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第四話

『……吸血鬼ぃ?』

 タマゴはわざわざおどろおどろしいフォントを選んで駅構内の壁に表示した。

 休日の改札前は、待ち合わせらしい学生やらリュックを背負った老人やら家族連れやらでごった返している。僕たちは壁際に陣取ってエルさんを待っていた。

 僕が待ち合わせ場所に来たとき、日傘を持ったアヤノさんとタマゴは既に待っていて、二人してなんだかやけにそわそわしていた。僕に遅れること二十秒くらいでナナセも現れ、昨日電話で軽く説明しておいたエルさんとのことを詳しく報告して今に至る。

『それはまた……変人ね』

 タマゴは自分のことは棚に上げて、呆れたような台詞を表示した。

「宇宙人がいるんだから吸血鬼がいたって良いじゃないか」

 僕は投げやりに言葉を返す。

「ねえねえリョウ君、もしかしてあの方じゃないかしら?」

 さっきからそわそわと改札の方を気にしていたアヤノさんが指し示した先には、確かに小走りでこちらにやって来るエルさんがいた。

「遅れて申し訳ない。出ようとしたところで仕事先から電話が入ってしまってね」

 エルさんは立ち止まり、乱れた呼吸を整えながら謝罪する。

「あの、あの、もしかして」

 アヤノさんが咳き込んで身を乗り出した。

「シオザキという名字に、聞き覚えございませんこと?」

 エルさんは黙ったままアヤノさんを見下ろし、二、三回瞬きを繰り返した。

 突然の質問だけど……もしかして……?

 僕とナナセは息を呑んでエルさんの反応を見守る。

「……シオザキ……アヤノ……?」

 呆然と呟いたエルさんに、アヤノさんは嬉しそうに両手を打ち合わせた。

「ああ、やっぱりそうだわ。こんなふうに会えるなんて、すごい偶然ですね。嬉しいわ」

 アヤノさんは僕とナナセの方へ振り向いて満面の笑顔を浮かべる。なんだか五歳くらい若返って見えた。

「私、以前ルーマニア語を勉強していて……。そのときの文通相手なんですよ」

 アヤノさんは感慨深げに解説する。

「あんな昔に書いた桜の話を、ずっと覚えててくださったなんて……。それにしても、昔の写真と全然変わってらっしゃらないのねえ」

 再びエルさんの方へ振り向き、アヤノさんは首をかしげた。

「吸血鬼ですからね、年は取らないんですよ」

 余裕を取り戻したエルさんが笑う。

「まあ」

 アヤノさんも右手を口に当て、上品に笑った。二人が並んで笑っている様は不思議と絵になる。

 ふいに肩の上に何か柔らかい感触が乗っかった。振り向くと、タマゴが僕の肩の上でくつろいでいた。

 タマゴは談笑する二人にじっとレンズを向けている。

「どうかした?」

「あ、待って」

 ナナセが僕の様子に気付いて、ハンドバックからハンカチを取り出した。

『なんでもなぁい』

 タマゴはちらっとハンカチに文字を映し、また二人の方へレンズを向ける。

「なんか、嬉しそうだね」

 ハンカチを広げたまま、ナナセは小さく笑った。

「アヤノさんとエルさんが?」

「ううん。タコちゃんが」

 そうなのか……と呟いて、僕は肩の上のタマゴに視線を落とす。オパール色のレンズがちらちらと明滅している。うきうきしつつも、やけに落ち着いた雰囲気。なんか覚えがある。

 ……なんだっけ?

 エルさんとアヤノさんが思い出話に花を咲かせながら歩き始め、ナナセと僕はその後ろを二メートルほどの間を空けてついて行く。タマゴはまだ僕の肩に乗ったままじっとしている。


 公園に辿り着く頃、僕はようやく思い出した。

 タマゴのこの雰囲気、高三のとき、一緒に馬鹿ばっかりやってた悪友が、突然「父の跡を継いで宮大工になる」と宣言したときの雰囲気に似てるんだ。進学校で、周り中皆が進学を目指す中での決断。僕に打ち明ける直前の奇妙なハイテンション。宣言した瞬間、本人はへらへら笑っていたけれど透けて見えた不安と緊張感。期待と誇らしさ。同じ目線に立っていたはずの友人が急に大人びて見えた。

 ちょっとショックだったから、その時のことははっきりと覚えている。

 ……でも、何でだ? 何で今、タマゴに同じ雰囲気を感じるんだろう?


 枝垂桜は、大きく張り出した枝を持つ見事な大木だった。いくつもの支え木が広がった枝を支えている。名前の通り枝垂れた枝は、今は緑も薄紅も何もまとってはいない。張り巡らされたロープと立ち入り禁止の看板が、僕たちと桜を隔てていた。看板には、あと一週間ほどで切り倒し作業が行われる旨が書かれている。

「本当に……切り倒されてしまうんですね」

 アヤノさんがため息をついた。

「思い出深い木なんです。幼い頃から毎年見守ってきた木ですし、エルさんにもぜひ見ていただきたかったのに……」

「でも、そう……仕方がないことなんでしょうね。私はきっともっと早くにこの町を訪れるべきだったんでしょう」

 エルさんも桜を見上げてため息をつく。大きく広がった枝はエルさんの頭上まで届いていた。

「明後日にはこの町を発つ予定なんです。今朝呼び出されてしまったものでね。私にはやらなければならないことがあるから」

 エルさんは、そう言って寂しそうに微笑んだ。

「でも、アヤノと会うことが出来ただけでも、ここへ来た価値はあった。この桜が満開になった様子を見ることができなかったのは、本当に本当に残念だけれど」

 それきり、全員が言葉を失って桜の木を見上げる。

 立派な木だった。大きく広がって垂れ下がった枝は今は心なしか力ないけれど、きちんと手入れされていて幹を覆う丸天井のようだ。この木に満開の桜が咲いたなら、どれほど感動的な眺めになるんだろう。これだけ長い間近くに住んでいたのに、今まで見に来なかったのが今さらながらに悔やまれる。

 思いを馳せていると、それまでおとなしかったタマゴがふいに僕の肩を強打した。

「うわ! な、何するんだよ!?」

 バランスを崩しかけて抗議した僕には答えず、タマゴは何かにとりつかれたかのように空中を乱舞する。

『私、嬉しいわ』

 アヤノさんが慌てて差し出した日傘に、タマゴはまじめなフォントで文字を描いた。

『嬉しかったから、君達に満開の桜を見せてあげよう。この木で』

 フォントは途中でだんだん丸く弾み始める。

「……花咲か宇宙人……?」

 僕は思わず呟いた。

『リョウ、ネーミングセンス悪い』

 即座に突っ込まれた。タマゴにだけは言われたくない。

「お前の科学力って、そこまでできるのか? そんなことできるんなら、この桜を助けることだってできるんじゃないのか?」

 僕は思わず詰め寄る。

『あらやだ。無理よ。宇宙人のタマゴってのは嘘なんだもの』

「まあ……」

「おや」

「えっ?」

 アヤノさんとエルさんとナナセが目を見開いた。

「……あ、そう。で、正体は?」

 半ば納得、半ばがっかりしながら僕は半眼で尋ねる。

『……リョウだけ反応薄いわね』

「いや、俺はもともと信じてなかったし」

『あらそう。懐疑的ねー。うん、でも宇宙人のふりも楽しかったあはは。で、本当は桜の木の精なの』

 僕以外の三人は納得のため息をついた。なぜ納得できるんだ。

「……それもまた信憑性ないな……。大体何だってそんな無意味な嘘を?」

『これは本当だってば。ほら、私がこの桜だってわかってない方が正直な意見を聞けるじゃない? 私は私がどう思われているか知りたかったの。もう寿命だってわかってたからさ』

「それにしてもなんで宇宙人……」

 僕はあえて話題を逸らそうとした。

『やっぱり未確認飛行物体なんだから宇宙人かなあと思って』

 タマゴはあくまで脳天気に答える。

『自分の存在が誰の心の中にも残ってないなんて切ないじゃない。だから、本当に知りたかったのは、私のことを大切に思ってくれてるひとがどれくらいいるかってこと。自信はあったのよ? 私、いろいろなひとに愛されてた。だから、いなくなるときはそれに感謝しながらいなくなりたいって。そう、思ってたから』

 突っ込みどころが見つからなかった。何も言えない。言葉が出てこない。

『エルやアヤノみたいなひとがいると、本当に嬉しい』

「タコちゃん……」

 アヤノさんが泣きそうな声で呼びかける。

『そんなわけで、決行は明日の夜ね。ほら、私にも心の準備とか挨拶回りとかいろいろあるからさ』

「なんだよ、挨拶回りって……」

 タマゴはあからさまに狼狽した僕の質問には答えず、くるりと回転して空に浮かび上がり、桜の周りを一周した。

『じゃあ、さっそく行って来まぁす。明日夜九時半頃ここに来てね。絶対よ』

 戻ってきたタマゴは、力なく差し出された日傘に丸文字を躍らせて再び高く飛び上がる。飛び去る一瞬前、タマゴのレンズが確かにこちらを向いた。

 なぜだかわからないけど、笑いかけられた、ような気がした。

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