瞬にして意識を失う。
目覚めると20分が経過していた。
そして、再び、だましだまし進む。
何度も何度も立ち止まり、そして進む。
まずは、なんとしてもあの「大ダワ」に。
この大会への参加は2度目。
トレランのレースはおろか、ロードのレースもでたことない僕は昨年のこのレースが人生最初のレース。
三頭山の山頂で水が切れたことも昨年と同じだ。
昨年は、三頭山からの下りに足をけがして、そのけがをおして第2関門を強引に通過。
その後は、激痛との戦い。
あの「大ダワ」にリタイアのために進み続けた。
そして…。
けがではないが、今年も辛い状態。
鬼門ともいえる「大ダワ」を目指す。
意識も遠のき、かなり辛くなってきた頃、ようやく、大ダワに到着。
到着後、すぐに大の字になり、横たわる。
友人の姿が見えるが声をかけれる状態ではない。
10分くらいたっただろうか。
(何か食べ物を口にしなきゃ。)
カーボンショッツを口に運ぶ。
うっ。全てをもどす。結果、4回もどす。
お腹の中のものは全て、吐き出し、もう、何も残っていない。
深夜の大ダワはとても寒く、どんどん冷えてくる。
棄権も考えなくてはいけない状況になってきた。
ここで選手マーシャールの仲間に声をかける。
「棄権したほうがいいよ。大事な体なんだから。」
「どうしても棄権はしたくないんですよ。昨年、この大ダワで棄権したから。」
昨年、棄権したこの場所では絶対にリタイアできない。
昨年の自分を越えるため。
背中の十字架のために。
応援してくれた仲間のために。
完走を約束した仲間のために。
辛い自身にエールを送る。そして天を仰ぐ。
「負けないで」
「Best Friend」
「栄光の架橋」
大ダワにきて、30分。
(これ以上、ここにいてもしょうがない)
結局、冷えた身体に長袖のシャツ一枚を重ね着して、先に進むことを選択。
(うぉー、いくぞ)
という気持ちと裏腹に、これから先は、完全に歩きペース。
何度も何度も後ろを振り返り、人に道を譲る。
そして夜は明けた。
まだ、50キロを超えたに過ぎない。
旅はまだまだ続く。
第十章 そして「金比羅尾根」
何度も何度も後ろを振り返り、人に道を譲る。
大岳山を超え、6時過ぎ、背中で再び携帯のバイブが鳴る。
ゆっくりゆっくり進む。
綾広の滝を目指して。
食べ物はもちろん、背負ったハイドレーションの中のメダリストも受け付けない。
とにかく、普通の水がほしい。
そんな中、前から、元気に走ってくる人がいる。
(あれっ。)
友人だ。
御岳の宿坊に泊まって「ハセツネ」を応援していたはずだ。
「遅いからどうしたのかなって思って。迎えにきちゃいましたよ。」
そう言い残し、走り去った。
そしてまた戻ってきて、「御岳で待ってますから」。と一言を残し、見えなくなった。
(これこそ、サプライズだ)
ようやく綾広の滝に到着。
大ダワで言葉を交わしたマーシャルがいる。
「おおー、すごくうれしいよ。」
僕は親指をたて、サインで答える。
ここで少し息を吹き返し、第3関門を目指す。
ようやく、第3関門に到着。
既に7時をまわり、スタートからは18時間経過。
どっかりと腰を下ろし、仲間と声をかわす。
この時間、ここで会う人は皆、手負い。そして仲間。
そしてメールを確認。
完走を誓ったトレラン講師からの応援メールだ。
辛い状況下、「ハセツネ通知」と一緒に届いた封筒に入ったものを取り出す。
そう、御守としてバックパックに詰めたTシャツ。
どうしても「これを着てゴールしたい。」。
アツい想い。
ここで着替える。
鮮やかなライムグリーン。
(御岳にいそがなきゃ。)
仲間と健闘を誓い、第3関門をでる。
しばらくして、背中で再び携帯のバイブが鳴る。
御岳神社で、先程出迎えてくれた?友人が待ってくれていた。
ここで写真を2枚。
(意外と元気かも。)
そして日の出山に向かう。
日の出山に到着。
ここでは、夜景もしくは日の出を見る予定だったのだが…
そしてメールを確認。チームメイトからだ。
二人のマーシャルと声を交わす。
最初の10分くらいは、なんとか走れていた。
そして、とうとう足が止まる。
そして完全に歩きに。
この金比羅尾根を歩くことになろうとは。
昼の金比羅尾根も走った。
夜の金比羅尾根も走った。
雨の金比羅尾根も走った。
でも金比羅尾根を歩いたことはない。
(ここは、こんなに長いのか。)
都岳連の知人が後ろから追いつく。随分とお世話になっている人だ。
「こんな所で、どうした?」
「気持ち悪くて、大ダワで全部もどして…」
と説明。
「他のマーシャルにそんな人がいるって聞いていたけど。もう少しだから頑張れ。」
「ゆっくり、歩いていきます。」
日の出山からのゴールまでパスしたのはゴール直前に止まるようなスピードの一人だけだ。
何人に抜かれたのだろう。
そして最後のロードになってもただ歩くだけ。
スタッフの応援にもこたえられない。
ただ、「最後のコーナーを曲がった後に走る」ことだけを考えて。
第十一章 71.5キロのムコウ
最終コーナーが見えた。
力を振り絞り、走る。
まるで今まで走ってきたかのように。
そしてコーナーを曲がる。
歓声が…。
興奮が…。
「ノーサイド」
友人の顔が見える。声が届く。
そしてフィニッシュラインをまたぐ。
(終わったんだ。)
二人が駆けつけてくれる。スタート時に見送ってくれた二人。
(えっ、僕を待っててくれたの。)
とびっくりとともに勝手な想い。
カメラマンが声をかけてくる。
「写真撮りますよ。バックも一緒に。」
背負った十字架とともに写真を撮っていただいた。
豚汁を口にし、二人と話をする。
そして、小学校の体育館に。
くらぶのメンバーが帰るところだ。
簡単に完走報告をする。
「また、練習だな。」
走る前には、あれほどにぎわっていた体育館ももうわずかな人。
応援してくれた友人にメール。
すぐに電話が鳴る。
(ん。)
体育館の壁にくらぶののぼりが残っている。
のぼりを壁からはがす。
そしてメール。
くらぶののぼりは預かっておこう。
これは清掃登山の日に返そう。
着替えをしていると、友人がきて会話をする。
18時間台で完走したとのこと。
(こっちは、なんとかかえってきたところだよ。)
そして挨拶をして別れる。
(あらあら、なんてこった)
下はパンツ一枚のまま、会話をしていた。
着替え終わると見知らぬ男性が、ひょこり。
「レース中、何回も一緒させていただいてありがとうございました。心強かったです。そして本当にキツかったですね。」
「いえいえ、こちらこそ。」
僕は彼が誰なのかわからなかった。
どうやら、マーシャルやっていたから覚えてくれていて、声をかけてきたらしい。
彼の友人が戻ってきて短い会話は終了。
彼は完走者だけが手にできるTシャツに着替え、完走賞をもって写真を撮っている。
楽しそうでなによりだ。
チームメイトに報告しなきゃ。
ここではできなかった。
涙がでてきそうだったから。
そしてひとり、小学校を後にし、駅に向かう。
途中、夫婦と会う。
「どうでした?」
「なんとか。」
「よかったですね。」
これだけの会話がとても嬉しかった。踏み込んだことを聞かれるでもなく、自分たちのことを語るでもなく。
僕は、会場の方角に一礼をし、武蔵五日市を後にした。
大会は終わった。
結果
タイム xx時間xx分xx秒
第1関門 xx時間xx分xx秒
第2関門 xx時間xx分xx秒
第3関門 xx時間xx分xx秒
その夜、この2日間の出来事と想いを日記に書き記した。
「71.5キロのムコウ」には。
抱いていた華やかなイメージ「感動」「笑顔」「達成感」「充実感」ではなかった。
「厳しい現実」。そして「力のなさ」だった。
大会を終えて得たもう一つの回答がこれである。
『「失うものがない者」より「守るべきものがある者」のほうが強い』
勿論、「失うものがない者」が昨年の僕であり、「守るべきものがある者」が今年の僕だった。
第十二章 遠い夢の中
あの大会の清掃登山に参加。
夢中になった祭りのあと片付け。
お世話になった奥多摩に感謝し、清掃。
1週間前まではあんなにアツくなっていたことがウソのように皆おだやかな顔。
家族連れでくる人も多い。
戦友との再会、会話が楽しみ。
集合する公園ではくらぶの面々に挨拶。
200人程の人が集まり、10グループにわけて清掃。
僕はA班。武蔵五日市~入山峠の往復。
車を使わずにいけるコースのため、大所帯、スタッフ含め30名。
クラブとしての活動でもあり、ピンクのビブスを着て、緑ののぼりをもって清掃へ。
友人と会話を楽しみながら、清掃活動。一週間前がまるで夢だったかのよう。
清掃活動を済ませ、龍山荘へ。
おいしい豚汁がもてなしてくれる。
しばしクラブのメンバーと歓談。
そして家路へ。
新宿まで出て、湘南新宿ラインで横浜へ。
その電車で自身は一つの曲を繰り返し聴いていた。
「夜空のムコウ」
10月末日。
ファイナルパーティーに参加。
100名程が参加。
パーティーはかなり地味。
クラブの面々、くらぶの面々と親睦を深めることができた。
ミーハーな自身は、女子優勝者に握手してもらったり。
そして第2関門(2次会)。
41名が参加。
友人と談笑。
そして大会実行委員長とも。そしてクラブの面々とも。
パーティーと2次会をとおして知ったことがある。
選手マーシャルとして頑張った仲間が多くいたこと。
僕は十字架を背負ってはいたが、完走することで精一杯。
なにもできていない。
道から外れた(崖から落ちた?)人を救ったマーシャルがいた。
足を怪我した人を背負ったマーシャルがいた。
その二人は完走できていない。
オーバーかもしれないが、レースを投げ出して人助けをしたのではないのか。
講習会で学んだ三角巾を使用して止血したマーシャルがいた。
何人もの選手マーシャルが集まり、怪我(骨折?捻挫?)を搬送したマーシャル達がいた。
ゴミを拾いながら走ったマーシャルがいた。
そういう事故などが続々と本部に連絡され、レース状況が手にとるようにわかったことに本部としてとても感謝していた。
選手マーシャルは役立っていないなどの批判も聞こえていたなか、かなり嬉しい事実が判明。
ただ、僕は何も貢献できていないことにちょっと…
今度は、清掃登山の話。
僕はA班。
A班は大所帯30名でスタートから入山峠の往復。
リーダーはSさん。
実は大会にでれなかった。
仕事が忙しく、スタート間に合わなかったのだ。
それでもスタートから10数時間後に、駆けつけ本部で救護にあたった。
彼は救護のスペシャリスト。
つまり、大会にでていないのに清掃登山に参加。
これは僕にはできないだろう。
実は、清掃登山では、道標も回収しなければならなかったのだ。
我々はそれを知らずに清掃。
Sさんはそのことを復路のかなり進んだところで気がついた。
だが時すでに遅し。
14時30分過ぎ、清掃登山は終了。
彼は本部に道標も回収していないことを報告し、一人山で戻り、回収していた。
自身が豚汁を食べてまったりしている時に。
一方、実行委員長達は車を出し、回収へ。
連絡が悪い。
すべてを一人で背負うことなんて、皆で助けあえばとも思うが誰にもいわずに淡々とこなすSさんがいた。
Sさんとは新宿まで一緒に帰ったが、戻って道標を回収したことは一切語らなかった。
いろいろ貢献した選手マーシャルがいたことを知ることができ、本当によかった。
彼らと同じものを背負うことができて本当によかった。
選手マーシャルも捨てたもんじゃない。
「すごいぞ。」って叫びたい。
子供のようにお祭りに夢中になった。
そして今ではそれが遠い夢のよう。その夢からなかなか覚めれない。
「夏祭り」
第十三章 FUN RUN
山を通して知り合った友人の多くがつくばや湘南国際を目指し、ロードへと降りる。
そんな中、依然として僕は山の中。
「トレラン行きません?」って誘ったり、「参加していいですか?」ってメンバーに加えてもらったり。
まさに「トレイル求めて何処までも。トレラン求めて何処までも。」って感じ。
紅葉、初冬と最適なシーズンを毎週のようにいろいろなメンバーといろいろな場所へ。
鎌倉、逗子・葉山に大山、北高尾、大岳山・日の出山、棒ノ折山、箱根、そして山梨にも。
また、翌年の4月に開催される2つの大会の試走も。
随分といろんな人と山を楽しみ、RUNを楽しみ、出会いを楽しみ、会話を楽しみました。
そしてまた、一緒に走る仲間が増えていった。
そして、年末には忘年会も。
走ってそして宴。楽しいひととき。
ただ、FUN RUNなのに一人遅れてしまうことも。。。
第十四章 誓い
12月31日の晩。
友人から電話が。
「初日の出見にいきませんか?」
「了解です。」
今朝は、5時30分に家を出て6時に港南台駅に到着。
途中、コンビニで塩豚まんを買って、食べる。
RUNスタート。走り初め。
そしてトレイルに。
ビートルズトレイルを駆け、横浜市最高峰大丸山(156メートル)を目指す。
トレイルはまだ暗い。
暗いトレイルを友人がハンドライトで照らす。
東の空が少しづつ明るくなっていく。
6時40分に大丸山に到着。
100人程だろうか。結構、いるな~。
正面から明るくなる。
日の出見るにはベストなポジションだ。
日が登る。
快晴の空にみえる初日の出。
事故と怪我のないように祈願。
大丸山~市境広場~大平山~明月院上~六国見山~大船高校。とトレイルを走る。
大船高校から大船駅までは歩く。
港南台駅から大船駅までのホームコース、14キロ余りが走り初めとなった。
元旦なので、今年の目標をたてる。
まあ、いわゆる「誓い」。
そのひとつが、これ。
「皆のFunRun、自身もFunRun」
昨年は、皆がFunRunしているところ、一人、まじRunが多かったでしたから。
もうひとつは・・・
年が明けてもあいかわらず、いろんな人たちと山で走っていた。
そして、突然の転勤。
第十五章 前夜
明日は、ハイキンング。
一通のメールが届いた。
「明日のハイキング」
コースがかわりました。
御嶽駅~御岳山~日の出山~金比羅尾根~武蔵五日市
一緒に行こうよ。
川崎駅に7時ね。
森川 しおり
金比羅尾根かあ。
何度も駆けたあの金比羅尾根。
晴れた日も。
ヘッドライトをつけて夜も。
そして雨の夜も。
なのにあの大会では…
ただただ歩いておりた。
すごく悔しかった思い出が…
僕は当時の日記を読み返した。
日記の最後には、こう記されていた。
***当時の日記***
家に帰って速報を書き終えた時、涙がでてきた。
そしてその涙が止まらなかった。
悔しくて。悔しくて。
金比羅尾根を歩いて下るために、練習してきたんじゃない。
金比羅尾根を歩いて下るために、奥多摩に通ったんじゃない。
金比羅尾根を歩いて下るために、何人ものトレイルランナーに教わったんじゃない。
金比羅尾根を歩いて下るために、自身にプレッシャーを与えて毎日、日記を書き続けたんじゃない。
レース中、ポケットから一度も取り出すことのなかった紙をながめた。
「想定タイム表」
レースを何通りも想定した紙だ。
その紙の最下段は…。
******
そうか、あの頃は、とてもアツかったんだなあ。
そういえば、確か翌年の元旦にも目標たてよな。
***当時の日記***
もうひとつの目標は、
「金比羅ダッシュ」
今年は、あの大会で金毘羅尾根を全力で駆け抜けたいな~。
*****
明日はあの大会の完走Tシャツを着て行こう。
ハイキングだけど。
最終章 前だけ向いて
今日は、快晴。
絶好のハイキング日和。
川崎駅。
立川駅行き先頭車両の前で手を振る姿が見える。
「こっちこっち。」
「久しぶり。」
「太ったね。」
「このとおりね。」
南武線、青梅線とたわいもない会話が続く。
「今日は誰がくるの?」
「よくわかってないの。」
そして、電車は御嶽駅に到着。
改札をでる。
「お帰り。」
「お帰りなさい。」
「久しぶりです。」
皆がいる。
お揃いのTシャツを着ている。
鮮やかなオレンジだ。
「これ。でもサイズ大丈夫かあ。」
皆が爆笑。
Tシャツを手渡される。
「早く着替えてこい。」
Tシャツに手をとおす。
右腕には白地でチェーンのように輪が幾重にも繋がっている。
仲間の輪を表しているそうだ。
左腕には白地部分が厚手になっている。
そして「ブルースター」を一つ渡された。
「完走一回だからな。」
スターは完走の数を表し、富士山の頂上にたどり着いた数、サロマ湖でゴールした数など自分で決めるそうだ。当然に「シルバースター」「ゴールドスター」もある。スターは着脱可能だ。そしてそのブルースターを付ける。
前にはいくつかのチームの名前。
いくつかのチームの共同制作。
最近、出来上がったため、皆もはじめて袖を通したもよう。
手渡されたTシャツに着替える。
そしてスタート。
御嶽神社を目指す。
「荷物持ちましょうか。」
苦笑いをして固く固く断る。
御嶽神社に皆で参拝。
そして日の出山へ。
日の出山から眼下を見下ろした。
「あの日、死にそうになってたヤツいたよな。」
「この人、本当に大丈夫かなって思いましたよ。」
「随分待ちましたね。」
「皆で写真とるぞ。」
あの日と比べてまた一つ輪は大きくなっていた。
「さて、いくか。少しは走れるだろ。誰か、荷物もってやれ。」
「おれ、持ちます。」
「どうだ。気持ちいいだろ。」
金比羅尾根を走る自分がいた。仲間がいた。
「おーい。」
「こっち、こっち。」
「はやくはやく。」
もう一度だけ駆けてみよう。この金比羅尾根を。
今度は力のあらん限り、全力で。ここにいる仲間と。
「走れ。走れ。」
「お待たせしました。」
~小説 金比羅尾根~(完)
そして現実の世界へ。
明日から続RtH(Road to HASETSUNE)がはじまる。
「第xx回日本山岳耐久レース」を完走するために。
金比羅尾根を駆け抜けるために。
全てはこの一本のトレイルからはじまった。
前作『”ここに”トレイル”があるから』より先に書いた作品です。
「自分を信じること」「あきらめないこと」「友」「仲間」「絆」「輪」がテーマ。
『自分を信じて。仲間を信じて。そして明日を信じて。』