序章
皇紀2600年8月5日。その日、宮内庁は騒然とした雰囲気に包まれていた。
「神器が盗まれただと」
宮内大臣 源康時は、普段は温厚で口数の少ないたちにもかかわらず、この日ばかりは大声で叱責を繰り返さずをえなかった。いや、あまりの異常事態に、何かを口にしなければ頭がおかしくなってしまいそうに感じていたためかもしれない。
「はい、三つとも。三つともでございます」
長官の李光輝は目を伏せ、内心平服せんばかりの面持ちで答えた。
「しかし、御鏡も御玉も御剣も、別々の金庫に厳重に保管されていたはずではないか。ナチの特殊工作員でも開けられないと豪語していたのはそなたであろう」
「それが、一か所に集められていたのです。例の博物館公開の名目で」
「ばかをいえ、一般公開には贋物を使う予定だったではないか。鑑定士の目もあざむける精巧なレプリカを作るために少なくない額の予算を費やしたのはお前が一番身にしみているはず」
「さよう。しかし、何者かが知らぬ間に両者をすり替えたのです」
「では、いま地下金庫にあるのは……」
「間違えございません。すべて紛い物にございます」
「陛下にはもう奏上申し上げたのか」
「申し上げる以前に、解決いたしたく。それが、大和心ある臣下の道と心得ます」
「長官どの」
部下の一人が慌ただしく戸を開けた。
「無礼者。ここは神聖なる宮中だぞ。礼をわきまえず、いきなり戸を開けるとは何事」
「申し訳ございません。ただ、依然副長官どのとの連絡が取れず……」
李長官が疑わしげに眉間に皺をよせた。「それだけか」
「いえ、これは噂にすぎませんが、副長官が一昨日の夜中に家を抜け、横浜の港に向かわれたと。数人がかりで何かの荷物を運んでいたとの目撃証言もあります」
大臣と長官ははっと目を見交わした。
ここまで読んでくれてありがとうございます
今後とも読みやすい文章を心がけて行きたいです