ななわ!
ここは海の中。周囲に島はまったくなく、見渡す限りの大海原。その海底から地上の高層マンションに匹敵する高さまで、縦に連なる塔のような都市がそびえていました。
その頂上――最上層では、裕福そうなウサギたちが、どこか怪しげな会話を交わしていました。
「また不法侵入者か」
「はい。ただ、今回は氷の破片が散っていて、少し変です。どうしますか、海に放り出しておきます?」
「不法侵入者なんていつもの事だろう。下層の連中の餌にでもしておけ」
「了解です。彼らも水中都市の技術を盗みに来たのでしょうかね」
「だろうな」
そうして、不法侵入者は塔の滑り台のような通路を通って、最下層――海底の都市へと送られました。
最下層では、裕福なウサギたちとは対照的に、その日食べる物にも困っていそうな姿の亀たちが、滑り台から落ちてきた侵入者に群がります。
「うまそうなカニだな」
「こっちは人間? まずそう」
「侵入者だ! みんな、食わないでください!」
その中には一風変わった子がいました。名前はロボ。彼は落ちてきた侵入者を見て、すぐに家へと走りました。
「おとっちゃん、おとっちゃん! また侵入者が来たよ!」
「ロボか。おかえり。……またか。じゃあ、ちょっと行ってくらぁ」
ロボが家の玄関から叫ぶと、父親であるおとっちゃんはのんびりと返事を返し、ゆっくりと支度を始めました。
「もう、見てられない! これ持って早く行って!」
「大丈夫だよぉ。みんなそんなに速くないだろう」
「今どきの亀は俊敏なんだってば! 急いで!」
ロボはおとっちゃんの尻を文字通り叩き、なんとか家の外へ連れ出しました。自分が疲れていることも忘れて、ロボはおとっちゃんの行動を見届けようとついて行きます。
「やあ、お前の父ちゃん、またあれを助けんのか」
「ルイックさん、こんにちは。はい、いまから見に行きます。あとでまた」
「お父様を穴の近くで見かけましたよ」
「ありがとうございます、狩野さん。急いでるので後ほど」
「あ、ちょうど良かった! 君のお父さんにこれ、渡してくれない? “LIONから”って伝えて」
「はい。ただ、おとっちゃんは穴のところにいますので、直接――」
「いやいや、ちょっと時間がなくて……お願い!」
ロボは道中で次々と話しかけられ、その一つひとつに淡々と返事を返していきました。その姿はまるで感情を持たない機械のようです。
やがてロボは、例の「穴」に到着しました。そこは滑り台の出口であり、上層と下層をつなぐ唯一の通路です。下層の住民たちはそれを半ば侮蔑の意味を込めて「穴」と呼んでいました。
「おとっちゃん、仕事してるやんっ」
「ほい、処置完了。連れて帰るかぁ」
ロボも興味本位で来ただけのはずが、三人の侵入者を運ぶ手伝いをさせられました。おとっちゃんの視線ひとつで、ロボは完璧にその意図を読み取り、狩野さんと協力して三人を自宅へと運びます。
「カニと、キツネと……これは人間かねぇ」
「現実味がないというか、絵本から出てきたみたい」
「悪役に向いてそうな感じですよね」
おとっちゃんとロボの家はボロ屋でこそあるものの、二階建てで比較的面積も広いものでした。三人は二階に寝かせられました。
しばらくして、三人は二階へと上がってくる足音で目を覚ましました。
「んー、おはよっ」
「ここは……どこでしょうか」
「あ、生きてたんだな。体が動くぜ」
そう、目を覚ましたのはクレブくん、雪女、そして東電です。クレブくんは大きく伸びをし、東電は久々に動く体を振り回しました。どうやら落下の衝撃で氷が砕けたようです。雪女は音も立てずに起き上がると、すぐに周囲の状況を確認し始めました。
「殺風景な部屋ですね」
「ひどいです。下層では良い部類です。……いや、まず、私たちがあなたたちを助けました。感謝の一言をください」
雪女のつぶやきは、ちょうど階段を上がってきたロボにはっきりと聞こえてしまいました。けれど、ロボは顔色一つ変えず、感情のこもらない声で淡々と反論だけをしたのです。
「ロボットみたいだね」
「はい。私はロボという名前です。亀です」
「亀っていうと、やっぱり遅いの?」
クレブくんの少しからかうような質問にも、ロボは変わらぬ調子で答えました。
「それは古い認識です。現在では、平均よりほんの少し遅い程度に収まっています」
その受け答えに、東電は面白さよりもむしろ得体の知れなさを感じ取ったようです。雪女の背後に隠れます。
「雪女さん、俺を守って……」
「また凍らせますよ」
東電は素早く雪女から距離を取り、殺風景な部屋を見まわして肩の力を抜きました。
「しょうがないか。怖いんだけどなー」
「とにかく下に来てください。おとっちゃんも会いたがっています」
「……急に“おとっちゃん”って」
クレブくんは笑い出します。そして、ロボと目が合いました。その瞳はなにかを伝えるように細められており、怒気のようなものすら感じられました。
「ごめんなさいっ」
「はい。下に来てください」
クレブくんが誰かに素直に従うという、珍しい出来事に周囲は静かに驚きの声を漏らしました。三人はそれぞれ何かを悟ったように、ロボに従って階段を下りていきます。
「おとっちゃん、三人とも起きたよ!」
「おぅ、そりゃあ良かった」
ロボの声が急に明るくなったことも、マイペースそうなおとっちゃんの姿も、三人が口をあけっぱなしにするほどでした。
「緊張してるなー。ま、まずは朝ごはんにしようかね。それから話すよ」
「うんっ」
返事をしたのは、なぜかロボでした。けれど、この場でそれに突っ込む者はいませんでした。三人は静かに席につきます。
「いただきましょ」
「「いただきます」」
親子が手を合わせるのに倣って、三人も小さく頭を下げて食事を始めました。食卓に並んでいたのは、塩で軽く味付けされた焼き魚、数枚のレタス、そしてふかし芋。大きなテーブルの中央に置かれたそれらを、それぞれ自由に取って口に運びます。
「さて、どこから話そうかなあ」
「僕が説明するよ。おとっちゃんに任せたら明日の朝までかかっちゃうから」
ロボは魚と芋をレタスでくるみ、口の中に押し込んでから早口で話を始めました。
「ここは水上都市リテルダです。海底から高層ビルの高さまである塔のような都市で、私たち下級人民である亀は海底――下層に住んでいます。上層には、ウサギたちが暮らしています」
雪女は目を瞬きました。
「亀とウサギとしかいないのですね」
「はい」
「今じゃほとんどの国が他種族共生型なのに、時代遅れですね」
ロボはあいまいに笑って続けました。
「リテルダの科学技術は他の追従を許しません。そして、その技術を盗もうとする者が後を絶たないのです。結果、上層部の政府はとても排他的になったのです。あなた達も技術を盗みに来たのでしょう?」
「違います。私たちは事情があってここに落ちてきただけで、スパイではありません」
雪女は即座に否定しました。逆に、いつもならすぐに否定するはずのクレブくんはロボを見て体を縮めています。
「うんうん、こっちはお前さんたちが何者かなんて探るつもりはないから、安心してな」
「安心してください」
ロボはおとっちゃんに向かってにこやかに頷いたあと、三人に向き直り、感情のこもらない声でそう言いました。そのギャップに、クレブくんと東電は無意識に椅子を後ろへずらします。
「どうした、何かあったかい?」
おとっちゃんがその動きに気づいて声をかけました。その声音が思いのほか優しかったからでしょうか、クレブくんはつい本音を漏らしてしまいました。
「だって僕、安心できない。ロボさん、ちょっと怖いし……」
「は?」
ロボの視線がクレブくんを突き刺します。クレブくんは慌てて視線をそらし、おとっちゃんを見つめました。おとっちゃんがいれば大丈夫――そんな頼る気持ちが見え見えでした。
「まあまあ。ロボはいい子だよ。そんなに責めないでやってくれ」
「だってさ――」
ロボはまだ納得しきれていない様子でした。おとっちゃんは静かにロボを見つめます。
「ロボ。」
「はーい」
それだけで十分でした。ロボは視線を伏せてから再び顔を上げます。その目からは先ほどまでの怒気がすっかり消えていました。
「侵入者はたいてい、気絶させられた上で下層に送られます。下層の住民には技術もなく、上層に行く手段もありません。ここに送れば安全ということでしょう」
急にロボは話を再開しました。雪女は眉間にしわを寄せて考え込んでいます。
「ですが、急にここで暮らせと言われても困ります」
「そうですよね。カニは高級食材で、下層に放置されていたらすぐに食べられてしまいますよね」
「僕、食べられそうになってたの!?」
ロボは音を立てて笑いました。
「なに本気にしてるんですか。いえ、すぐに食べられてしまうというのは本当ですが。」
「えっ……」
クレブくんはうなだれてしまいました。ロボはその様子を眺めながら続けます。
「私たちは、そういった侵入者を助けて回っています。ただし、私たちにできるのは救助と新生活の支援まで。生活が落ち着いたら自立してもらいます」
ロボは無表情のまま説明を続けます。徐々に抑揚がつき、話すスピードも早まっていきます。
「……こいつ、ちょっと楽しんでないか?」
「そうですよね。企業紹介だという仮定で話しているのかもしれませんね」
「営業マンだ!」
ロボの楽しげな様子に、三人の気分もつられて明るくなってきました。クレブくんは、ロボがひと呼吸おいた瞬間を狙って質問します。
「どうやってお金を稼いでるの?」
「えーっと、後払い制です。恩を着せて恩返しさせる形です。ただ、これは副業に過ぎません。主な収入源は別にありますので問題ありません」
「なるほど。企業のイメージを良くするための偽善ってことか」
「そうですね」
ロボは笑顔で頷きました。
「いや、会社とかじゃなくてボランティアみたいなもんさぁ」
おとっちゃんが軌道修正を図るように口を挟みます。ロボは一瞬だけ目を見開きましたが、何事もなかったかのように話を戻しました。
「ですから、あなた方はこの下層で生活していただきます。以上で説明は終わりです」
「うん。ありがとな」
おとっちゃんはロボの頭を軽く手で叩いてから、三人の方を向きました。
「僕は帰りたいんだけど」
「下層から上層へ戻る手段はありません。こちらで一生を過ごしてください住めば都です」
「やだ。バナナを取り返す途中だったのに」
ロボの言葉に対して、クレブは不満げに顔をしかめます。ロボは首を傾げました。
「バナナとは?」
「問題は私たちが帰れないことです。なんとかなりませんか」
「なりません」
あまりにもはっきりとした否定に、雪女は言葉を失いますした。そんな空気を壊してくれたのは、おとっちゃんでした。
「まぁ、前例がないわけじゃないんだよ。十年前だったか――」
「四十三年前です。今から説明します」
ロボはおとっちゃんの話に口を挟み、流暢に話し出しました。
「その人物は、私の祖父に助けられた潜入者でした。自立し、下層で生活していました。ある日、上層から監督官がやってきました」
「監督官ってなに?」
クレブの割り込みにも、ロボは気を悪くせずに答えました。
「監督官は、下層の暮らしぶりを監督するために一年に一度だけ派遣される上層の者です。上層の者が下層に来るのはその日だけです」
「嫌味な行事だな」
ロボは東電の言葉を無視し、話を続けました。
「彼は持っていた人脈を使い、監督官について調べました。そして、監督官が好む『目上に従順な仕事人』を演じたのです。監督官は彼を気に入り、上層へ連れて帰りました」
ロボは芋をひと口食べると、しばらく沈黙しました。しびれを切らした雪女が問いかけます。
「その後、どうなったんですか?」
「知りません。上層の情報は下層には伝わらないのです」
「じゃあ、上層へ行けたとしても外には出られなかった可能性もあるってことでしょ。厳しいねー」
クレブくんは楽しそうにそう言いました。
三人が食事を終えると、雪女が口を開きます。
「『彼』と同じ方法は無理ですね。別の方法を考えましょう」
「壁を壊すとか?」
「塔を崩壊させるつもりですか」
おとっちゃんが少し引き気味です。
「僕らが帰れるなら、それでもいいじゃん」
「どうやって海底から地上まで登るのですか? まさか泳ぐなんて」
「雪女さん、氷の階段を作ってよ」
「水圧で氷が砕けます。水中に都市を作るのと同じくらい無理です」
その後は何一つの案も浮かびません。
「まあ、焦らず仕事も決めてな」
「明日からは仕事を覚えてもらいます。希望の職種を先に伺っておきます」
ロボが話を引き継ぎます。クレブは即答しました。
「帰宅部がいい!」
「それはできません。代わりに、こちらが用意した職種リストから選んでください」
ロボは雪女に紙を手渡し、その場を去っていきました。残された三人とおとっちゃんだけでは、まともな会話もできません。
「どうしましょう……」
雪女が職種リストを見ると、クレブと東電も覗き込みます。古着屋、なんでも屋、盗人、修理屋……。そこまで読んだとき、クレブが声を上げました。
「小さな穴を壁に開けて水漏れさせれば、上層の人が修理に来るんじゃない? だってさ、下層の人は壁を直す技術を持っていないんだよ」
なるほど、確かに理屈は通っています。雪女は一瞬だけ納得しかけましたが、すぐに冷静になって反論しました。
「どうやって穴を開けるのですか? もし塔が壊れたら? 上層の人が来たあとはどうするのですか」
クレブは反論を受けてもめげずに言い返します。
「方法はこれから考えればいい。小さな穴一つで崩壊するなら、とっくに壊れてるはずだし、とにかく上層の人を呼ばないと始まらないよ」
このときばかりは、雪女も頷きかけました。が、勢いよく首を横に振ります
「その案には反対です。なぜなら、クレブが癪に障るからです」
「えっ!? まあいいけど。じゃあ東電、行こう」
「はあ……行くか」
「そうそう、行けばいいんだよ」
クレブくんと東電は早足でロボの家を出て行きました。雪女は走って追いかけます。
「東電っ、なぜあなたまで?」
「や、面白そうだし」
「それだけで……」
雪女は東電の肩を掴みます。
「いや、正直いうと、ここから出たい。それだけだよ」
「ここが嫌な場所なら、あなたの実家も嫌な場所でしょう」
雪女の怒気を受けても東電は飄々としています。
「殿上人か、お前は。ここで一生を終えれば? というか、じゃあお前はなんでその『嫌な場所』に帰りたいんだ?」
「はぁ? また凍らせますよ」
「冗談、冗談……すみませんでした!」
雪女は周囲を少しだけ凍らせ東電を黙らせました。そして、クレブに向かって声をかけます。
「さあクレブ。行きましょう」
「え、来るの? じゃあ行こう!」
クレブは授業参観を嫌がる子どものように、勢いよく走り出します。雪女はその背を追い、彼をぐっと引き止めました。
「そっちは町の中心です。壁は反対方向でしょう」
クレブは瞬きをしました。そのとき、東電が声を張り上げます。
「おーい、こっちだってば。早く来いよー」
クレブはその声を聞いて、逆方向へ走り出しました。「だってさ、360度に壁はあるし、無駄じゃないし」と、つぶやきながら。