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第三話

 タマゴは本当に欠席した。ナナセと僕が駅で合流した直後、アヤノさんから電話がかかってきたのだ。欠席の理由は頭痛だった。

 ……あれのどこに頭があるって言うんだ?

 僕は非常に疑問に思ったが、ナナセは心配そうに「ゆっくり休んで、お大事にって伝えてください」なんて言っていた。

 その後、ナナセが朝食をまだ取っていないと言うので、僕たちはファーストフードの店に入って朝食を食べた。そこで気がついたんだけど、人間どうも一緒に食事をとると結構打ち解けるものらしい。サークルの新入生歓迎会で必ずといっていいほど食事会が入るのも、ナンパの常套句が「お茶しない?」なのも、あながち根拠がないでもないみたいだ(まあ、ナンパの方はそもそもお茶まで持ち込むのがかなり難しいんだろうとは思うけど)。

 そんなわけで、僕らは静宮高校の教師や部活、施設の特徴(僕の友人が壊した三階の渡り廊下のドアの鍵は未だに壊れたまんまだとか)についてしゃべり続けながら、曇天の下を中央図書館へとやって来た。


 大体の当たりをつけて持ってきた本をテーブルに積み上げ、借り出す本と借りない本、一部だけコピーさせてもらう本に仕分けする。この図書館、郷土史料がやたらと豊富で、一通り調べるだけでもなかなか大変だ。ブックレットとかパンフレットとかの類が多くて、目次を見て内容を判断出来ないのも痛い。

 目が疲れてきた僕は、頬杖をついて正面に座ってページを繰るナナセを眺めた。

 ……言い訳をさせてもらうと……いや、言い訳になってないかもしれないけど、ナナセは本当に目の保養になる。黒目がちで少し童顔のアイドル顔に長くて真っ直ぐな黒髪。

「髪、長いよね」

 僕はぼんやりと呟く。

「うん。バイト、してるから」

 ナナセは資料から顔も上げずに答えた。

「バイト?」

「そう。家が神社だから、巫女のバイト。祭りのときだけだけど」

「あ、神社ってもしかして鎮森神社? 小さい頃よく遊びに行ったなあ。名字が同じ音だからなんだか親近感あってさ」

「今もよく境内で子供が遊んでるよ。いまどき珍しいガキ大将とかいたりして」

 ナナセはようやく顔を上げ、僕に向かって微笑した。

 なんだかデートみたいだ。胸の高鳴りってこういうことを言うのかなあ。

 と、僕が馬鹿なことを考えていると、ナナセはふいに笑顔を消して、まじめな表情で僕に蹴りを入れた。

 はっきり言って痛みなんてこれっぽっちも感じなかったけど、ナナセがこういう意思表示をしてくるのはなんだか珍しい気がする。

「何で蹴るんだよ!?」

 だから僕はとりあえず反抗してみる。

「……なんだか、やらしい笑い方、してたから」

「う……」

 僕は思わず絶句した。反論したい。したいが、しかし事実だ。

「……べ……別に……俺は……」

「ちゃんと作業、して」

 ナナセはしどろもどろの僕ににべもなく言い放った。

「失礼。ちょっといいかな?」

 再び資料に視線を落としたナナセの背後に、突然見知らぬ男性が現れる。線の細い、銀髪に青い瞳の、映画俳優ばりのえらい美形の外国人だった。スーツをスタイリッシュに着こなしていて、ネクタイもきちんと締めているのに不思議と涼しげな印象だ。外人だし銀髪だしで年齢不詳な感じだが、たぶん三十を越えてはいないだろう。どうやら僕たち二人に話しかけているらしい。

「何ですか?」

 ものすごい美形っぷりに若干の気後れを感じながら僕は尋ねる。なんだか人間離れして見えるのは気のせいか僕が外国人を見慣れていないからか。いや、見慣れてないってことはありえないよな。うちの大学にも留学生はいっぱいいるし。うち二人なんて飲み仲間だし。

「その資料、私も一緒に閲覧させてもらってかまわないだろうか?」

「えっ、あ、はい、もちろんです! すみません、独占してしまって」

「はは、謝ることはないよ。たまたま欲しい資料が一致していただけだからね」

 銀髪の男性は、立ち上がってぺこぺこ頭を下げる僕に爽やかに笑いかけ、ナナセの右一つ置いて隣に座り、積み上げてあった資料をめくり始めた。

 僕はついちらちらとそちらを観察してしまう。やっぱりこの存在感、ただ者じゃない。いや、もちろん僕にはただ者か大物かの違いなんてわからないんだけど。

 男性は物憂げにページを繰り(やたら絵になる)、しばらくしてからふと手を止めてわずかに目を見開いた。ページは僕たちが付箋をはさんでおいたところで止まっていた。

「ちょっと……聞いてもいいかな」

 ナナセは資料から顔を上げ、男性へ振り向いて頷く。僕も慌てて頷いた。

「君達もこの桜に興味があるのかい?」

「……も、ですか?」

 ナナセが呟く。

「もうすぐ切り倒されると聞いてね。私は、なぜこの木が切り倒されなければならないのか調べていたんだよ」

 男性が指し示したのは、紛れもなく僕たちが調べている枝垂桜の写真だった。ナナセと僕は顔を見合わせる。

「僕らもその桜について調べてるんです。なぜその木が切り倒されるのかを」

「それから、その木が、人々にどれほど大切に思われていたかを、です」

 ナナセが僕の言葉を引き継いで言った。

「……思われていたか?」

 そんなテーマあったっけ?

「タコちゃん、そっちの方が興味あったみたいだから。リョウ君は気付いてなかった?」

「……うん」

 言われてみれば、確かにタマゴはそっちに興味を引かれていたかもしれない。ナナセ、よく見てるなあ。なんというか、気配りができてるんだろう。見習いたいところだ。

「失礼。そのタコというのは、確かこちらでは食用にもなる八本足の軟体動物のこと、を指しているのかな?」

 男性が首をかしげる。

「いいえ。宇宙人のタマゴです」

 ナナセはさらりと直球を投げた。男性はにこやかに凍りつく。僕はどうフォローしたら良いのかわからない。

 ……気配り……?


「なるほど、それは興味深い話だね」

 この話を聞いてなるほどと思える人間がどうして最近こんなにも多いんだろう。タマゴと出会ってから、僕の周囲はワンダーランドになってしまったような気がする。

「良ければ、だが、ぜひその宇宙人のお嬢さんを紹介してもらいたいな」

 お嬢さんはマドモワゼルの訳語だ、という実感が突如として襲ってくるような口調で男性は言った。

「ええ、明日は祝日だから、また集まることになると思うんです。ご都合がよろしければご一緒します?」

 展開についていけない僕を後目に、ナナセはちゃきちゃき話をまとめていく。

「ああ、明日なら一日中暇だよ。天気も曇るらしいしね。楽しみにしているよ」

「じゃあ、待ち合わせ場所が決まったら連絡しますね。あ、申し遅れました。私は七瀬夏海と言います。ナナセって呼んで下さい」

 ナナセが改めて自己紹介をし、僕も慌ててそれにならった。

「俺は静森亮です」

「私は……」

 銀髪の男性は名乗りかけて、ふと言葉を切る。そのまま迷うように周囲の書架に視線を走らせた。

「……エル、ということにしておいてくれると助かるな」

「……しておいてくれ……って?」

 いかにもうさんくさい名乗り方に僕は思わず表情を強張らせる。

「訳あって本名を名乗るわけにはいかないんだ。申し訳ないけれど」

 男性は困ったように眉根を寄せた。

「はあ……」

「本名を名乗れない、って言うと……?」

 ナナセと僕も眉根を寄せて顔を見合わせる。

 エルと名乗った男性は、僕らを交互に見ていたが、ふいに悪戯を思いついた子供のような微笑を浮かべた。内緒話のように僕たちに向かって身を乗り出し、声をひそめる。

「実は私は吸血鬼なんだ」

「……なるほど」

 僕はまじめな表情で頷く。

「ははは、冗談だと思ってるね」

 エルさんは身体を起こし、朗らかに笑った。

「普通は冗談だと思います」

 僕はため息をつく。

「まあ、宇宙人がいるんだから吸血鬼がいたって良いじゃないか」

 自称吸血鬼はあくまで爽やかに言い切った。

 ……あの桜には、もしかして変人を惹きつける何かがあるんだろうか。

 エルさんの手元、青空をバックに誇らしげに薄紅を浮かび上がらせる枝垂桜に、僕は疑惑の目を向けた。


 昼食はエルさんの要望で図書館と同じ建物の中にある喫茶店で食べることになった。図書館は中央公園の隅にあって、同じ建物の中に美術館と喫茶店が入っている。なかなか豪華な仕様だが、地元の人ほど存在を知らないらしい。

「ああ、晴れてきてしまった」

 喫茶店の窓から外を見て、エルさんが嘆く。

「曇りのままだったらこのまま桜の木を見に行こうかと思ってたんだけどね」

「晴れるとまずいんですか?」

 僕はメニューから視線を上げてエルさんの視線を追う。確かに、窓の外の緑は太陽の光を弾いて鮮やかに明るい。

「見ての通り色素が薄いから太陽の光は苦手なんだよ。灰になってしまう」

 エルさんは瞳を細めた。薄青い瞳が灰色を帯びる。どこまで本気なのかわからない。

 僕は諦めて再びメニューをにらみつけた。隣でナナセがそわそわとハンドバッグを覗き込む。

「どうかした?」

「う……ううん。いや、その」

 ナナセは気まずそうに僕を見上げ、すぐに視線を逸らした。

「……ごめん、お金、借りる……かも」

 消え入りそうな声で呟く。

「おや」

 僕の向かいから意外そうな声が上がった。

「もちろん、私がおごるよ」

「そんな、申し訳ないです。理由が無いですし」

 ナナセは恐縮しきった様子で首と両手を横に振る。

「理由かい? 素敵な女性と素敵なタマゴの紹介料だよ、もちろん」

 エルさんはあごの下で両手を組んで微笑した。背景は小洒落た喫茶店、窓の向こうに植えられたマロニエ。差し込む秋の陽光は穏やかに美しい。

 まるで映画のワンシーンみたいだと、僕は思った。

 ありがとうございますと、ナナセは頭を下げた。


「だいぶ昔の話なんだけどね」

 エルさんは、どうしてあの桜について調べているのかという僕の質問に答えて話し始めた。

 僕とナナセは揃って一番安いスパゲティと格闘していて、エルさんはコーヒー(ブラック無糖)を飲んでいた。本人曰く、吸血鬼だから人間の食べ物はおいしくいただけないんだそうだ。なんかもう吸血鬼でもいいやって気分になっていた僕は突っ込みを入れる気にもなれなかった。

「私は日本語を勉強していて、その一環で日本人の女性と文通をすることになったんだ」


 どちらも根気のあるタイプだったのかよっぽど相性が良かったのか、文通は五年近く続き、エルさんは自分の体質のことも相手に打ち明けていたのだそうだ。

 ある春のこと、届いた手紙には「私は今桜の木の下で手紙を書いています」と書かれていた。

 桜の木は私の住む国ではとても愛されている。すごく綺麗な花だから、あなたにも見せてあげたい。桜は夜になっても花が咲いたままだから、日中外に出られないあなたとでも一緒に見に行くことができるのです、と。


「彼女が一番好きだと言っていた夜の枝垂桜をぜひ見てみたかったんだけど、日本まで来ても時期が合わなかったりスケジュールに空きがなかったりで見る機会がなくてね。今年の春、ようやく来ることができたんだが、タッチの差で葉桜しか見ることができなかったんだ」

「それは、残念でしたね……」

 呟いたナナセの皿にはまだ半分くらいスパゲティが渦巻いていた。ちなみに僕はとっくに食べ終わっている。

「その桜が今年切り倒されてしまうと聞いて、未練がましくまたこの町に来てしまったんだけど。本当に……もうすぐ切り倒されてしまうらしい。できるなら来年の春まで待って欲しいんだけど、そうもいかないみたいでね」

「……そうですか」

 ナナセはしんみりとスパゲティをフォークで巻き取った。

「そうもいかないって……じゃあ、どうして切り倒されることになったのかはわかってるんですか?」

 確かさっきは「なぜこの木が切り倒されなければならないのか調べている」って言ってなかったっけ?

「ああ、枯れたからだよ」

 エルさんはあっさりと答えた。

「池のほとり、橋のすぐ側に立っているものだから、柵で囲って立ち入り禁止にするわけにもいかないらしくてね。名木だから市としても守っていきたいところなんだそうだけど、安全面を考えると早急に切り倒さざるを得ないんだそうだよ」

 市役所で聞いてきたんだ、と、エルさんは言葉を切る。

「あの、失礼ですけど、そこまでわかってるんだったら図書館には何を調べに?」

「ああ、なぜ切り倒されることになったのかは、『調べていた』と言わなかったかな? 今日は中央公園の管理局に桜の種子を分けてもらえないか聞きに来たんだよ。休みだったけどね。それで、せっかくだから図書館に寄って桜の歴史を調べてみようと思ったんだ」

「種子を、ですか?」

 ナナセが首をかしげた。中途半端な位置で止められたフォークからスパゲティが流れ落ちる。

「根付くかどうかはわからないけど、私の家の庭に植えてみようと思って」

 エルさんは非常に絵になる仕種でコーヒーに口をつけた。

「なんだか……とても大切になさってるんですね。その、文通相手の方との思い出……」

 ナナセが呟く。

「そうだね……」

 エルさんはカップを片手に微笑を浮かべた。

「彼女とのことは良い思い出だよ」

「その方は今」

「エルさんのご出身て」

 ナナセと僕は同時に疑問を口にして、同時に途中で言葉を切った。微妙に気まずい空気が流れる。

「彼女は今、私の知らない誰かと結婚して幸せにやっているよ。年賀状だけは未だにやり取りしているから知ってるんだけどね。で、私の出身はトランシルヴァニア。吸血鬼らしいだろう?」

 エルさんは楽しそうな微笑と共に両方の疑問に答えた。どこまで本気なのかは例によって例の如く不明だ。


 その日僕らは夕方まで図書館で調べ物と雑談をして過ごし、翌日の朝九時半に改札前で待ち合わせることを約束して別れた。

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