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龍神弁護士  作者: 玄妙
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第七章 龍神と十の扉

《記憶の神殿》


 ――沈黙が、あまりにも濃かった。

 虹浜の地下に穿たれた古代の石階段を、蓮司と梓、そして技術顧問の甲斐谷は、重たい空気を押し分けるように進んでいた。

 背後では、地上の風が遠ざかり、かすかな水の音と、何かが脈打つような“音”が耳の奥を打っていた。

「……ここが、龍神の封印だというのか」

 梓が口にしたその言葉と同時に、彼らの前に広がったのは、想像を遥かに超える異形の空間だった。

 それは、神殿だった。

 だが、古代的な神社や寺院のようなものではない。

 荘厳でありながら無機質。壁面には数えきれぬ記憶断片のようなモザイクが嵌め込まれ、天井は星のように輝く水晶の光で照らされていた。

 中心には、黒曜石の扉が十枚、放射状に並ぶ。

「十の扉……」

 甲斐谷が思わず息を呑む。

 蓮司は歩を進め、扉に触れる。

 指先が黒曜石に触れた瞬間、光が走った。

《記憶を解放する者よ、問いに答えよ――》

 空間に響いた声は、言語ではなかった。脳内に直接響く、思念の波。

「蓮司、これは……」

 梓が一歩下がる。蓮司の身体に、淡い蒼の文様が浮かび上がっていた。

 龍神の紋章。それは、蓮司が“封じられた器”であることを意味していた。

 扉の前に立った瞬間、蓮司の記憶が脳裏に流れ込む。

 ――焼け落ちる集落

 ――祠の中で泣き叫ぶ子供

 ――「お前は、記憶の守人となれ」

「これは……俺の……過去……?」

 十の扉は、それぞれ特定の記憶を封じていた。

 そして、その記憶は個人のものにとどまらず、龍神という存在が時代を超えて蓄積した記憶の記録庫だった。

「……つまりここは、神の記憶を格納するアーカイブ」

 甲斐谷が呟く。

「龍神とは、記憶の神。個人の罪も、国家の過去も、全てを記録し、保存してきた。だが……」

「だが?」梓が問う。

「忘れたい記憶が、多すぎたんだ。人類には」

 蓮司は静かに言う。

「この神殿は、ただの記録装置じゃない。記憶を封印する力――いや、記憶を裁くための場所だ」

 そうして、第一の扉が開き始める。

 まるで、かつての記憶が自らを訴え始めるように。

 静謐な空間に、過去の断片が色づいていく。

そして蓮司と梓の試練が始まる。

十の扉。それは彼ら自身が背負った過去と、世界の罪を暴き出すものだった。


《開かれた扉》


 黒曜石の扉が低く唸りながら開いた。

 まるで時間そのものが軋んだような音とともに、白い光が内側からあふれ出す。

 蓮司は静かに足を踏み入れた。

 扉の内側は、空間の理を無視したような異界だった。浮かぶ記憶の断片、囁く声、響く感情。

 そのすべてが、かつての“誰か”の内面だった。


■第一の扉:蒼馬の「最後の嘘」

 最初の空間に映し出されたのは、少年――蒼馬の記憶だった。

 火事に包まれた虹浜。

 泣き叫ぶ蒼馬が、倒れた警官の無線機に向かって叫ぶ姿。

「助けて……兄ちゃんが……兄ちゃんがやったって、嘘ついた……!」

 梓が震えた。

 これは――兄、七瀬崇が犯人に仕立てられた夜の真実。

「……兄は、蒼馬を庇っていたのね」

「蒼馬もまた、真実に耐えきれなかった」

 記憶は、消せない。だが、それを赦すこともできる。


■第二の扉:蓮司の「初めての裁き」

 次の扉をくぐった瞬間、蓮司の呼吸が止まった。

 そこは、幼き日の法廷。

 裁かれていたのは蓮司自身――だが、傍聴席の誰一人、その姿を認識できていなかった。

 《不死の者に、人の罪は裁けるのか》

 蓮司は、死なないことを知った日から、法の適用外に置かれていた。

 誰にも理解も処罰もされない存在。

 それでも、彼は正”に手を伸ばし続けた。

「……俺はずっと、外にいた。法の、時間の、そして人間の外側に」

「だが、だからこそ見えたものがある」蓮司は静かに目を閉じた。


■第三の扉:梓の「兄の遺言」

 扉の内には、破られたビデオテープの断片。

 録画された映像が、断続的に再生される。

《梓……もし俺が死んだら、この鍵を記憶の神殿に持って行け。 龍神を守れ。だが……蓮司を信じるかどうかは、お前に任せる。》

 梓は泣いていた。嗚咽ではなく、魂が震えるような涙だった。

「兄さんは、知っていたのね……蓮司が不死であることも、そして……この神殿の存在も」

 扉が静かに閉まる。

 梓は蓮司に向き直る。

「あたしは、あなたを信じる。兄の意思でもあるけど……それ以上に、今のあなたを見て、そう決めたの」

 蓮司はその言葉を胸に刻むように、頷いた。

そして、残る七つの扉の先に、さらなる真実と痛みが待つことを――二人はまだ知らなかった。


《九頭龍財団の原罪》


 第四の扉は、他の扉とは違っていた。

 触れると、蓮司の指先に冷たい痛みが走り、扉の縁に組み込まれた龍紋が薄く血のように光を帯びる。

「これは……」

 蓮司が小さく息を呑む。

「……この扉は、蓮司。あなた一人では開けてはならないわ」

 梓の直感だった。だが、それは正しかった。

 扉が開いた瞬間、空間が大きく揺れる。

 濃密な黒霧のような記憶の瘴気が神殿内を覆い、視界が歪む。

 そして現れたのは――

 昭和末期、まだ表には出ていなかった頃の「九頭龍財団」の創設者たちの映像だった。

 巨大な円卓。そこに座す男たちの瞳は、狂気と冷静の中間にあった。

 映像はまるで、彼らがこの記録を残すことすら想定していないような、機密中の機密。

「『龍神』という概念は、日本神話における信仰の集約にすぎない」

「だが、それを技”として再現できれば、人の精神、記憶、命を所有できる」

「問題は器だ。我々の血筋だけが、その媒体として耐えられる」

「ゆえに“選ばれた遺伝子だけを残す。外部は切り捨てる」

「神を作るのだ。人間の手で」

 蓮司と梓は凍りついた。

 これが「九頭龍」の本質――信仰を科学化し、神を商品にするという思想。

 そして、画面の片隅には少年の姿があった。

 無表情のまま、記憶抽出装置の中に座る、その姿――

「……俺、だ……」

 蓮司は崩れるようにその場に膝をついた。

「あなたは……“創られた器”だったの?」

 梓の問いに、蓮司は答えない。ただ、血のように染まった手を見つめていた。

《記憶の神殿》は、真実を開示するだけではない。

 それは、罪を認識させ、赦しを問う場でもある。

 だが「九頭龍財団」は、その機能を逆手に取り、人の記憶すら管理可能な資本として扱っていたのだった。

「……神が裁かれるべき時が来た」

 梓の声が、神殿に静かに響く。


《第七の扉・時間の牢獄》


 開かれた第七の扉の向こうには、時間の流れが囚われた空間が広がっていた。

 壁も天井も存在しないはずの空間に、歪んだ時計の針が宙に浮かび、バラバラなテンポで回転している。

 空間全体が、まるで過去の残響で構成されているようだった。

 蓮司の耳に、囁き声が渦巻く。

《君は何度、同じ運命を繰り返す?》

《死ねない罰を、なぜ忘れようとする?》

《時間は、君を赦さない》

 蓮司の視界に、“かつての自分”が映る。

 それは、いくつもの時代――戦国、明治、大正、昭和、そして令和の仮面をかぶった蓮司だった。

 剣士、密偵、検事、軍属、医者――

 いずれも人々の正義を担いながら、最後には時代の闇に沈んでいった姿。

「……俺は、生き続けてきた。だが、人間でいられた時間は、ほんのわずかだった」

 蓮司はひとり呟いた。

 この牢獄は、彼が法の外に置かれてきたすべての記憶を、閉じ込めている。

 不老不死であることは、自由ではなかった。

 時代が移ろい、法律も常識も変わっていく中で、彼だけが変わらず生き続けてきたのだ。

 梓が、そっと彼の肩に手を置いた。

「……あなたがいなかったら、裁かれなかった闇があった。あなたが背負ってきた時間は、無意味じゃない」

「そう言ってもらえると……少し、報われる気がするよ」

 ふいに、時計の針がすべて止まり、中央の空間に時の封印が現れる。

 蓮司は、右手をそれにかざした。

 自らの記憶――過去の罪も、正義も、忘れられたすべてを取り戻す覚悟を持って。

 封印が解かれる音が響くと同時に、蓮司の右目が金色に染まる。

「これが……龍神の記憶」

 そして蓮司は静かに立ち上がる。

 その目に映るのは、過去でも未来でもない、“いま”という瞬間だった。


《龍神、現世に還る》


 十の扉のうち七つを開いた瞬間、蓮司の内に眠る龍神の因子が目覚め始めていた。

 時間の牢獄で解放された記憶――

 それは単なる個人の人生ではなく、「龍ノ宮」という血筋を通じて繰り返されてきた数千年の歴史だった。

 記憶の神殿の最深部、空間の中心に浮かぶ龍神の卵が、微かに脈動する。

 その存在は、神話でも伝説でもなく、現実に在った。

 龍神とは、過去に存在した意識体であり、封印されることで歴史の裏に姿を隠していた知性体だった。

「お前は……わたしの器となるのか」

 音ではない存在の波が、蓮司の精神に直接語りかける。

「いや、俺は――俺自身として、お前と向き合う」

 蓮司の答えは、意志そのものだった。

 神殿の石柱がひび割れ、天井が砕け、巨大なエネルギーが噴き出す。

 空を裂くような光の柱が立ち昇り、虹浜の海上に龍神の姿が現れた。

 銀青の鱗をまとい、雲と風を纏うその姿は、まさに現代に蘇った神。

 人々がスマートフォンを掲げる中、SNS上に映像が拡散される。

《虹浜の空に、龍が現れた!?》

《まるでCG!?リアル!?》

 現実と神話の境界が、ついに破られたのだった。

 一方、九頭龍財団――

 玄明は静かに笑う。

「ようやく、目覚めたか。我らが最後の鍵よ」

 彼が密かに用意していた禁断の鍵が、冷たい音を立てて回転を始める。

 蓮司は、梓の手を強く握った。

「ここからは、神話の再演じゃない。俺たちの物語だ」

「……ええ。龍神は希望にもなれる。そう信じている」

 龍神の目が蓮司と交わる。

 その瞳は、全てを見透かす静謐な深淵。

 しかしそこには、千年の孤独ではなく、共にある者の温もりが灯っていた。


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