第082話
夕の六の半の刻。
浜が少しずつ賑やかになってくる。
この時間はシグラス村の漁師達の憩いの時間だ。魚と酒に舌鼓を打ち、翌日への英気を養うのだ。
「それじゃフィオレ、このお酒持って行って。酒と女で懐柔するわよ」
ニコラはフィオレに一升瓶程の大きさの酒瓶を渡す。その重さによろめきつつも、なんとか抱きかかえる。
「私が、ですか? 女性ならニコラさんのほうが歳上ですし、男性の方達も喜ばれるんじゃないでしょうか」
「あんたが丁度良いのよ。私みたいな商人から物を貰うと気構えるやつが多いのよ。それにこういうところにいるガサツな男たちには、あんたみたいな清楚っぽい子の方が効果的なの」
「えっと、分かりました」
いまいち納得が行かないが、どうやら自分が適任らしい。可愛い弟のためにも頑張らなければ。
酒瓶を落とさないように抱え直す。
「僕はどうすればいいの?」
「フィオレの周りをチョロチョロしてればいいわ」
「分かった!」
「うっし、それじゃ、レイのお父さん懐柔作戦、開始ね」
酒と女。男を堕とす準備は整った。
シグラス村の日暮れは早い。西に高い山を背負っているため、太陽が隠れるのが早いのだ。
とはいえ季節は夏。太陽はまだギリギリ顔を出している。
刻は七。海の男達は酒と魚に舌鼓を打ちながら笑い合う。話は海と魚と女の話だ。この漁村には話題はそれくらいしかない。
酒も入って陽気になっているのだろう。笑い声もデカい。
そんな中を場違いな三人が歩く。
「あ、あの人かな!」
ユーリがいち早く左腕のない男性を見つけた。
真っ黒な肌、短い髪にハチマキを巻いた勇健な壮年の男である。潮風にさらされている顔に皺は多いが、衰えは感じさせない。豪快に酒を飲み豪快に笑っている。
フィオレはゴクリと息を呑んだあと、意を決したようにその男の方へと向かう。
「あ、あの。レイ君のお父様でしょうか?」
「ん? 誰だおめぇは」
レイの父、カッドはフィオレに目を向ける。
ジロジロとフィオレを睨め回す。
「ヒッ」
一歩下がりそうになるフィオレ。しかし、ユーリのためにも頑張らなければならない。キュッと口を結び耐える。
ちなみにカッドにはフィオレを睨みつけているつもりなど毛頭ない。ただ、シグラス村ではほとんど見ることのない珍しい制服を着た可愛い少女を物珍しく見ているだけだ。
そして抱えている酒瓶らしきものに興味を惹かれている。カッドは酒に目がない。
「あ、あの。フィオレと申します。漁の話を聞かせて欲しくて……これ、お近づきの印に」
フィオレが酒を差し出すと、カッドは白い歯を剥き出して豪快に笑った。
「おぉ! 良いのかい嬢ちゃん! ガッハッハ! お前ら、酒の差し入れだ!」
貰った酒瓶を片手で軽々と掲げてカッドが言うと、男達から感謝の言葉や拍手が飛んで来る。
「後ろの二人も連れかい?」
「あ、はい。ここまで連れてきてくれたニコラさんと……」
「僕はユーリだよ! よろしく、レイのお父さん!」
「そうかいそうかい。まぁ座れ座れ。酒の礼だ、好きに食え。そいじゃ早速飲ませていただくぜ」
カッドは早速酒瓶を開けると、盃代わりの貝殻にトクトクと注いで口に近づけ……飲む前にクワッと目を開いた。
「嬢ちゃん、こいつはどこの酒だい?」
「えっと……」
当然フィオレに酒の知識などない。すぐにニコラが口を挟む。
「ベルベット領の北西の山で作られる酒よ。原料は芋。強い香りとまろやかな味わいが魚に合うと思うわ」
「……」
ニコラの説明を聞いて、そのまま無言で一口。
「……うまい!! ガッハッハ!! こりゃうめぇな!!」
どうやらお気に召したようだ。フィオレがホッと胸を撫で下ろす。懐柔作戦、成功である。
しばらく歓談した後に、話は本題へと移り変わる。
「んで、何かお願いがあってきたんだろ?」
「はい。私達、ダイオウクラゲが欲しくて来たんです」
「ダイオウクラゲだぁ〜?」
その言葉を聞いて、カッドは嫌そうな顔をする。
「あんな厄介者どうするってんだ? デカイわ重いわヌルヌルするわ、食ってもまずくて肥料にもなりゃしねぇ」
相当な嫌われ者の様である。
「僕が錬金術で使うんだ」
「錬金術……って、おめぇがか?」
「うん」
カッドはしばらく目を丸くしてユーリを見つめる。そして、
「アーッハッハッハ! 冗談はよしてくれ! おままごとじゃねぇんだからよ!」
カッドはユーリの小さな頭をワシワシと撫でながら大笑いする。信じられないのも当然だろう。
「むぅ〜」
「嬢ちゃんが錬金術師だってんならよう、何か便利なもんでも作ってくれや! ガハハハ!」
ユーリはむくれながら、ワシワシと撫でるカッドの手をペシッと払い除けると、プンスコといった様子で海の方に向かう。
「あれま、拗ねちまったか?」
「まぁ子供ですから。それよりもどうぞ、もう一杯」
ニコラはカッドに酒を注ぎながら内心でほくそ笑む。
横目で伺うと、ユーリが波打ち際で何やらごそごそとやっている。多分あの子なら、何かあっと驚くことをしてくれるだろう。
しばらくすると、ユーリがいくつかの貝殻を持って帰って来た。陶磁器の様にツルツルとしたきれいな貝殻、タカラガイである。個数は4つ。
「お、良いもん拾ってきたな。子供は好きだよなぁ、タカラガイ」
そんなユーリをどこかホッコリとした雰囲気で見るカッド。
ユーリはカッドを無視し、キョロキョロと周りを見回して、二枚貝をこじ開けるのに使っている金属のヘラのようなものを見つけて持ってくる。
肩に提げているポシェットから丈夫そうな紙のようなものを取り出し、カッドの目の前に広げる。
触媒を取り出し、円を描き、4つのタカラガイとヘラを円上に設置。
「お? なんだ? おままごとか?」
「触らないで」
タカラガイを抓もうとしたカッドにピシャリと言い放ち、深呼吸を一つ。
触媒に人差し指を触れ、目を閉じる。
スッと触媒が発光した。
簡易錬金台を用いた錬金術である。
簡易錬金台はその名の通り、どこにでも展開できる錬金台である。
錬金台の役割はおもに2つ。一つは錬金反応を起こさない材質で作られており、魔力反応が触媒と素材以外に流れなくする役割。
もう一つが平らであることで、これは錬金術のやりやすさに関係している。
真っ平らであれば、触媒に魔力を飽和させる作業がやりやすいのだ。デコボコしていれば、当然魔力もデコボコと通さなければならない。そうなると魔力飽和の難易度は上がる。
簡易錬金台は布状のもので、平な所に置くことによりその場に錬金台を作ることができる優れものだ。
しかしここは砂の上。平な所などない。
ユーリはデコボコした触媒に慎重に魔力を通していく。
ここに錬金術に詳しい人がいれば、ユーリの正確な魔力操作に舌を巻いただろう。
「これは……」
眼の前で起こっている事象。決しておままごとなどではないとカッドも気がついた。大人顔負けの集中力で何かをしようとしている白髪の子供。何をしているのかは詳しくわからないが、思わず見入ってしまう。
しばらく立つと、一つ、二つとタカラガイが割れていく。本来なら錬金術に使えるほど属性値が高いものでは無いのだ。それを4つ使うことにより属性値不足を補っている。錬金術における高等技術ともいえる技だ。
最後の一つにヒビが入ったところで錬金反応は終了した。一つ、大きく息を吐き出す。
「……できた」
「い、一体何をしたってんだ?」
問うカッドには答えず、ユーリはカッドが盃代わりにしている貝を手に取り、酒をついで錬金した金属のヘラでかき混ぜる。
しばらくしてカッドに盃を返す。
ユーリの有無を言わせぬ瞳に気圧され、その酒を一口……
「冷てえ……」
そう、ユーリが即興で作ったものは、かき混ぜる事で液体の温度を下げる魔導具である。ヒエヒエ君スプーンといった所だろう。
カッドは右手の拳を地面につけ、潔く頭を下げた。
「笑ってすまねぇ。俺は錬金術なんてものをよく知らねぇが、こんなものを作れるってことは立派な錬金術ってことなんだろう」
「分かってくれたならいいよ」
「……しかし、それでもダイオウクラゲは獲りには行けねぇ。命を危険に晒すわけにはいかねぇんだ。旨い酒まで貰ったのにすまねぇな」
「ううん、大丈夫。こっちこそ無理言ってごめんね」
「代わりと言っては何だが、今日は好きなだけ食べてくれ! ベルベット領都では新鮮な海の幸なんて食えねぇだろ?」
湿っぽい空気を断ち切るようにカッドが大きな声を上げると、他の漁師がユーリ達の前にドンと刺し身の盛り合わせを置いた。
「魚はな、本当は生で食うのが1番うめぇんだ。騙されたと思って食べてみろ」
内陸にあるベルベット領都では新鮮な魚の入手が困難であるため、生の魚を食べる機会などほとんどない。
ユーリ達はしばらく躊躇したあと、刺し身を少しだけ口に入れる。
「あ、美味しい」
想像していたよりも臭くなく、むしろ甘みのある味わいである。
ダイオウクラゲへの道は振り出しに戻ったものの、新しい出会いと未知の料理に満足する三人であった。




