二人だった私たちへ
これは恋じゃない。
これは恋じゃない。
これは恋じゃない。
二人の子供が庭に座り込んでいる。二人は女の子で、花をまとめたり、繋げたりしては遊んでいた。
穏やかな春の日、木漏れ日の下で、永遠のような時間を過ごしていた。
一人の女の子は笑っているのに、一人の女の子は何とも思ってないような顔で素っ気なくその子を見ていた。
暖かくて、気持ちよくて、しあわせな、二度と忘れられない記憶。
もう二度と開かない宝箱の中身。
「あの眉がいいんだよ、可愛いし。涙袋もあってまつ毛も控えめ、その上あふれ出る小動物オーラが溜まんないんだよなあ。わかる? あの可愛いの権化みたいな……」
「リアは媚びうるような声してるから嫌いだって言ってたよ。その子」
リアの為に彼女の両親が開いたお茶会が終わるや否や私を部屋に呼んで意気揚々と語る彼女に、ぴしゃりと事実を投げつけた。
侍女が窘めるような視線を私に送ったがそんなの関係ない。憂さ晴らしの為じゃなく、リアには貢ぎ癖があるからだ。リアが貢ぐようになったら困るのはお宅なんだから。
「いやああああ! 私の夢壊さないでよ。あびあぶらばばばばばみかかかううう」
リアは頭を抱え、意味の分からない文字列を叫び出した。
リアは驚くと毎回こうなる。それでも懲りずにお嬢様語りをするんだからいかれてる。
しばらくしてリアは落ち着きを取り戻すかのように二回咳ばらいをした。それを合図に私は声をかける。
「ごめん。なんかリアが危うく見えたから……」
「そ、それは分からなくもないけどひどいよ! 私、女の子に夢見ちゃうタイプなんだから」
「うん。それはわかってるけど……」
「わかってるならやめてよおお」
そう言ったっきりリアが私を責めないのは私にも申し訳なさがあるってこと、気付いているからだと思う。表情の変化が乏しく、誤解されがちな私の心を、リアはわかるみたいだった。
『いま怒ってる?』とか『面白いでしょ?』とか、自信満々に聞いてきたそれは初めは的外れだったりしたものの、すぐに当てるようになり、今はもう聞かなくなった。でも分かりやすいリアのことだ、その顔を見てたら彼女の意図は何となくわかる。
「何が嬉しいの?」
リアは不思議そうに私の顔を覗き込んだ。別にそんな顔していないつもりないのに、久しぶりに問いかけられてぎくりとした。さすがに驚いたのには気付いてないみたいで首を傾げるリアに、私は変な事言わないといいなと思いつつ口を開けた。
「んー? リアの全部」
「ふっなにそれ?」
リアが笑い出すので「さあ?」と両手を広げて見せた。正直自分でも何を言っているか分からなかった。
それでも間違ったことは言っていないはずだ。
私は尊ばなくてはいけない。
目の前で笑っている女の子のことを。
「そろそろベッドに戻りなよ。多分咳がひどくなる」
私はミリー、リアの為の置物に過ぎない存在だ。公爵家に病弱なリアの遊び相手として、遠くに縁を持つ下級貴族の私が買われた。初めてリアと会ったのは五歳のときで、それ以来ずっと一緒にいた。
あったその日から私はリアのものだった。言われるがままともに遊び、寝、いたずらも行った。体の弱い彼女がやりたくてもできないことを代わりに私がやった。勉強も運動も楽器も彼女が望むままに、私に夢見るままに。病弱で寝ていることが多い彼女の楽しみは私と、お茶会に来る女の子を眺めることだけだった。
リアは可愛いものが好きでわがままだし気難しい子だが、嫌ではなかった。だって私にはリアしかいなかったから。私の内側に入ってくるのはリアだけだった。
その瞳が、声が、存在が、私を影響するすべてが愛おしく心地よくて、なぜか涙が出るような気持になる。
きっとそれはリアが大人にならないうちにこの世界からいなくなってしまうからだ。
リアの余命はもうほとんどない。
私たちはこの前15になった。そしてリアは16にはなれない。その事実はずっと前からみんな知っていた。私も、公爵夫妻も、社交界中にさえそれは知れ渡っており、私たちはずっと覚悟していた。
それでもどうしようもできない。数週間と立たないうちにリアの16回目の誕生日が来る。
ちょっと前にリアは風邪をひいて、もうずっと治っていない。最近は咳もひどくなり、眠っていることがずっと増えた。お茶会の頻度は上がり、私だけが参加してリアは部屋から眺めるだけになった。
お茶会の度にリアは元気よく女の子について語るが、しばらくすると咳が酷くなってそれどころではなくなってしまう。
リアと一緒に寝ている私にはよくわかった。彼女の熱がずっと下がらないこと、そのくせ震えていること、咳で眠れないことも。
リアがいなくなったとき、私はどうなるんだろうか。
私と話すときは体を起こそうとするリアが珍しく寝たままだった。
「私、もうすぐ死ぬよ」
「そっか」
私が頷くとリアは何故か笑った。
「ミリーは何かないの? 最近ね、お父様お母さまは死なないでってあなたが居ない隙に言うの。私なんて眼中にないみたいな感じでお祈りしては部屋から出てくんだよ。正直こんなしんどいのが続くの、もうやになったよ」
そこで区切ってリアは笑いなおした。その笑顔がだんだんと沈んでいく様を見た後だと、苦しそうで嫌だった。それが泣きそうな笑顔だからさらに嫌だった。
「でも、怖いよ。やっぱ死ぬのって……あはは、私、独り苦手なんだよ、嫌いなの。知ってる?」
私は頷いた。そんなこと知ってるに決まってる。夜中ずっと私をリアが離さないのを知ってるから。だからなんで泣かないのか聞きたかった。でもそんなこと無駄だとは気付いた。
「一緒にいこうか?」
「やめてよ。私ミリーに夢見るタイプなんだから。ミリーは、私のことをずっと好きでいるんだよ。私を忘れないで生きていくの」
私は思わず声を出して笑ってしまった。一緒に死んでほしいというよりも、ずっと呪いじみたことを言われてしまった。その呪いが私を決心させた。
「リアとね」
「私、死ぬよ?」
浮世だってきたリアの瞳が私を映した。覗き込んでいるのは私なのかリアなのか分からなくなってる。
「東洋は医学が発展してるらしい。だから、リアと一緒にいられる方法を探しに行く」
私の言葉はリアにとって突然で、何度も瞬きをしている。
「やっぱミリーも私に死んでほしくないんだ?」
「別に。でも、一緒に居たい。ずっと」
「なにそれ……」
リアは暫く笑っていたが私が準備をしだしたのを見てから黙ってしまった。
「またね」
リアからの返事はなかった。
私、もう死ぬんだろうな。疲れたとかいうのでは済まされないくらい身体が動かせそうになかった。
ミリーがいなくてよかった。もし、側にいてくれたらやっぱり一緒に来て欲しいって泣いてしまいそうだったから。
ほんとはあのとき、頷いてしまいたかった。そして頷いてしまったら何が何でもミリーがついて来てくれたことを嫌なくらい理解している。
でも、私、ミリーに夢見るタイプでさ、女の子に夢見ちゃうタイプだからさ。……自分にも夢見ちゃったんだよ。
ミリーの友達が……私が「一緒に死んで」ってお願いするなんて嫌だったんだ。
いくら夢を見たってこの身体じゃできないことばかりで、でも、だからミリーにあえて……最後に夢見た私になれたなら、もう、幸せかな。
でも
「お嬢様、ほんとうにきょう出発していいんですか? おそらくリアお嬢様はもう……」
「死んじゃうよね」
「ならばなぜ?」
港へと向かう馬車の中、従者はミリーに問いかけた。しかしその返事はなかなか返ってこず、揺れる音だけが車内に木霊する。
「私はリアと一緒にいられる方法を探すだけ」
「もしや、死体の保存方法ですか?」
「いや、死体にリアを留める方法だよ」
ずっと考えてきたんだとミリーは続ける。
「このまま生きていても、リアは苦しいだけ。なら、一度死んでしまえばいい。そして蘇らせれば、ずっと一緒にいられるでしょ?」
ミリーは口をつり上げ、笑みを浮かべていた。