39.撫でるとは
こんなことをジェイドに言うなんて、今までの私ではありえなかった。
(そう、背中を撫でる……だなんて……ん? 背中を撫でる……?)
その瞬間、私はハッとなり――。
「言い間違えました! ごめんなさい! 背中をさすらせてください!」
「……」
本日は、聞いた言葉も言った言葉も「撫でる」が多かったため――つい、そう言ってしまったのだ。
やることはそう変わらないのだが、なんだか言葉のニュアンスとして……私がジェイドの背中を愛でるような変な雰囲気になってしまう。
けっして、ジェイドの背中を愛でたいという邪な気持ちではなく、彼の健康を想ってのことで……。
「その……辛い時とか、気分が悪い時には背中をさすってもらうと……少し和らぐことがあったり……だとか……」
私の脳内では、前世の記憶を頼りに――背中をさすってもらったら幾分か気分や症状が落ち着いた思い出がある。
それはテスト前の緊張や、面接のプレッシャーによる腹痛など……家族や友人からしてもらって、助かった記憶があった。
さすがに頭や頬を撫でるのは……私にはキャパオーバーな行動になるが、もしジェイドが嫌でなければ、彼の背中をさすってあげられれば、と思ったのだ。
(これは――いわば……ジェイドへのお礼……!)
審問会で助けてくれたこと――厳密に言えば、子犬が駆けつけてくれたことになるのかもしれないが……それでも場の空気を変えて、彼の妖精の発言によって救われたのは事実だ。
国王である彼へ、私からプレゼント送れるものなんて……財産的にも、あげられるものはたかが知れているが――。
今……彼が、助かっている――私の「手」なら……!
(ずっとこのまま、彼に引け目を感じ続けるのも嫌だもの。これこそ前向きな関係への第一歩!)
私はそう思って、ジェイドへ背中をさすることについて提案したのだ。
ただ私からそう言われた彼は、虚を衝かれたようにこちらを無言で見つめるばかり。
「……」
先ほどから、何もしゃべらなくなってしまった。
(えっ、もしかして――やらかしてしまったパターン……!?)
背中に冷や汗が流れる。
ジェイドの足元にいる子犬は、現状をよくわかっていないのか……きゅるんとした瞳で、私をじっと見つめていた。
(こ、子犬ちゃん……この空気を……た、助けて~~~)
現実逃避をするように、子犬へ助けを求め始めていた――その時。
無言だったジェイドが、口を開いて。
「――お前がそう言ってくれるのなら……してほしい」
「……え?」
「……なんだ、嘘だったのか?」
「えっ、あっ、いえ! さすります!」
自分で言っておいてなんだが、途中のジェイドの無言から――てっきり拒否されるとばかりに思っていたのだ。
だから彼から、了承を貰ったことに驚いてしまった。
しかしこうして言葉をもらえたのだから――私は、手を持ち上げてぎゅっと力を入れてから。
「そうしましたら、背中をさすりますので――少し前へ身体を、出していただけますか?」
「……分かった」
現在、私は彼と少し距離を取って立っており――ジェイドは椅子に腰かけていた。
私が彼に近づいて、背中をさすろうにも背中と背もたれの間に隙間が足りない状況だったのだ。
そのため、お願いをすれば――彼はすんなりと行動してくれる。
(私から、自ら触ることになるなんて……)
今日一日、とんでもなくジェイドとスキンシップをしてしまっているような気がするが……。
(あくまで彼の体調を良くするため……! これは応急手当……みたいな……)
自分で言って、なんとも無理のある言い訳のように感じつつも、一度決めたことを曲げるのは嫌なため。
彼の方へゆっくりと近づいて、触りやすくなった彼の背に――私の片手を伸ばして。
さす、さす……と、ゆっくりに上下で彼の背中をさすってあげた。
記憶にある、背中をさすってくれた思い出よりも……自分が感じる緊張感が半端ないようにも思ったが。
(これで彼の元気に、少しでもつながれば……)
それでいいと思った。
私がジェイドの背中をさすっていれば、子犬はいったい何をしているのかと興味津々なようで――私とジェイドの周りをぐるぐると回っていた。
そして私に背中をさすられているジェイドは、目を閉じて休息をとっているような雰囲気だった。
会話は特に生まれず――ただ私が、ジェイドの背中をさする時間が……ゆっくりと流れていくのであった。
■ジェイド視点■
おかしい。
俺と話すことにまだ慣れない彼女が――まっすぐと俺に意見を言った。
それも俺のことを思いやるように、背中をさすると……。
そんな彼女の姿から目が離せなかった。
しかも俺の動悸も、壊れたように動いていて。
彼女の行動と言葉に、意識が向いてしまう自分がいた。
(おかしいのは、俺……なのか?)
最近までは――レイラは警戒に値すべき人物だと、気を張っていた。
しかし今では、彼女に触れられると……どうにも心地がいい気分になってしまって。
庭園に来たはじめ――頭を撫でられた際、その居心地の良さに気が付いた。
(あれはてっきり……俺の妖精に感化されてなのだと)
ユクーシル国の人間は、自分の守護妖精とほぼ一心同体のような関係だ。そのため、妖精が感じたものはダイレクトに自分に届く。
子犬の姿になっている自身の妖精が――飼い犬のように、レイラに撫でられているのを見て。
本当ならば憤りを感じそうなのに、何故だか「うらやましさ」が生まれてしまった。
あの子犬が、これ見よがしに俺に「いいだろう」と見て来たこともあるのだが。
どうしても撫でられたくて仕方がなくなってしまった。
(レイラに、こうした情けない姿を見られたくはなかったのだが……)
妖精によって振り回される“本能”が、大きくなってしまい――つい、出てしまった。
この本能は自分を凌駕するほどの妖精の力、それと原因不明に襲い来る病魔によって生まれていた。
薬を飲んでも、自分の忍耐力を鍛えても――まるで台風のように、理性を荒してくる。
(数年前からは、眠ることすらも……)
寝て休むという、基本の行いすらも蝕むように……目を閉じると強烈な吐き気を感じてしまうのだ。
これは自身の妖精の力が有り余るせいなのか、突如として現れる病気のせいなのか。
どんな医者に診せても、事態は変わらなかった。
(だから、妖精の力を――普段は制御し続けて、子犬にすることでコントロールをとっていたのだが……)
まさかレイラが妖精に触れることができるなんて。
それによって、自分の忍耐力以上に感化されてしまうなんて。
(いや、それよりも……)
妖精がいなくなったあとに、再度彼女に触れられても心地の良さは生まれた。
(なぜだ? 彼女はユクーシル国の人間でもなければ、敵対もしていたはずだ)
自分の中に疑問がたくさん生まれてくるも――現在、彼女が背中をさすってくれるおかげで、体調が良くなっていく。
先ほどまでは、まるで血の気がひくような……目の前の景色がモノクロに映り、言い知れぬ吐き気が全身を襲ってきた。
けれど彼女が、レイラが俺の頬に触れた時――靄が晴れるようなすっきりとした気持ちになった。
(俺は……レイラに……伝えていないことがたくさんある)
妖精のことも、自分の身体の現状のことも、そして母との関係のことも。
どれもユクーシル国の――王族、そして国の重大機密が絡んだ話だ。
もし彼女がヨグド国に、その話を漏らせば……この国が倒れる可能性だってある。
彼女が自分の息子――ノエルを想っていることは、最近よく目にするが……。
親子の情など、俺には分からないし……むしろ、信じてはならないものだ。
でも。
自分の恐怖や不利益を置いておいて、こうして背中をさすってくれる彼女に――俺はこのままでいいのだろうか。
目を閉じていてもなお、彼女の目が、意志が、言葉が脳内で再生される。
(俺は――レイラに……)
うまく言葉に出せない気持ちが、俺の中に渦巻いていた。
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