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龍神弁護士  作者: 玄妙
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第三章 龍神の記憶裁判

《偽りの自白》


 午前四時半、霧の立ち込める虹浜湾の遊歩道。

 目撃者はなかった。死体も見つからなかった。防犯カメラには誰も映っていなかった。

 だが――たったひとり、「自分が殺した」と告白した者がいた。

「……あの人を、僕が殺しました。間違いありません」

 取調室の照明が白々と男の横顔を照らす。

 名波結翔ななみ・ゆいと、二十七歳。控えめな声と伏せた目。どこか夢の中にいるような気配を漂わせている。

「凶器は?」

「覚えていません」

「死体はどこに?」

「わかりません。でも、確かに殺したんです……あの、夢の中で……」

 刑事たちの顔が曇る。虚偽の自白か、精神疾患か、それとも。

 一方、七瀬梓は接見室のガラス越しにその様子を見ていた。

 白いシャツに黒のライダースを羽織り、腕を組んだまま、鋭い目で名波の言動を観察している。

「どう思う?」

 横にいた若手の弁護士が尋ねると、梓は短く答えた。

「――虚言じゃない。もっと怖いのは、本人が本気でそう信じているってこと」

 彼女はドアをノックし、接見を申し出た。

 しばらくして、名波がガラス越しに座る。

「七瀬梓弁護士です。あなたの弁護を引き受けました。少しだけ、話を聞かせてくれる?」

 名波はぼんやりと梓を見つめた後、口を開いた。

「……あの人の顔が、夜になると浮かぶんです。自分の手が血で濡れている感触も、はっきりとある。でも……目が覚めると、何も起きてない。……だけど、毎晩、同じ記憶が繰り返されるんです。殺して、逃げて……泣いている自分がいる」

 梓は、思わず息を呑んだ。

 これは、記憶障害でも妄想でもない。何か――もっと根深い「外的要因」がある。

 その夜、彼女は事務所の資料棚から、ある資料を取り出した。

 それは、かつて違法研究とされながらも闇で継続されていた技術――

REMINECTレミネクト:記憶挿入による精神再構築技術』

 九頭龍財団のロゴが、紙面の隅に燦然と浮かんでいた。

「……やっぱり、あの男が動いている」

梓の背後で誰かがそう呟いた。

 蓮司だった。

 黒のスーツに身を包み、冷ややかな瞳でレポートを見下ろす。

「記憶を見せる技術は、法に触れる。だが、それを逆手に取れば……記憶による自白も成立する」

「つまり、彼は、植え付けられた記憶を、自分のものだと信じている可能性があるってこと?」

 蓮司は無言で頷いた。

「……だったら、やるしかないわね。記憶の中身そのものを証拠にするための、新しい裁判を」

「記憶審問だ。龍神の力が必要になる。君の支えもな」

 二人の視線の先には、名波結翔の顔写真が貼られていた。

 そこに映る彼の瞳は、何かを思い出そうとして苦悶している。

 けれど――その記憶すらも、誰かの手で偽造された可能性がある。

この裁判は、「記憶」が被告である。


《違法技術レミネクト》


 翌日、七瀬梓は山中の旧研究施設跡にいた。

 場所は九頭龍財団の傘下企業がかつて所有していた「株式会社ミメティク・バイオ」。

 表向きは閉鎖されていたが、内部には未整理の機材と極秘ファイルがそのまま残されていた。

 梓はライトを手に、埃をかぶった棚を漁る。

 そして一冊の黒いファイルを見つける。背表紙にはラテン語でこう書かれていた。

「Reminectum Humanitas — 記憶再構築の技術体系」

 中を開いた瞬間、目に飛び込んできたのは、脳波操作・記憶改竄・人格挿入に関する戦慄のスキーム図だった。

 実験データには次のような記録もある。

【試料No.44】夢覚下にて殺人記憶の疑似体験挿入。

反応:自責の念により、本人は記憶を実際にあったことと誤認。

成功。

「……人の記憶を、物語のように書き換えている……」

 梓は思わず背筋をぞくりとさせる。

 この“レミネクト”と呼ばれる技術は、人間の自我と罪悪感を操る電子催眠装置のようなものだ。

 しかも、名波の精神構造と完全に一致する「自責型反応」を誘発している――。

 一方その頃、蓮司は都内某所の地下ラボにいた。

 彼が会っていたのは、かつて九頭龍財団で神経回路研究に携わっていた脱落者、清水 真咲しみず・まさき

 今は記憶被害者の会の顧問を務めている。

「レミネクトは、証拠を捏造する装置じゃない。もっと怖いのは、証人や被告の心に確信を埋め込むことです」

 清水は淡々と語った。

「人は、思い出を五感で保存します。それを脳内に投影し、何度も再体験することで、それが現実だと信じ込む。

 レミネクトは、その記憶再体験を人工的に作ることで、真実を乗っ取るんです」

 蓮司の目が細くなる。

「つまり、嘘を自分で真実にする装置か」

「ええ。そして、財団はそれを裁判対策用の兵器として利用してきた。……真実を殺す兵器ですよ」

 清水がテーブルの下から小さな金属片を差し出した。

 USB型の媒体にはこう刻印されていた。

【KZR-DATA 003】

REMINECT TRIALS – Subject YN

「被験者YN……。Yuito Nanami(名波結翔)だな」

 蓮司はUSBを手に取り、静かに言った。

「七瀬。準備を始めろ。記憶そのものを証拠として法廷に出す。――新しい裁判の形になるぞ」

 梓が頷いた。

「記憶審問の請求を、特例法廷に出す。……私たちで記憶の嘘を暴くのよ」

こうして、かつて前例のない「記憶裁判」が、現代日本の司法制度の扉を叩こうとしていた――。


《記憶審問》


 東京地方裁判所・第404号特例法廷。

 通常の審理室とは異なり、半分は科学捜査支援機器に囲まれ、もう半分は密閉型の観察室となっていた。

 ――通称「記憶審問法廷」。

 ここでは、被告の主観的な記憶体験を客観的に“映像化”し、審理材料とすることが許される。

 違法スレスレの判例だが、今回のように他に証拠が存在しない異常事件に限って例外的に許可される。

 証言台のガラス越し、名波結翔が座っていた。

 前夜、医療チームによってREMINECT装置が一時的に装着され、本人の脳内記憶の再生が準備された。

 裁判長の許可が下りると、法廷スクリーンに投影が始まる。

――映し出された映像――

 湿った砂利道。

 名波の視界の中に浮かぶのは、赤い傘を差した女性の後ろ姿。

 雨音の中、彼女がこちらを振り返る。

 だが、顔は見えない。代わりに、遠くで鈴の音が鳴った。

 そして次の瞬間、視界が一転する――手にした金属バット、滴る血。女性が倒れる。

 名波の手が震える。

 足元に広がる赤。雨なのか、血なのか、区別がつかない。

「……うっ……うわぁああああっ!!」

 映像がそこで急停止。

 名波が拘束椅子の上で叫ぶ。傍聴席にはざわめきが走る。

 七瀬梓が立ち上がる。

「ご覧の通り、被告は『殺人の記憶』を抱えています。しかしその記憶には矛盾があります。たとえば――」

 スクリーンを切り替える。

 次に映されたのは、現実の現場映像。天候は快晴だったはず。傘など差しているはずがない。

「これは、誰かが作った記憶です。真実と一致しない。だが本人は、完全に信じ込んでいる」

 蓮司が前に出る。

「我々は既に、九頭龍財団傘下企業が記憶挿入技術を人体実験していた証拠を押収済みだ。この夢の記憶は、その技術によって被告に与えられた虚偽の記憶だと主張する」

 傍聴席からどよめきが起こる。

 裁判長は眉をひそめながら、静かに問う。

「……では弁護側は、証人の証言が本人の意思によるものではないと?」

「はい。被告の記憶そのものが、既に『改ざんされた証拠物件』であると考えます」

 裁判長はしばしの沈黙の後、言葉を続けた。

「……かつてない主張だ。だが、記憶の映像化が可能となった今、それを法の証拠として扱う可能性を否定するわけにはいかない。

 本件については、継続審理とする。次回公判までに記憶の真正性を証明する反証を提出せよ」

 休廷後の控室。

「蓮司、次はどうする?」

 梓が尋ねる。

 蓮司は静かに言った。

「誰が、いつ、なぜ名波に記憶を与えたか――それを突き止める」

 彼の目が細くなる。

「この記憶の背景には、龍神の鍵が隠されている」

記憶は嘘をつかない。

だが、それを“操る者”がいれば――法の正義すら捻じ曲げられる。


《被告の封印記憶》


 深夜、都内の記憶科学研究センター。

 名波結翔は、隔離された観察室の中で静かに眠っていた。

 彼のこめかみに取り付けられたREMINECT端末が、再び起動される。

 今回の目的は――封じられた基底記憶の抽出。

 すなわち、表層にある改ざん記憶のさらに奥底に眠る、本来の記憶を呼び起こすことである。

 蓮司は、記憶技術顧問・清水真咲と共に、観察モニターの前にいた。

「名波の現在の記憶には構築の痕跡がある。それを壊すには、本人の深層トラウマを逆照射するしかない」

 清水がつぶやく。

 蓮司は静かにうなずいた。

「記憶の封印が行われたのは、事故の翌日。つまり……何か見てはならないものを見たということだ」

 再投影が始まる。

 スクリーンに浮かび上がったのは――異様な光景だった。

――基底記憶《虹浜の夜》――

 夜の海岸線。白い砂浜。

 名波少年が、何かを見て怯えている。

 その視界の奥。浜辺には、奇妙な陣のような紋様が描かれていた。

 その中央には――倒れた女性。そして、その周囲に並ぶ黒い衣の男たち。

 一人、白髪の男が名波の方に目を向ける。

 氷のような無表情。銀縁のメガネ。――そう、それは九頭龍玄明だった。

「……君には、いずれ大切な役割が与えられるだろう」

 そう言った直後、何かの薬剤が名波に注射され、視界が暗転する。

 蓮司の目が細くなる。

「やはり記憶は封印されたんじゃない。選び直されたんだ……!」

「彼の記憶は、偶然の殺人ではなく、儀式に立ち会った証人として書き換えられている」

 清水が続ける。

 そして、画面の最奥。

 倒れた女性の傍らに、微かに浮かぶ龍の紋が刻まれた石板が映る。

「……これは、龍神の封印器具……!」

 蓮司は顔を強張らせた。

「九頭龍財団は、証人の少年を証拠隠滅の鍵に変えた。

 記憶操作の目的は――封印の目撃証言を抹消することだったんだ」

 梓が通信に割り込む。

「蓮司、次の法廷に間に合わないわ!証人申請が突っぱねられている!」

「いいか、これで記憶改ざんの意図が明らかになった。次は――九頭龍財団の関与を法廷に叩きつける」

真実は、記憶の奥底に封じられていた。

嘘を信じ込まされた少年の目には、神の封印と悪意が映っていた――。


《失われた供述映像》


 深夜の七瀬法律事務所。

 梓はディスプレイの前で額に手を当てていた。

「……おかしい。確かにこの事件、最初期には供述映像が記録されていたはずなのに――」

 司法記録保管システム上には、供述者・名波結翔による第一回聴取時の動画データの痕跡がある。

 だが、再生ボタンはグレーアウトしており、ファイル本体は削除されている。

 そこへ、蓮司が帰ってくる。

 背中からは夜風のような冷気を纏い、彼の目は研ぎ澄まされていた。

「やはり消されていたか」

「ええ。でも削除のログまでは消されてない。ここを見て――」

 梓は、削除指示のログが外部ネットワーク経由であったことを指摘する。

「……発信元は、九頭龍財団グループ系列の回線。名称は、龍霞医療センター」

 蓮司の目が細くなる。

「名波は事故直後、一時的にこの医療センターに保護されていた。

 つまり、その間に記憶の挿入と映像の抹消”が行われた……」

 梓が拳を握りしめる。

「彼らは、司法手続きの証拠すら隠蔽する。――これを突き止められなければ、この国の正義は、何ひとつ機能しなくなる」

 蓮司は黙って頷き、ポケットから一枚の紙を取り出した。

 それは、かつて名波の兄が書いた「供述補完願」のコピーだった。

 未提出のまま、司法文書に眠っていた資料。

 その文面には、こう記されていた。

『弟の記憶は、あの日の現実とは食い違っている。私は見た。弟は女性を襲ったのではなく、誰かに襲われた彼女を助けようとしていた――』

「……兄は気づいていたんだ。弟の記憶が歪んでいることに」

 蓮司の声に、怒りの温度が混じる。

 だがそのとき――モニターが明滅し、不正侵入警告が表示された。

《警告:リモートアクセスが検出されました》

《IPアドレス:非開示。推定接続元:虹浜・中央第六局》

「やられた……!」

 梓がモニターを操作し、ギリギリでアクセスを遮断する。

 その直後、暗号化された一時ファイルが自動生成されていることに気づく。

 震える指で開いたその内容は――

【供述映像:名波結翔(事故直後)】

・ステータス:復元中

・警告:破損の可能性

・出力まで残り:四時間十二分


 梓がぽつりと呟く。

「……これが本当に残っていれば、私たちは“法廷に真実”を持ち込める」

 蓮司は静かに、頷いた。

「夜明けと同時に――正義が目を覚ます」

封じられた真実。

抹消された供述。

すべてを支配しようとする影の力に、法と記憶で抗う者たちがいた――


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