プロローグ:その日、“ギャル”が降ってきた。
異世界に来て、もう半年になる。朝の風がちょっとだけ、東京の秋を思い出させた。でも、目の前にいるのは、「ニホンゴ」を学びたいと目を輝かせる生徒たち。俺は今日も、“先生”として黒板の前に立つ。
永田タカシ──元・語学教材出版社のしがないサラリーマン。
ひょんなことから異世界に飛ばされ、なぜかここで日本語を教えている。『ミンナノニホンゴ』を片手に。
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最初は意味もわからず始めた授業だったけど、いろんな種族の生徒たちと出会い、文法を通して、「言葉って、ただの記号じゃないんだな」って、教えながら気づかされた。
竜人族のリリィ、エルフのヴァイス、魔導オタクのユウト、元気な獣人のクーニャ、ドワーフ職人のグンゾ、詩を愛する水霊族のセイア……みんな違って、みんな本気で、言葉で誰かに“何か”を伝えようとしてた。
あれから、25課。つまり、「初級Iコース」が無事に終了して──つい先日、期末試験も終えた。
この世界では、コースが切り替わるたびに2週間の学期休暇がある。生徒たちもいったんそれぞれの仕事や家に戻っていく。俺もようやくひと息つける……と思っていた、矢先だった。
◆
ある朝、洗濯物を干していたら、ナビィ=ゲータが突然、こう言った。
「先生、新しいコースの担当、引き続きお願いいたします。“初級Ⅱ”、はじまります」
「お、おう……」
いつもながら急だなと思いながら、洗濯物をパンパンしていると──
その時だった。
空から、文字通り──空から、何かが落ちてきた。
「え、なに!? てかちょ、着地する〜っ!どいてどいてどいてマジでヤバいってばああああ!!!」
バッシャァァァン!!
洗濯したばかりのシャツが、衝撃波と共に吹き飛ぶ。地面には、小柄な少女。金髪のポニテにピンクのメッシュ。制服のスカートは短すぎて、スカートの下に黒いジャージを重ねているスタイル。
なにより、口から出る言葉が……異世界語でもニホンゴでもなかった。
「いててて……マジ、ヤバ……ここどこ?てかアプリ飛んでるし、スマホ反応しないんだけど!? ウソでしょ〜!?」
俺は確信した。こいつ、絶対にまともじゃない。
その直後、例のナビィ=ゲータがひょっこり現れて言った。
「先生、新しい転移者のかたです。名前は──天羽ユメ。コトバノ賢者候補、2人目です」
「……嘘だろ、ナビィ」
「ホントです。」
◆
天羽ユメ。自称「渋谷育ちのギャル。てか、JK2なんですけど?」
突然現れたこの少女は、日本語教師どころか、“教育”という概念に触れたことすらなさそうだった。
「うち、国語の授業マジ嫌いだったし〜。でもセンセ、ギャルに教わるニホンゴとか、逆に新時代って感じじゃね?」
そう言って笑う彼女の言葉には、どこか不思議な“力”があった。軽くて、適当で、まるで遊んでるようでいて……なぜか、耳に残る。
言葉を発するたび、空気がわずかに揺れ、人の心にかすかな波を立てる。それが意図したものかどうか、本人すら分かっていないようだったけれど。
俺は、ただ呆然と立ち尽くしていた。まさか、次のコースが女子高生ギャルとのティームティーチングになるなんて──そんな未来、誰が予想できただろう。
でも、ふと思い出す。
これまでだって、俺は何度も想定外のことに巻き込まれてきた。
異世界に放り出され、文化も価値観も違う生徒たちと向き合って、教えて、悩んで、ぶつかって、それでも少しずつ前に進んできた。
言葉には力がある。それを一番、教えられてきたのは──俺自身だ。
……ならば、彼女と一緒に、もう一度、教えてみよう。
多少ぶっ飛んでいても、ギャルでも。いや、ギャルだからこそ、きっと届く言葉もある。
こうして、異世界のニホンゴ教室は、新たな“ふたり”で動き出す。
ドタバタで、予測不能で、きっと前より騒がしくなるだろう。でも──
それも、挑戦してみる価値はある。教師ってのは、そういう仕事だから。
「ま、なんとかなるっしょ☆ 異世界とかガチ映え〜!」
「……やっぱり不安だ……。」