62.名前
(私は夢を見ているの……? だって、名前で呼ばれたいなんて――彼なりに家族を考えたゆえの……?)
私は混乱していた。
彼の真意を考えれば考えるほど、なんだか心臓の挙動がおかしいような気もする。
確かに家族として、身分の敬称で彼を呼ぶのは――距離があるのかもしれない。
しかし同時に、「呼ばれたい」という……言葉の意味には、彼の個人的な気持ちの表れにも……。
「俺の名前を呼ぶのは……嫌か?」
「……っ!」
黙ってしまった私に、ジェイドは少し悲しそうな声を出していた。
いや、悲しそうなのは私の幻聴なのかもしれないが……なぜか、そうなぜか。
(なんだか、彼の頭の上に――子犬ちゃんと同じ、耳が見えるような……その耳がしゅんとしてるように……)
私の目が壊れてしまったのかもしれない。
そもそも、彼の名前自体は――心の中で何度も呼んではいたが……。
実際に声に出すのとでは、ハードルがかなり変わる。
なんだか彼を今まで以上に、しっかり認識してしまうというか……。
「別に無理をしなくてもいい。嫌なら、嫌でかまない」
「いえ、その……!」
「?」
自分の中で踏ん切りがつかず、あれこれと悩んでいたら。
目の前のジェイドから、気遣う言葉が出てきた。
別に名前を呼ぶことに、嫌悪感はないし――敬語もしなくていいというのは、慣れないながらも……これからの未来のことを思うと、悪いことではない。
ただ私の中の――変な、そう、変な意識がないまぜになっていて。
変に緊張してしまっていた。
(で、でも、彼の希望を否定するのは――私の本意ではない、から……)
変な何かのおかげで、口がもごもごとしてしまっていたが。
彼のそうした希望に対して、私だって――応えたいと思うからこそ。
(ど、度胸、ある、のみ……っ!)
一回、深く息を吸ってから――私は口を開いて。
「……ジェイド」
「!」
「ちゃ、ちゃんと発音は……あっておりま――あってる?」
名前を呼んだ――そのことに、きちんと呼べたのか不安が襲ってくる。
だから彼に、そう尋ねたのだが。
「ああ、あっている」
「本当? 良かっ……」
「お前が呼んでくれて、嬉しい」
「っ!?」
私の言葉に対して、返事をしてくれた彼に。
安心したことを伝えようとした――私の言葉は途切れた。
彼が自身の気持ちを言葉にして……そのうえで、またもや――あの破壊力ある笑顔を浮かべてきた瞬間。
――ドッ!
私の心臓がおかしな音を出し始めてしまった。
(えっ、私に呼ばれて、ウレシイ……? ウレシイってどういう意味……)
心臓の音と同時に私の脳内は、処理エラーが発生してしまう。
さっきははじめて見た笑顔のために、虚を衝かれていたのだが。
今は二度目で、なにより――彼が意味する……その言葉の意味が。
(わ、わかんないわ……! いったい私はどうしてしまったの……!?)
ジェイドが言う意味が分かりそうな――そんなタイミングで、「そんなわけない」と自分で否定して冷静さを取り戻そうとするも、彼の顔を見ると、心臓が変な挙動を繰り返し……。
何度もエラーがループしてしまう状況になった。
「それと……」
「えっ?」
私の中で脳内エラーが起きているとは知らないジェイドが、話しかけてきて。
「先ほど馬車内で俺を撫でてくれると――そう言ったな?」
「え、ええ……」
「あの元気な妖精は……まだこちらへは戻って来ないだろう。だから……」
彼は私の手をそっと掴んだかと思うと、そのまま自身の頭へ導いて。
「今、撫でてくれるか?」
「っ!?」
柔らかな彼の髪を、再び触ることになった。
(ナデ……ナデル……)
ただでさえ、脳内エラーが続いているのに……ジェイドからそう言われた私は。
「ナ、ナデ……ル、ワ……」
「? ありがとう」
「ハ、ハイ……」
まるで壊れたロボットのように、返事をし……。
言われたことに、集中することしか考えられなくなってしまった。
彼が撫でやすいように頭をこちらに向けて来てくれるので、私の心臓を壊す――彼の顔を見なくて済むのが唯一の救いなのかもしれない。
ゆっくりと私が彼の頭を撫でれば、ジェイドは満足なのか……されるがままの様子だった。
(ドウニカ、どうにか……今の内に、私の心臓……落ち着いて……!)
私は彼の頭を撫でながら、そう――必死に自分の心臓に語り掛けるのに精いっぱいになっていた。
だからジェイドが、小さくぽつりと――。
「……ノエルのもとに、母上が向かった……か」
そう言葉をこぼしていたことには、気づかなかった。
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