【第30課】完全に自由研究!?
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──ロイヤル・アカデミー 特別ニホンゴ教室・授業前の朝
「……センセイたち、まだ来てないナ」
グンゾが教室に早めに入り、窓際の席に腰を下ろす。
その後ろから、リリィが小さく笑いながら入ってきた。
「昨日ね、ユメ先生に“それ、マジしんどみ〜”って言われた」
「……シンドミ?何かの実か?」
「“シンドイ”+“気持ち”=“シンドミ”らしいよ。なんか“カワイミ”とか“ヤバミ”とかもあるって」
「タカシ先生からは聞いたことないから、それがギャル語ってヤツカ?」
「たぶん。“あざまる水産”って言ってたこともある。何の呪文かと思った」
リリィがくすくす笑う。
「でもさ、あれ……なんかクセになるよね。“言葉の魔法”って感じ」
「……チョットずつ意味わかってくると、楽しいナ。」
「教科書には載ってないけど……なんか、本物の“会話”って気がするね」
そんなふたりのもとに、バタバタと廊下の足音が近づいてくる。
「おはよっす! テンションあげみ〜で行きましょう!」
今日もにぎやかな授業が、始まろうとしていた。
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──教室(前半)担当:タカシ
「今日の授業は、前半と後半で先生を交代してやる。前半は俺、後半はユメ先生が担当だ」
黒板に丁寧な字で書かれていく。
・《〜テアリマス》
・《〜テイマス》
「このふたつ、似ているようで意味が違う。まずは例文を見てくれ」
・マド ガ アケテ アリマス
・マド ガ アイテ イマス
「『アケテ アリマス』は、“人があけた”状態のこと……ですか?」
「そう。つまり“他動詞+テ アリマス”で、“人の行為”があとに残っていることを表す。いっぽう、“アイテ イマス”は“自動詞+テ イマス”。ただ状態が続いているだけで誰がやったかは関係ない意味になる。」
グンゾが真面目な顔でうなずく。
「つまり、チカラを感じるほうが“アリマス”……だな」
「……まあ、意図があるという意味でなら、そうかもしれない」
セイアが手を挙げる。
「でも、どっちも“まどがひらいている”と見える。どう区別しますか?」
「いい質問だな。たとえば――」
タカシはチョークを置いて、ゆっくりと説明を始めた。
「想像してほしい。君たちが朝、教室に来たとする。窓が開いている。『マド ガ アイテイマス』――この段階では、まだ“誰が開けたか”は不明だ」
「……でも、机の上に“空気を入れ替えましょう”ってメモがあったら?」
「そのとき、“あ、だれかが先に開けてくれたんだ”と分かる。つまり、その瞬間、“マド ガ アケテアリマス”に変わる」
「あ、なるほど……!」とリリィが手を打った。
「“目に見えない意図”が分かったとき、文法も変わるんですね」
「そう。つまり、これは“目に見える状態”の違いじゃなく、“受け手の認識”の変化なんだ」
「……『あります』って、やさしい感じがしますね。準備してくれた人の“気持ち”があるというか」
「まさにその通りだ」
タカシが穏やかにうなずく。
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──教室(後半)担当:ユメ
「じゃ〜後半はアタシのターンっス!」
ユメが黒板に新しい文法を追加する。
・《〜テオキマス》
→ジュンビ!(何かのために チョイ前に ナンカ ヤル!)
「これはね〜、“あとでメンドくならんように、いまやっとく!”ってノリ!」
「“やっとく”……また ユメセンセ〜語 出た〜」とクーニャが笑う。
「“ノリ”……」とユウトがメモを止める。
「たとえば〜、“あとで つかう かもしんないから、コピーしとく?”とか!」
「“しとく”……?」セイアが眉をひそめる。
「“スル”の、なんだろ……縮んでる……?」
「ん〜、“シテオク”が“シトク”?」
クーニャが小声で言った。
セイアが、目を伏せたまま、ぽつりとつぶやく。
「……“Te-O-Ku”。音がそのまま短くなっている。“トク”ハ、“テオク”ノ 縮約……?」
「すごっ。アタシ、教えてないのに! ねぇ、先生〜! 生徒が勝手に気づいてくれてんだけど〜!?」
教室の後ろで見ていたタカシが、感心したように小さくうなずいた。
(……教えすぎないことで、自主的に学び始める。これが、ユメの教え方の“核”なのかもしれないな)
「じゃあ、みんなも“〜テオキマス”の文をつくってみよ〜!」
「パン ヲ カッテ オキマス!」(リリィ)
「マント ヲ アラッテ オキマス」(ヴァイス)
「コウチャ オ イレテ オキマス!」(グンゾ)
「アシタノ ジュギョウノ マエニ ブンポウショデ ヨシュウシテ オキマス」(ユウト)
「……ヒヲ ケシテ オキマス 」(セイア)
「……ユメセンセ〜 ノ おとしたプリント、ヒロッテ オキマシタ〜!」(クーニャ)
「え、それどこにあった!? まじ感謝〜〜〜!!」
教室は笑いに包まれていた。ユメは少し、目を細めて空を見た。
(アタシ、文法はムリ。でも、“それ自然だね”とか、“ちょい違うかも”とか――そーゆー“感覚”だけは、答えられる。それって、意味あるのかも)
◆
──アジト(夜)
「ふ〜〜〜、今日も授業、ぶっちぎったわ〜〜〜!」
ユメはマントを頭にかぶり直し、ソファに飛び込むように寝転がった。
「お前の“〜トク”講座、完全に自由研究だったな」
「え?自由研究?ウチ、ダンボールでロボ作って学校持ってったことあるよ。マジ男子から尊敬の目浴びまくりだったわ〜♪」
「いや、教えないことで、生徒が自主的に学ぶってことだよ。……お前、教えていないようで、必要な“余白”はつくっていた。そこに生徒が、自分で入っていった。それは偶然じゃない」
ユメはしばらく黙って、お茶をすすった。
「ふーん。じゃあアタシ、けっこういい先生だったりする?」
「……そう思うことにしよう」
「ふふっ。じゃあ、“センセー ホメテ オキマス”ってことで」
──ふたりのティームティーチングが、かたちになりつつある。
ふたりの教え方が、うまく噛み合い始めている。教室の空気にも、どこか安定感が出てきた。
……だが。
アジトの窓の外、どこか不穏な風が、夜の空気を揺らしていた。
──次の困難が、静かに近づいていた。