かんわ! 雪女の始まりの一日
短めです。
私は雪女です。「雪女」というのは一般名詞のように扱われがちですが、「ヒエッタ」などという両親の悪ふざけでつけられた名前を名乗る気はないのです。
「ヒエッタはさ、なんで雪山で暮らさないんだい? お前、雪女だろ」
「その名前で呼ばないでください。それに、雪女が雪山で暮らすべきだという考え方自体が、前時代的です」
私は、人里から少し離れた森の中で暮らしています。ちなみに、この子はフライパンさんです。ひとり暮らしは寂しいので、話し相手として作ってみたのですが――
「失敗作ですね」
「は? 俺は成功作すぎるだろ。トビがタカを生んだみたいなもんだぜ」
「むしろタカがトビを生んだのでしょう」
……まったく。
氷でできたフライパンさんは、いつも食卓に居座っています。話し相手なので、そこが定位置です。
「今日はいい天気ですね。晴れているから肌寒くて助かります」
「なんか矛盾してるぞ?」
独り言をこぼしながら、私は室内の備品を凍らせ直していきます。私は雪女ですが、雪より氷を扱う方が得意です。慣れの問題です。氷の方が便利ですから。
「さて、お昼の支度をしましょうか」
「俺つかう? 炒め物だろ」
私はフライパンさんを手に、台所へ向かいます。そこには、私が孤独の末に生み出した氷の調理器具たち――頼れるけれど厄介な同居人たちが並んでいました。
「はろはろはろ」
「鍋つかってぇー」
「冷蔵庫の中身は肉と肉と肉と肉と肉とその他です! 」
「米たけたー。僕、溶けちゃったー」
私は炊飯器を開けます。米が、びちょびちょですね。開けた瞬間、深いため息が漏れました。とりあえず大皿に移しましょう。
「炊飯器は作り直しますか。」
「氷権の侵害だぞ! ストライキだ!」
「「ストライキだ!」」
「はいはい」
ちょっとうるさすぎるので、声が鳴らないように作り直したかったのですが……。私は炊飯器の氷を固め直し、次に冷蔵庫を開きました。
「おすすめは肉です!」
「何肉ですか?」
「肉です!」
「はい……。じゃあ、鶏肉と野菜ミックス出してください」
そう、私のつくったこの冷蔵庫は、欲しいものを手前に出してくれるのです。なんて使いやすいのでしょう。
「あります! 鶏肉と肉ミックスです!」
「鶏肉と野菜ミックスを出してください」
「はい! 鶏肉と肉ミックスです!」
「鶏肉と野菜ミックスを出してください」
「鶏肉と肉ミックスです!」
「鶏肉と野菜ミックスを……わかりました」
抵抗もむなしく、出てきたのは肉ミックス。根負けした私は、それを受け取りました。毎度この調子です。
「じゃあ炒めますね」
「俺の出番だ! 体が燃えるなっ!」
「まだ火つけてませんけど」
「それでも! 熱い……!」
一番性格がましであろうフライパンさんですら、火が関わると人が変わったよにあえぐのです。料理中、私に平穏は一時も訪れません。
とにかく、コンロに火を点けて調理開始です。
「焦げる! 焦げるぅ!」
「やかましいです」
フライパンさんが溶けかけたので、即座に冷却しました。手間がかかりますが、これもいつものことです。
料理を大皿に盛りつけ、食卓へ戻ります。
「俺も連れてけ! 食卓な」
「はいはい、いつもの席ですね」
フライパンさんを食卓に戻し、手を合わせます。
「いただきます」
肉ばかりでしたが、なかなかの出来でした。量が少し多すぎたかもしれません。
昼食後、私は森を出ようかと考えていました。週一の買い出しはおととい済ませています。特に用はないのですが……
「暇です」
「暇だなー」
ここ最近は静かなものです。以前は私に惚れる人がいたり、熊と相撲を取ったりもしたのですが、今では下界の者はまったく訪れません。
「氷鏡でも見ますか」
私は魔法の鏡を取り出しました。氷の監視カメラのようなものです。未来も映せるのが利点ですね。暇なときはこれを眺めて時間をつぶします。ランダムで色々なところの映像が流れるのが面白いのです。
「なにか面白いものは――……あら?」
画面に映ったのは、地蔵の真似をして隣で棒立ちしているカニ。その後、突然走り出したかと思えば、キツネの少女と遭遇して彼女に水を渡します。
「ちょっと!? あれ、若返りの泉の水ですよ!」
「赤ちゃんになったな、キツネの子」
私は氷鏡を少し先の未来へと回します。クレブと名乗るそのカニは、赤子になった少女を見捨て、何事もなかったかのように去ろうとし――
パリンッ。
鏡が割れました。
「未来が見えない……まさか、混沌?」
私は立ち上がり、フライパンさんに命じます。
「彼らにまつわるすべてについて調べてください。至急で」
「わかった」
表面に文字を浮かべたフライパンさんは解析を進め、結果を映し出しました。
「カニはクレブ。キツネはルーネ。それ以外、まったくの情報がないな」
「情報がない? それじゃ、まるで『混沌』です」
私は思い出します。一年前、神々の会議に招かれたとき、一人だけ周囲に馴染まぬ神がいました。混沌の神です。
「混沌?」
「混沌は、触れるものすべてを狂わせます。予測不能の災厄。これは、見過ごせません。私が――コントンヲトメマス」
「今なんて言った?」
「神語です。標準語と同じ音なのに聞き取れないという、あれです。ずいぶんブランクがあったので、きちんと出るか確かめてみました」
私は決意を胸に、外套を羽織りました。
「しばらく出ます。留守を頼みます」
「そんなに大変なのか?」
「ええ。けれど……ちょうど良い暇つぶしです」
「俺も行く! フライパン、現地でも使えるから!」
「いりません」
「お前が俺を焼かなきゃ、誰が俺を焼くんだ」
「『焼く』が『必要とする』とかだったら、ちょっとだけ良いセリフでしたね」
◇
「コンニチハ、コントン」
あれ、聞こえていないのでしょうか。
「ヒトゴロシ二ナルキデスカ」
「だれ?」
「ユキオンナデス」
んー、無視ですか。ならば挑発して差し上げましょう。
「ヒトゴロシデモ、ワタシガコワイノデスネ」
「ん? 聞き取りづらいよ」
あら。神語が通じていない? ……いいえ。あえて理解しないふりをしているのですね。下界の者になり切っていますね。それなら私も、下界の言葉に切り替えましょう。
「人殺しでも私が怖いのかと、あざ笑っているのです。きちんと聞き取って、怖がりなさい」
「えっと、誰だっけ。姿が見えないのに怖がれって言われても無理だよ」
「雪女です」
私を知らないこと自体は不思議でもありません。神にとって私は、どこにでもいる半端者ですから。ですが――
「絶世の美女! どうせ無理だろうけど」
「それがあんたの思う絶世の美女? やっぱりこの程度か」
これが、混沌? いえ、これで私を狂わせているのでしょうか。ならば良し。やっと戦ってくれる気になってくれたということですから。
「私の本気、思い知りなさい」
私はすべての力を注ぎ、姿を変えました。
「すごい……」
「ふん。私の手にかかれば、造作もないことです。それで?」
「好……いや、その……。月が、きれいですね」
……え?
一瞬、時間が止まったように思いました。まさか、混沌の神が――私に告白を? ああ、分かってしまいました。このカニは混沌などではない。混沌ではないのに、ただひたすらに狂っている。
「わ、私に告白のつもりですか? 身のほどを知りゃないっ――!」
「アハハッ!」
「わたしの前で、何のつもりですか。不届き者!」
噛んでしまいました。こんなに無遠慮で、こんなに傍若無人。なのに、不思議と心が騒ぐのです。ああ……クレブ。あなたは混沌ではない。でも、私の世界を狂わせる。
「わつぁいも、あなちゃがちゅきれす……」
口にしたその声は、風に消えてしまいました。ほんとに、クレブに聞かれないで良かったです。噛みまくりでしたね。もう一度言うなんて、しませんよ。そんなやさしさ、クレブに見せてやるものですか。