彼の焦がれた永遠の終
既知として、王道RPG的異世界召還ファンタジー設定をベースに使用しています。
「『希う』」
涼やかな、それでいて感情の篭らない声が、騒然としていた広間で不自然に反響する。
と、同時に魔の動きが止まり、全てを飲み込まんとするが如く立ち上っていた黒炎までもが時を奪われた。その様を見て漸く、先程の異国の言葉が強い魔力を伴っていたことを悟る。
呪文でもない、痛切なまでに無機質に冷めた声は、震えてなどいなかったのに、どうしてか。その主は気が狂いそうな悲しみを抱いていたに違いないと、直感させた。
唖然とする屈強な戦士達の間を、細身の影が駆け抜けた。脇目も振らずに一直線に魔へ向かう、ゆるぎない足取り。……彼、だった。
言葉の通じない、優しくもどこか狂った美丈夫。人形のように無感動で、儚さを滲ませたその笑みに、誰もが皆アレは庇護されるべき者だとばかり思っていた。決して能動的ではなく、生命の危機に瀕しても尚静かに微笑むばかりで、戦おうとしなかった異界の落とし子。
信じられない思いで俺達は見守った、――というよりも、かの言葉は戦士達の足までも静寂に縫い止めていたのだった。
硬直から解放される様子のない魔の元へ、誰に阻まれることもなく辿り着いた彼は、そのたおやかな指先でふわりと魔の顔を包み込む。そして、今まで見せたこともないような、優しく、けれどどこか男臭い顔で笑いかけながら、魔と化した女の壮絶なまでに整った顔に唇を寄せた。ある種の神聖さを滲ませた、口づけ。誓うように、祈るように、けれどそれは一方的な。
見開いたままの目を閉じることすら敵わない魔の耳裏に添わされた彼の指先が、慈しむようにゆったりと頬へ移動していく。確かめるように繰り返される、流れるような所作から滲み出る痛いほどの想い。何者にも邪魔はさせないと、しらしめるように。
「――、――……」
聞き取れはしない微かな音。繰り返し、何度も何度も。……あれはきっと女の名に違いなかった。
ギリギリまで寄せられた秀麗な顔が、そこかしこに唇を沿えては離れていく。儀式のような不思議な神聖さを纏った、永遠のような時。時間を奪われた地の、限りなく永久に近い刹那。
どれほどそれが続いたのかわからない。時の神までも魅了した凄絶なる美の儀は、唐突に終わりを迎えた。
魔の耳元で、彼は囁いた。聞き取ることすら叶わない異国の言葉、けれどその意味は直接心に響く。――彼の、彼だけに許された、特別な歌声が告げる想い。
『君 を 愛 し て い た』
身を寄せ、頬を触れ合わせながら妖艶に伏せられた瞳が捉えたのは、すぐ傍らで散った戦士が取り落として逝った剣。
スッ――と拾い上げたそれで、彼は躊躇いなく魔を貫く。色香を漂わせた細い首を真横から大地と平行に貫いた、鈍い光。
それは全ての終だった。
時を取り戻した広間で、けれど動く者はいない。誰もが茫然と、崩れ落ちる魔、そして緋に染まりゆく彼を見つめていた。魔の遺した黒炎だけが煌々と燃え盛り、しかしやがてそれも消滅する。かの魂が完全に失われたことを、示すように。
それで尚も俺達は動けなかった。言ノ葉の呪縛は消え、討つべき者ももはや無い。しかし静寂だけがそこにあった。
あれほど見事な硬直術は見たことがなかった。言葉一つで空間そのものを縫い止めた、痛切な音。邪など失せたかのような、美しい永遠。そして、硬直したものを――ましてや魔と化した者を、あれほど容易く貫く剣など見たことがなかった。
嗚呼、と誰かが呟いた。
彼は並ぶ者がいないほどの、まごうことなき強者であった。それはまさに語り継がれた伝説通りの。彼ほどの戦士はいない。魔術師も剣士も、彼に匹敵する者など存在しないに違いない。けれど彼は決してそれを滲ませなかった。何故か。彼は、――力も、争いも、望まず。ただこの終だけを、待っていたのだ。
「イヅキ……」
今一度だけ囁かれた名。そして彼の頬を伝う、比類なく美しい、哀しみの雫。
深淵のような痛みに、俺達は終を手にしたことを再度悟った。
魔は討たれ、苦しみは消え、永き闇は終わりを告げる。伝説通りのハッピーエンド。けれど引き換えに、彼が、英雄たる者が、失ったのは。
今暫くの間、静かなる痛みを伴った哀しみは、俺達を、そして彼を、捉え続けるのだろう。
彼の焦がれた永遠の終
――(哀しみと引き換えに、得たモノは)
補足:
・「彼」は異世界人。無気力で戦闘能力皆無(※実際にはチート)のため神子ポジ。本来なら戦闘の場にいるはずがなかった。
・「魔」は女性。「彼」の(元)恋人。魔堕ちし、ラスボスポジションに。
・「俺」は魔討伐の精鋭部隊の戦士A。状況がわからず硬直⇒呆然。