【第31課】オレっ様は、言葉より行動派だ!
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──王都ミルフィア・ロイヤル・アカデミー校舎前・早朝
灰色のマントがはためく。 逆立った髪、鋭い視線、そして狼の耳と尾。 静かに歩くその青年は、門の前で立ち止まり、校舎を見上げる。
「“ニホンゴ”…ってやつ、オレっ様に必要だとさ。ま、やるツモリで来たけどな」
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──王都ミルフィア・ロイヤル・アカデミー教師準備室
「新しい生徒、来るって話、本当なんですか?」
タカシがプリントを整理しながら言うと、ドラン=ザ=スケイルが頷いた。
「うむ。獣人族の青年、名はリグ=フェンリル。辺境防衛隊に所属している斥候の見習いだ」
「へえ、現役の隊員が?」
「どうやら任務で遠方の異国に派遣される予定があり、そこで“ニホンゴの使い手”が関わると予言者に言われたらしくてな。上層部の命令で、前もって日本語を学んでおけとのことだ」
「で、うちのクラスに?」
「他の教師は時間帯が合わなかったようで、夜間の任務とも両立できるクラス……つまり、お前たちのところに白羽の矢が立ったというわけだ」
「なるほど……」
ミネル=シェリアが付け加える。 「ただし、性格はかなり頑なで無愛想らしいわよ。あなたたち、気をつけてね」
「……了解です」
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──ロイヤル・アカデミー 特別ニホンゴ教室・授業前
朝の教室では、生徒たちがちらほら集まりはじめていた。
リリィが椅子に座りながら笑顔で言った。 「ふふっ、最近、ユメ先生の授業、けっこう楽しくて」
ヴァイスが静かに頷いた。 「……ギャル語、少しワカルヨウニ ナッテキタ」
リリィは笑いながら言った。 「“〜ジャネ?”とか、“〇〇ミ ガ フカイ”とか、変だけど面白いよね」
グンゾが入ってきて、大きな鉄の鞄を机に置きながら加わった。
「オレ、“ソレナ〜”ってマジで使ったら、鍛冶場の弟たちに笑われた」
リリィは思わず吹き出した。 「えっ、グンゾ、それかわいい……」
その横から、クーニャがひょっこり顔を出す。
「ユメセンセ〜、“マジそれな〜”って言ってたよね〜」
ユウトはノートを確認しながらぼそっと呟いた。 「……書キ言葉ト 話シ言葉ノ違イ……教材ニハ載ッテイナイケド……勉強ニナル」
そこへ、タカシとユメが連れ立って教室に入ってきた。
「おっ、みんなそろってるな。今日は新しい仲間を紹介するぞ」
ユメがぱっと教室の前に立ち、笑顔を向ける。 「新入生、リグ=フェンリルくんです〜!」
ドアの外から、灰色の狼耳を持つ青年がゆっくりと入ってきた。 髪は逆立ち、肩には古びたマント。目つきは鋭く、教室の空気がピリリと緊張する。
「……リグ=フェンリルだ」 短く名乗ると、彼は壁際の席に無言で腰を下ろした。
クーニャが小声でつぶやく。 「……イヌ、キター」
「イヌじゃねえ、狼だ!猫じゃねーか、そっちは」
リグがぴくりと耳を動かすが、目線は前を向いたままだった。
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──授業・前半(タカシのパート:意向形)
「じゃあ今日は、未来の予定や意志を表す言い方をやるぞ。まずは動詞の新しいカタチ、「意向形」だ!」
板書:
・タベル → タベヨウ
・イク→ イコウ
・スル → シヨウ
タカシは振り返って言った。 「“よし、タベヨウ”みたいに、何かを“するぞ!”っていう気持ちを表す形だ。未来の意志や提案にも使うぞ」
リリィは手を挙げ、笑顔で言う。 「“オワッタラ、カフェ イコウ〜!”」
グンゾは力強く言った。 「“モリノ ナカ デ、バーベキュー シヨウゼ!”」
ユウトは少し照れながらも真面目に言った。 「“ケンキュウ ヲ ハジメヨウ ト オモイマス……”」
クーニャが元気よく手を挙げて言い放つ。 「“ユメセンセ〜 ト イッショニ、ギャグ ノ レンシュウ シヨウ!”」
その一言に、ユメが顔をぱっと明るくし、両手でガッツポーズを作った。
「えっ、クーニャ、それってまさか……アタシのギャグがもう教材入りってこと!? うれし〜〜っ!」
教室が和やかな笑いに包まれる中、タカシはちらりとリグに視線を送った。
教室の隅に座るリグは、机に肘をついて腕を組んだまま、まるで壁の一部のように動かず、無言でこちらをじっと見つめていた。目は鋭く、誰にも気を許していないような獣の警戒心がにじんでいる。
(リグは……まだ何も言わないか。でも、初回の今日は無理に発言させなくていい。まずはこの雰囲気に慣れてもらえればいいさ。)
そう思い直し、タカシは小さく頷いた。
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──授業・後半(ユメのパート:〜ツモリ)
ユメが黒板の横に立ち、明るく声をかけた。 「お次は“〜ツモリ”だよ〜!これは、“予定”とか“つよい気持ち”を言いたいときに使いま〜ッス!」
板書:
・アシタ、ベンキョウ スル ツモリデス
・マイニチ、ハヤク オキル ツモリデス
・ウチ、シゴト サボル ツモリデス(ジョーダン ダヨ)
「“ツモリ”は、“やる気まんまん!”とか“ぜったいやる!”っていう“予定”や“決意”を表す感じかな〜」
クーニャは嬉しそうに笑って言った。 「“ユメセンセ〜ノ ギャグ、ワラウ ツモリデス〜!”」
ユメはややふくれ顔で応じる。 「それ、ワラウ“ツモリ”だけ!? ガチで笑ってほしいんだけどぉ〜!」
ヴァイスは椅子に背筋を伸ばしたまま、静かに手を挙げた。 「ワタシハ、コンヤ ハヤク ネル ツモリデス」 その目は真剣で、まるで自らに誓うようだった。
「ちょ、ヴァイスちん、いつもどんだけ夜ふかししてんのよ〜」
セイアがまっすぐに言った。 「アシタ、“ミズ” ノ チョウセツ ニ ツイテ、ホウコク スル ツモリデス」
ユメはきょとんとしながらも笑って返した。 「ほ、報告って……なんかお役所っぽい〜!でも、セイアらしいかもね〜!」
そのとき、ユメがリグに目を向けた。 「じゃ、リグくんも一個、言ってみよっか〜?」
彼は腕を組んだまま、教室をぐるりと見回す。
「……言葉で伝えるなんざ、信用できねぇんだ」
その声音には鋭い拒絶がにじんでいた。
「オレっ様は、言葉より行動派だ。気持ちなんて、見りゃ分かるだろ?」
一瞬、誰も何も言えなくなった。
リリィが小さく、「え……」と声をもらし、クーニャは口を半開きのまま固まっている。
ユメは眉を下げ、困ったように言った。
「それって……つまり、ニホンゴの授業、ムダって思ってるってこと?」
リグはあっさりと言い放つ。 「そうだ。言葉の“意味”がどうとか……オレっ様には、要らねぇ」
教室は一瞬、ざわつきかけた。
タカシは一歩前に出て、落ち着いた声で言った。 「それでもここに来たのは、“マナブツモリ”だったからじゃないのか?」
リグは一拍おいて、静かに言った。 「……命令だからな。それだけだ」
その言葉には、どこか痛みのような響きがあった。
タカシは内心で思う。
(……強い拒絶。でも、それはたぶん……何かある証拠だ)
(無理に言わせても、逆効果だな。まずは時間をかけて、言葉が“敵”じゃないって、分かってもらうしかない)
リグはそのまま、ふいと視線を窓の外へ向け、再び口を閉ざした。
(大丈夫だ。時間はある。焦らず、ゆっくりと……)
その重たい空気をほぐすように、ユメがぱっと手を叩いた。
「ま、まあまあ!初日はこんなもんっしょ!明日はもっとド派手に“イコウ”ってことで、ヨロ〜!
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──アジト(夜)
ユメがココアをすすりながら言った。
「なんかさ〜、あの子、ぜんっぜん話してくれないね〜」
「まあ、任務と睡眠不足で、余裕もないのかもな」
「でも……教室で“なんか”感じたんだよ。言葉、怖がってるような……信じてないような」
「俺も、同じことを思った」
二人はしばし沈黙し、やがて顔を見合わせた。
ユメがにっと笑う。 「……ちょっと、作戦、立ててみない?」
タカシは笑い返した。 「おう。言葉で“つながる”ってこと……見せてやろうぜ」
──リグの心をひらく、その“意向”が、いま生まれた。
──つづく。