57.広い
馬車で揺られること――三十分ほど。
「着いたようだな――本当に、ここでいいのか?」
ジェイドは馬車から降りる前に、私にそう尋ねてきた。
その質問を受けて――私は、馬車の窓から外の景色を見て。
「ええ! とっても広々としていて……降りたいですわ」
「わん!」
「ふふ、あなたも早く降りたいのね?」
私の膝の上で大人しくしていた子犬が、私と同じく――窓の外を見てから。
子犬は、嬉しいのか尻尾をブンブンと振っていた。
そんな子犬の反応を皮切りに……ジェイドが動いたかと思えば。
「分かった……では降りよう」
「はい!」
彼は先に馬車を降りて行った――そして、子犬は待ちきれないとばかりに……扉の外へ駆けだしていく。
そんな子犬を追いかけるように、私も出ようとすれば……先ほどと同じく、ジェイドの手が差し伸べられて。
(ま、まだ、慣れないけれど……)
少しぎこちない所作にはなったが、彼の手を貸してもらって――馬車の外に出れば。
「わぁ……!」
視界に広がるのは、広々とした緑と透き通った青空。
建物は一切なく、青々と茂る草原が目の前に広がっていた。
「わんっ!」
そんな景色を見て、目を輝かせている子犬は……ジェイドと私の方を見て、「走っていいの?」と言わんばかりにうるうると見つめている。
おそらくここへ連れてきたのだから、良いのだろうと思うのだが――念のためと思った私は。ジェイドの方をチラッと見る。
すると彼は、私の視線を受けて……こくりと頷いてから。
「ふ……ああ、好きに走ってこい」
優しく笑みを浮かべながら、子犬に話しかける。
すると子犬は待ってましたとばかりに、「わん!」と鳴いてから――。
――ボフン!
「お、大きく……!」
「まぁ……あれが本来の……あいつの姿だからな」
子犬は大きな白い狼へ変身し、思いっきり駆け出した。
狼が走り出すとき、その身体が大きいためか――大きな風が私のほうへ吹く。
(私の知っている狼よりも――ずいぶんと大きいのに……なんだか怖くないわ)
もしOL時代に遭遇していたら、間違いなく気絶してしまいそうに――圧巻の存在なのだが。
すでに子犬の性格を知っており、伸び伸びと走る姿を見ると……こちらもなんだか嬉しくなる気持ちだった。
そう、ジェイドに頼んで連れてきてもらった場所は……城下町から少し離れた高原だった。
はじめは「子犬ちゃんが息抜きできる場所」……思いっきり走れる場所がないかを、ジェイドに聞いたところ――ここに連れて来られたのだ。
(ドックランのような……わんちゃんが、伸び伸びと走れるところ……とは思ったけど、想像以上に広かったわ……!)
そりゃあ、大きな狼が思う存分走れる場所は――街にはなさそうだが……。
自分の想像以上に、広々とした場所に来たので……物珍しく辺りを見渡してしまう。
(王宮とは違って……そうよね、こうした自然もいっぱいある国なのね)
知っている物語では、雄大な自然などあまり気にしていなかったが――。
こうしてノエルのことで悩む自分にとっては、モヤモヤが少しスカッとするような……気分転換にはもってこいの場所のような気もしたのだ。
「ずっと立っていると――疲れるぞ」
「え?」
ジェイドに声をかけられ、彼の方を向けば。
彼は、自然な動作で自身の上着を脱いで……柔らかい草の上に敷いていた。
「え、えっと……?」
「ほら、ここに座るといい」
「っ!」
「まだあいつは……走り回っているだろうから、当分待つことになる。立って待つよりもいいだろう」
ジェイドの言い分は分かる――しかし、こうも……こうも気遣われると、何か裏の意図でもあるのかと疑って……。
(まるで……夜に会いに来たジェイドのように、警戒心が出てしまっているのかしら?)
彼も言っていたが、知っている性格と違うことをされると――こうも疑り深くなってしまうようだ。
私も例外でなく、ジェイドのそうした行動に挙動不審になってしまっていた。
(あの時は――人間は変わるものだと、そう彼に言ったけれども)
言った本人である私が、こうも彼の行動に疑問ばかりを持ってしまったことに――反省をした。
いったい何が彼をこうまでさせたのかが分かっていないが、彼もまた彼の中で変化をしているのだろうか。
(もしくは、ようやっと――ノエルの可愛さに気づいて……?)
上着を敷いてくれた彼を、気づけば無言で見つめ続けていたようで。
「……座らないのか?」
「あ! いえ、お気遣いありがとうございますわ! 座らせていただきますっ!」
「あ、ああ……」
あんまりにも挙動不審過ぎた私を、彼が心配してしまう始末になっていた。
彼の厚意を受け取って、高価そうな上着に座ることに――少し罪悪感も抱きつつ、私は腰を落とした。そして周りをあらためて、見渡せば――。
楽しそうに走りまくる子犬――あらため大きな狼。
馬車付近で、馬を休ませたり――辺りを警戒する護衛の騎士やセイン。
そして……。
ジェイドも私が座ったのを見て、隣に腰を下ろしていた。
(王宮では絶対にありえなかったことだし……こうしてジェイドと、ここに来るなんて)
過去の私は、全く予想していなかったことだろう。
けれど……。
(今の季節がいいのかしら? とても風が気持ちいいわ)
柔らかな風が、吹いているようで――心が穏やかになっていく。
ずっと王宮で、緊張や不安を抱えながら過ごしていたからこそ……なんだか、どっと安心感が増して。
(これがデトックスなの、かしら?)
何も考えずに、私は青空をぼーっと見つめていた。
すると横からジェイドが、ゆっくりと声をかけてくる。
「……気分は晴れたか?」
「え?」
そう語った彼に、私は視線を向けるのであった。
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