第081話
翌朝ユーリが目覚めると、フィオレとニコラの姿が無かった。
荷物を見るに、どうやら朝から温泉に入りに行ったようだ。最初は温泉というものに疑問を感じていたであろうフィオレだったが、どうやらたった一回の入浴で虜になってしまったようだ。
もっとも、エアコンなど存在しない海辺の家で一晩寝たのだ。年頃の少女であれば汗や潮のベタつきや匂いが気になってしまうのも仕方がない。
二人が戻ってくるまで適当に近くを散策しようと扉を開けて外に出ると、強い日差しがユーリを襲った。
シグラス村は東側に海が広がっているため、太陽を遮るものがなく朝日が登るのが早い。まだ朝の6の刻ではあるが、太陽は燦々《さんさん》と輝いている。
昨日来たときにはたくさんあった船は、すでに漁に出たのかほとんど見当らない。
ユーリは何か面白いものでも無いかと浜辺をうろつく。
浜辺に打ち上がっているものはほとんどが価値の無い貝殻や海藻、流木だ。
時折クラゲも打ち上がっているが、殆どがミズクラゲ。中和剤の原料となるものだが、クリアスライムの核よりもその能力は劣る。今欲しいのはダイオウクラゲだが、そうそう都合よく落ちてるわけも無い。
「やい! お前、どこんちの子供だ!」
砂浜にしゃがんで貝殻を見ていると、いきなり声をかけられた。
ユーリが立ち上がって声の方向に顔を向けると、この村の子供らしき少年が銛を手にこちらを見ている。
身長はユーリと同じくらいで、よく焼けた褐色の肌と、後で束ねた黒い髪。身体に無駄な肉はついておらず細身だ。
短パンに裸足、上半身は裸だ。首元には大小いくつかの鮫の歯をあしらったネックレス。
見るからに漁師の息子といった出で立ちである。
「こんにちは。僕はユーリ。君は?」
「な、なんだ、女かよ……」
ユーリの顔を見て途端にうろたえる少年。どうやらユーリのことを少女と勘違いしている様だが、そのつぶやきはユーリに届かなかった。
「お、俺の名前はレイ、漁師長カッドの息子だ! ここはシグラス村の漁港だぞ! そよものが何してるんだ!」
ユーリを少女と勘違いしているからか、レイに先ほどまでの勢いはない。
「レイのお父さん、漁師なの!?」
反対に漁師と聞いてユーリの方が目を輝かせた。レイの訝しげな目など無視してユーリはズイと距離を詰める。
「そ、そうだけど……文句あるのかよっ!」
「文句なんて無いよ! ねぇレイ、最近ダイオウクラゲが獲れたとか話きかない!? 僕、ダイオウクラゲを探しに来たんだ!」
「ダイオウクラゲぇ〜?」
レイの目が訝しげなものから、胡散臭いものを見る目に変わる。
「最近は網にかかたっていう話はあんまり聞かねぇよ。ダイオウクラゲがいないところで漁をするようになったからな」
「そっか〜」
「だいたいあんな厄介者、どうして欲しいんだよ。でけぇだけで食べられねぇし、他の魚をどろどろにしちまうし、網も重くなるし……」
「錬金術で使おうと思ってるんだ」
「錬金術ぅ〜?」
シグラス村の様な小さな村で錬金術に触れることはほとんどない。
レイも錬金術を『よく分からないけど怪しいもの』として認識していた。
最初は可愛い女の子だと思ってどきまぎしていたが、今ではすっかりユーリのことを怪しい人だと認識を改めていた。
「よく分かんねぇけど、あんまり漁港をウロウロするなよな!」
「あ、待って待って!」
イソイソと立ち去ろうとするレイだが、ユーリが追いかけて腕を掴む。
「ヒィッ!」
ダイオウクラゲなんて物を欲しがる怪しげな真っ白な可愛い幼女に腕を掴まれて、レイはかるくパニックである。しかもこの少女、やけに力が強い。
「お父さんとお話させて! 僕、どうしてもダイオウクラゲが欲しいの!」
「し、知らねぇよ! 離せよ! な、なんだこいつ、力強過ぎだろ……っ」
レイとて海の男として身体を動かしているため力はつよい。とは言ってもしれっと身体強化を発動しているユーリにかなうはずもない。
「レイー! お願いー! お父さんを紹介してー!」
「や、やだよ! 離せよぉ!」
もはやレイは半泣きである。
そこに朝風呂帰りのフィオレとニコラが戻ってきた。
「ユーリ!? どうしたの!?」
もしや地元の少年にいじめられているのでは無いかと慌ててかけよってきたフィオレだが、近づいて見てみるとどうやら違うらしい。
どこからどう見てもユーリが相手を困らせている。もはやいじめてるまである。
「ユーリ、何があったの?」
「あ、お姉ちゃんおかえり! レイがお父さんを紹介してくれないのー!」
「レイさん? お父さん??」
いろいろと省かれたユーリの説明に混乱するフィオレ。
「えっと、君がレイ君かな? はじめまして、ユーリの姉のフィオレ、よろしくね」
「え……あ、は、はじめまして……レイです」
先程までの態度はどこへやら。レイはモジモジしながらフィオレに答える。
そんなレイに、フィオレが笑みを浮かべて言う。
「ユーリが迷惑をかけてごめんね。少しだけ、お話を聞いてもらえるかな?」
美少女に分類されるフィオレである。小さな漁村に生まれ育ったレイにとって、魔法学校の制服を来て柔らかな笑みを浮かべるフィオレは、まるで麗しのお嬢様の様にすら思えるのだ。上半身裸で槍を持った田舎者丸出し姿の自分が恥ずかしくなる。
「す、少しなら、別にいいけど……」
「やった! ありがとうレイ!」
「だあぁ! 別にお前のためじゃねぇよ!」
レイがフィオレに籠絡されたところで、ユーリはダイオウクラゲが欲しいことと、シグラス村でよく網にかかっていると聞いたことを話す。
「だから、もしかしたらダイオウクラゲが獲れて無いかと思ってきたんだけど……」
「残念だけど、最近は全然かかってねぇよ。昔は海流があんまわかってなかったけど、最近はどこにダイオウクラゲがいるのか大体判明してきたからな。みんなそこを避けてんだ」
「そのクラゲ、買い取るって言ったらいくら位で獲って来てくれるの?」
商人のニコラが口を挟む。流石に直接漁の依頼をしたことが無いので相場はわからない。
「金の問題じゃない。そもそもまず『無理』なんだよ」
「何で無理なの? たかがクラゲじゃない」
純粋に分からないという顔でニコラが問うと、呆れたようにレイが答える。
「ねーちゃんたち、ダイオウクラゲがどれくらい大きいか知ってるのか?」
「え? えっと、1メートルくらい?」
レイがやはり分かっていなかったかとため息をつく。
「大きいのだと5メートルにもなるんだ」
「5メートル!?」
予想外の大きさに驚く三人。名前からして大きいのだろうとは思っていたが、想像以上の大きさだ。
「ああ。父ちゃん達は2つの船に網を張って、引っ張ってくるって方法の漁をしてる。ダイオウクラゲなんてかかっちまったら、陸に戻るのさえ一苦労だ。早い海流にのっちまったら帰れなくなっちまう。昔はデカいダイオウクラゲが網にかかって、泣く泣く網を捨てて帰って帰ったこともあるんだよ。それだけ厄介なんだ」
どうやらお金の問題ではないらしい。たしかにそんな大物がかかれば、手漕ぎの木製の船では陸まで戻るのも一苦労だし、下手をすれば命に関わる。
「ま、そういうわけで諦めるんだな。そもそも普通の漁でさえ命がけなんだ。わざわざ危険度の高いダイオウクラゲを取りに行くわけねぇんだよ。まぁ、たま〜〜に砂浜に打ち上げられてることがあるから、欲しいならそれを待つんだな」
「たまにって、どれくらい?」
「俺は毎日浜に来てるけど、二回だけ見たことあるな」
七、八歳の少年が毎日浜に来ていて今までで2回。たった5日程度の滞在で期待できる確率ではない。
「うーん、何とかならないかなぁ……」
「まぁ諦めるしかねぇよ」
「船を借りて自分で行くとか……」
「素人だけで海に行くのはおすすめしないぜ。流されて漂流するぞ」
「うーん……」
どうやら八方塞がりのようだ。
目標のために突っ走りガチなユーリでも、流石に勝算の薄い賭けに命をベットする気はない。
「でっけぇ帆船でもあれば可能かも知れねぇけど、ここは小さな漁村だからな。そんな船なんて無いし、残念だけど諦めな」
「はんせん……って何ですか?」
聞き慣れない言葉にフィオレが質問する。海すら初めて見たのだ。帆船など知らないだろう。
「帆っていうでっかい布を張った船だよ。風の力を使って力強く進むんだ。俺も見たことはねぇけど、父ちゃんは見たことがあるらしい」
「つまり、強い力で進めれば良いってことですか?」
「まぁそういうこったな」
フィオレは少しの間考え込んだ後、おもむろに海へ手を向ける。
「水の精霊、水脈となりて海を渡れ」
穏やかに寄せては引く浜辺の海。そこに沖から砂浜へと、ゾゾゾと一本の流れが生まれる。フィオレの魔法である。まるで海の中に川が出来たかのようだ。
「なぁっ! す、すげぇ!」
シグラス村にも簡単な魔法が使える人はたくさんいるが、海の中に川を作れるほど魔法に長けた人はいない。
「お姉ちゃんすごーい!」
「ほんと、規格外よねあんた達は……」
素直に勝算するユーリと若干呆れ気味のニコラである。
「このくらいの流れで問題ないでしょうか」
「わ、分からねぇ……」
レイの見たところ、フィオレの作り出した水脈は離岸流などよりも勢いがあった。あれなら例えダイオウクラゲがかかったとしても陸までたどり着ける気がする。しかし漁なんて手伝い程度しかしたことのないレイには分かるはずもない。
「なら、あんたの父ちゃんに聞いてみるしかないわね。いつ頃帰ってくるの?」
「昼の3の刻には帰ってくると思うぜ。ただ、それから獲ってきた魚の処理や、船と道具の整理があるから、落ち着くのはもっと後だ。今日は水の日だから、6の刻には浜で火を囲んで宴会してるから話すならその時がいいぜ。父ちゃんは昔漁で片腕を無くしてるからすぐ分かると思う」
「分かった。色々聞かせてくれてありがとね」
「おう! シグラス村の名物はなんつっても魚だ。一夜干しの炙りは絶品だからぜってー食べろよ!」
話をしているうちに、ユーリ達に対する不信感が無くなったのか、レイはブンブンと槍を振りながら帰っていった。
「さてと。それじゃ私は市場調査に行ってくるわ。夕の6の刻になったら宿に集合。その後レイのお父さんの所に行きましょう」
「はーい」
「分かりました」
夕の6の刻まではまだ時間がある。ユーリとフィオレは浜辺の散策という名の散歩へ、ニコラは新たな商売を探して村市場へと歩いて行った。