第087話
「なぁ、本当にダイオウクラゲはいらねぇのか? あんなにダイオウクラゲダイオウクラゲって言ってたのによ」
「うん。もっといいものが手に入ったから!」
色無鮫を討伐した翌日の昼過ぎ。荷物をまとめたユーリ達をレイが見送りに来ていた。
本当なら朝から出発したかったところだが、ニコラとフィオレが最後にどうしても温泉に入りたいと強く熱望したため、結局出発が昼過ぎになった次第である。
漁師達は朝から海に出ているため、見送りには来ていない。というか、まさか昨日の今日でユーリ達が出発するなどとは毛頭思わなかったのだ。
海から戻り既にユーリ達が出発してしまったことを知ったら、大恩のある相手に礼が出来なかったとさぞ悔やむだろうが、ユーリにとってそんなこと知った事ではない。ユーリは欲しい物が、いや、欲しかったもの以上のものが手に入って万々歳なのだ。はやく学園に戻って研究したい。その思いで頭がいっぱいだ。
ユーリはパンパンに膨らんだ袋から、透明な三角形の物体を一つ取り出す。5センチほどの大きさでクリスタルの様にキラキラと輝くそれは、紛れもなく色無鮫の歯である。大小合わせて二百はあろうか。膨らんだ袋をジャラジャラと鳴らして、ユーリは屈託なく笑う。
「レイが倒してくれたから手に入ったんだよ! 本当にありがとう!」
ユーリは歯の中で一番大きな物をレイへと差し出す。太陽の光を受けて輝くそれは大変に美しい。
「良いのかよ。一番おっきいやつだろ、これ」
レイは受け取ったあと、まじまじと眺める。レイにとって特に利用価値のあるものではないが、子供はこういうものが大好きである。ユーリが錬金術に使うと言っていたから言い出せなかったが、ひとつでいいから欲しかったのだ。
「うん。僕はどうせ粉末にするから小さくてもいいし」
「も、もったいねぇ……」
物の価値は人それぞれである。
ユーリはレイの手を両手でギュッと握り、顔を近づけて言う。
「レイ、本当に本当にありがとう! 全部レイがいてくれたおかげだよ! レイに会えて、本当に良かった!」
「ツッ……!! お、俺は父ちゃんの腕を治してくれた礼をしただけだっ!!」
思わず赤面するレイ。胸が痛む。なんて不毛な恋をしてしまったのだろうか……
「ユーリ、そろそろ出発するわよー。早くしないと夜までに次の村に行けなくなっちゃうじゃない」
放って置けばいつまでも話していそうなユーリにニコラが声をかける。朝からのんびりまったり風呂に入ってた人物のセリフとは思えない。
「はーい! それじゃレイ、また遊びに来るね! もし領都に来ることがあったら、魔法学園に寄っていってね、絶対だよ!!」
「わ、分かった、分かったから離せっての!!」
ようやくレイの手を離して、ユーリは馬車に飛び乗る。
それを確認してニコラが手綱を引いた。ゆっくりと馬車が動き出す。
「レイー! 本当にありがとー! またねー!」
「おう! またなー! フィオレと、あと、えっと、商人のねーちゃんもまた遊びに来いよー!」
「はーい、また遊びに来ますねー!」
「あんた、私の名前覚えてなかったの!?」
いろいろとアクシデントはあったものの、ユーリの初めての遠征は大成功に終わった。
◇
シグラス村から帰ってきてから、ユーリは自分の部屋に戻ることもなくエレノアの研究室に直行していた。子供特有の体力である。
「なるほど、そしてこれがその『色無鮫の歯』という訳ですね」
「うん! 見ててね!」
ユーリはキラキラと輝くそれをためらいなく金槌で叩き割り細かくして、さらに薬研で粉末にし、触媒と混ぜ合わせる。
魔力用紙にまんべんなくふりかけ、中心点に指を置いて魔力を込める。すると……
「ほら、円形になった!」
「本当ですね!すごいです!」
ユーリ達は、波長が飛び出しているところがその人の属性であると仮定している。その仮定が正しいとするのならば、波長のギザギザが存在せず、円を描くということはすなわち、無属性状態になったと言うことである。
「私も試してみていいですか?」
「もちろん! やってやって!」
次はエレノアで試してみる。
結果は果たして……
「すごい、円形ですね」
エレノアの波長も円の形を描いた。色無鮫の歯……質の高い中和剤と触媒を使用すれば、その人の固有の波長が無くなるということは確かであろう。
そうと分かれば次は、波長の消えた魔力を、魔法素材を使用して新たな属性の波長へと書き換える方法だ。
「単純に考えれば、中和剤で無属性状態にしたあと、魔法素材を通せば良いような気がしますが」
「とりあえず、試すだけ試してみよう」
早速とばかりにユーリがナイアードの髪を取り出す。
「えっと、触媒と中和剤を混ぜた物から、ナイアードの髪を通って、最後は魔力用紙に……。よし、やってみよう」
ユーリは指先から魔力を通す。錬金術を行うときのように。触媒が発光し、魔力はナイアードの髪を通り……
「……波長が、現れました」
期待通り、魔力用紙は水属性を示す波長を描いた。
「出来た……」
ユーリは震える。歓喜に震える。
自分の仮説は間違っていなかった。これで、自分の魔力を他の属性へと変換させることができたのだ。
理論上、どの魔法適性を持つ人でも、そもそも適性を持たない人でも、好きな属性へと魔力を変換することができる。
ユーリの壮大な夢、
『すべての人が、すべての魔法を使える世界』
その夢にまた一歩近づいた。
一体どれほど歩けばいいのかは未だ分からない。だが、確かにまた一歩、近づいたのだ。
第三章、魔法への二歩目~ダイオウクラゲと中和剤~ 完