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鶴を知らぬ猫猫

 猫猫(まおまお)はとあるお屋敷に勤める女中だ。猫の耳に猫のしっぽ、ガラスのような薄いあおの瞳を持っているが、れっきとした(とはいえ一人前とは言えない)働き者な少女である。


 春節とも呼ばれるこの時期のはじめを、世間は元旦と呼んでおり、先祖や神への祭祀もとい豊作を祈念する。猫猫にとって元旦とはそのように堅苦しいものでなく、ただただおいしいごちそうが並び、旦那様が女中達にも興じておすそ分けしていただける、一年における自分たちへの褒美の日としか思っていない。女中がいつもよりも軽やかに仕事をしている足音の兆しからわかることであろう。


(今年は大好きな、おさかなっ おさかなっ!)


 今にも踊りだしてしまいそうだと、鼻歌を歌いながら猫猫は笑顔で褒美のことを考えた。


(あれ、)


 ぴた、と猫猫は立ち止まり耳をぴくぴくと動かして猫猫は少しだけ扉があいている部屋をそろりと覗き見する。確かこの部屋は旦那様のお部屋だったはずだ。

 しっぽがゆらめくのは好奇心がうずいている証だが、いけないことだとわかっていても猫猫は誘惑に負けて聞き耳を立ててしまった。


「――それで、この鶴なのですが、旦那様にはこれくらいでどうでしょうか?」

「――――それならよかろう、なあに、余分に持って行け」


 鶴?猫猫は一度も聞いたことのない単語に首をかしげた。小さく呟けど一向に姿を考えつくことなんてできなくて、あっさりと考えるのをやめる。

 要は面倒臭がりで悩むよりは楽しく生きたい性格故の行動なのだが、猫だからで片づけられてしまえばそれまでの話かもしれない。

 見つかってしまって怒られないうちに猫猫は想像を膨らませて小走りで廊下を渡る。

 名だけしか知らぬそれに期待を膨らませて――褒美のことを思い出すと、先ほどまでのことはどこかにとんでいってしまった。



 元旦が終わってしまえば猫猫の仕事はいつものようにはじまる。

 掃除から食事の下準備、洗濯にと大きな屋敷の中の仕事は予想以上に多く忙しい。猫猫はこんな容姿のせいか親しき友人はおらず、果てには他人の分まで少し任されるものだから、仕事量はかなり多い。

 しかし、猫猫は弱音を吐かず、仕事ができる喜びを全身であらわしていた。


 今日は旦那様のお部屋の掃除だ。猫猫は今までに一度か二度ほど入ったことがあるが、元旦から日が立ち、その間一度も入っていないのでもしかしたらかの鶴を見ることが出来るかもしれないと期待に胸を膨らませた。

「失礼いたします」

 軽くお辞儀をしてから旦那様の部屋に入り掃除をはじめることとする、旦那様のお部屋には自分じゃ一生手の届かない高価な物が多く、壊してしまえば身体を売り払っても返せやしない。だからどの女中もこの部屋の掃除はいつも以上に気を使って取り掛かるのだった。


 猫猫はわかってはいても楽しくありたい性なので、誰にも見られていないことを確認すると鼻歌を歌い布巾を持つ。冬の残り香を思わせる冷たい水は、指先がかじかんで少し痛い。

 傍から見ても楽しそうに仕事をする猫猫に、どこからかくすくすと笑い声が聞こえてきた。

「む、だれ? 誰なの?」

 猫猫がガラスの瞳で部屋全体に視線を向けると、銀色の大きな鳥籠が見え、雪よりも白いそれを目にすることとなった。


 黒く長い髪の毛に、触れると溶けてしまいそうな儚さ。真白で覆われたそれの近くには銀の檻の外に少しだけその色と同じ羽が散らばっている。


「ねえ、あなたはだあれ?」

「私ですか。私は――鶴と呼ばれています」


 猫猫は大きな瞳を更に大きくひらいて驚く。旦那様の仰っていた鶴がどのようなものなのか知らなかったがために、目の前にいるそれが鶴だとは思わなかったからだ。

 確かに銀の鳥籠の中にいる鶴は美しく、雪の結晶のように触れた途端に壊れてしまいそうな脆さがあった。しかし、一言話してみると儚さとはまったく違い、むしろその幻想を否定してしまうものであった。

 旦那様とはこの声を聞かずに鶴を買ったのだろうか、もしそうだとしたら予想と大概外れてがっかりしてしまうんじゃないかとも思ったほどだ。


「あーあ。想像の中の貴方のほうが断然よかったなあ、本物が見たいと思っていたことは確かにそうだけど、それだったら見ないでいたかった」


 そう一言もらす猫猫に、鶴は悲しそうに目をふせて笑った。猫猫はどうしたのだろうと耳を立てて鶴の言葉を待った。


「確かに、私は貴女の仰る通りであるべきかもしれません。美しくあれ、そのように思われているからこそこの檻があるのでしょうね。……いえ、忘れてください。ただの戯言です。兎に角、あまりにも楽しそうにお仕事なさる貴女が、すこし羨ましくて、だから思わず笑ってしまった。それだけを覚えていてくださればそれでいいんです」


 猫猫に自分の羽を手渡し微笑む鶴に、猫猫は無性に悲しくなって、それでもどうして悲しいのかわからずに自分の一言を取り消したい気持ちになった。



 次の日もまた次の日も旦那様のお部屋の掃除を振り当てられることはなく、また七日ほど経った頃にようやくお仕事がもらえると、猫猫は真っ先に以前銀の鳥籠があった場所を見た。しかしそこには銀の鳥籠は最早、そこにいたはずの鶴さえもおらず、鶴からもらった羽で夢でなかったことを確認してから、ひどく心が荒れた。


 人に馬鹿にされがちな猫猫の耳を駆使して今までのことをまとめた限り、鶴は三日ほど前にまた売られてしまったという。

 旦那様は大金を積んだ割にはよい買い物だとは言えなかったようで、猫猫が旦那様のお部屋を掃除するまで商人を根に持っていたともいう。

 結局、この広いお屋敷のどこにも猫猫の見たあの鶴はいないのだ。それだけが今わかる事実で、覆らない現実である。



 猫猫(まおまお)は女中だ、未だに一人前とは程遠い。されど働き者で、しかしその容姿から友人はいなかった。

 束の間に会話したあの鶴ともしかしたら友人となれたかもしれなかったが、それも今更な話である。

 次の冬になるとあの姿を思い出すかもしれないと、物事を忘れがちな猫猫は珍しく、今までに抱えたことのない不安をいだいて、明日を想った。

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