第078話
「なーにが『売れるものないかなー?』よ。今まさに手に持ってるじゃない。あんた、頭良いのになんでそんなに馬鹿なの? どういう頭の作りしてるのよ」
「えっと、ごめんなさい?」
グチグチ、グチグチ。ニコラはモヤモヤとした感情をユーリにぶつけていた。
新しい商品の目星がついて嬉しい反面、商売の勘所がからっきしのユーリにかるくイラついているのである。
「それで、このうちわ売れるの?」
「売れない訳がないじゃないの。そもそもあんたはその涼しくなるうちわが欲しくて作ったんでしょ? ならあんた以外にも欲しがる人がいるに決まってるじゃない。自分が欲しいものは他人も欲しい、商売の基本よ」
「なるほどー」
「そうね、5個くらいつくれるかしら? 一つ10万リラで買い取るわ」
全部で50万リラ。シグラス村に行って帰ってくるには充分すぎる金額だ。
「ところで、行き先はシグラス村って言ってたわよね? もう日程は決まってるの?」
「ううん、まだー」
「そ。じゃあ私と一緒に行く? ちょうど仕入れと市場調査に行こうかと思ってたのよ。私の馬車に乗ればお金もかからないでしょ」
「いいの!? 行く! ありがとうニコラ!」
満面の笑みを浮かべるユーリに、ニコラはバツが悪そうに視線をそらす。
「……あんたにはまだでっかい借りがあんのよ。ちょっとずつでも返させなさいよ」
「ん?」
「何でもないわ。そうと決まればまずは冒険者ギルドに行くわよ」
「分かった!」
◇
冒険者ギルドへとやってきたニコラとユーリ。
ニコラはカウンター横の何かの表を見て悩んでいるようだ。
「うーん……シグラス村への道は整備されているし警邏部隊もよく巡回しているから大丈夫だとは思うのだけど、丸腰ってのは怖いわね……」
ニコラにとって、以前森狼に襲われたことはいい教訓となっていた。どんなにお金が好きでも、命と変えることは出来ない。
だからといってたかだかシグルド村までの護衛に銅級だの銀級だのの冒険者を雇うのはコストがかかりすぎる。
鉄級で実力のある冒険者が無難であろう。
「ニコラ、ニコラ。冒険者ギルドに何しに来たの?」
「何って、シグラス村までの護衛を頼むのよ。いくら安全な道だと言っても、流石に丸腰で行くのは危ないじゃない」
「ふーん。セレスティアとかに頼むの?」
「セレスティアって、あの有名なエルフ冒険者? ムリムリムリ! いくらかかると思ってるのよ! 依頼するのは鉄級でいいわ。森狼やトロールを倒せるくらいの実力があれば充分ね」
「ふーん……僕トロールなら倒せるよ?」
「……へ?」
ユーリの言葉に、ニコラはカウンターの護衛依頼表から目を離し、自分の脇にいるユーリに目を落とす。
白髪の美幼女。そろそろ美少女らしき面影も見え始めた可愛い子供。いや、男の子だけど。
無垢な瞳で見つめ返してくるこの子が、トロールに勝てる?
「いやいやいや、それは無いでしょ」
「むぅ、なんで信じてくれないのさ」
「いや、流石に信じられないわよ」
モニカの言葉を聞いて、ユーリは不満そうに頬を膨らませて怒る。
そのままカウンター前の踏み台に足をかけて、今日も今日とて働いてるモニカへと声をかけた。
「モニカー、モニカー」
「ユーリ様ですね。いかがしましたか?」
「僕、トロール倒したことあるよね?」
「確認いたします。少々お待ち下さい」
確認などせずとも、モニカはユーリがトロールを倒したことを記憶している。いや、忘れられるはずがない。自分だって信じられなくて疑ってしまったのだから。
口頭で伝えても疑われるのだから、討伐記録を出して見せたほうが良いだろう。
モニカはユーリの討伐記録表を取り出し、ニコラの方に向けて開く。
「こちらがユーリ様の討伐記録表でございます。トロールを三体、同時討伐の記録が確かにございます。また、非公式ですが信頼できる冒険者から、過去にもさらに二体討伐したとの情報もございました」
「ほ、ほんとだ……」
ニコラは討伐記録表を食い入るように見る。トロールの他に、黒狼の討伐数がかなり目立つ。
「だから言ったじゃん!」
「信じろっていう方が無理なのよ……」
確かな証拠を見せられても、なお本当か? という疑問が消えないニコラ。
「それに、ニコラと初めてあったときも森狼倒したじゃん」
「……そういえばそうだったわね」
そうなのだ。
この可愛らしい外見で忘れてしまっていたが、ニコラはユーリに出会ったとき、森狼から助けてもらったのだ。5匹もの森狼を瞬殺、確かにニコラはその目で見たのだ。
「ニコラは僕が絶対に守るから安心して」
「うぇっ!?」
突然の告白かのようなセリフに一瞬ニコラが狼狽える。
もちろんユーリに他意なんて微塵もない。
「……ユーリ様。念のために忠告です。ギルドを通さない依頼の受領があった場合、トラブルが発生したとしてもギルドは何も保証できませんし仲裁も出来ません。ご注意ください」
念のためモニカが忠言する。
ギルドを介さない依頼の授受とトラブルは枚挙にいとまがない。
ギルドとしては冒険者の信用の低下と仲介手数料のとりっぱぐれとなるため、極力避けたいのである。もっとも、個人間のやり取りなので禁止することは出来ないが。
モニカとてこんな忠言したくはないが、ユーリのためにも言わざるを得ない。実力と年齢、そして見た目がかけ離れているユーリにいつ魔の手が伸びるか分からない。純朴なのを良いことに色々よからぬことを考える輩も出てきそうだ。
まぁ、このニコラという商人風の少女は問題ないだろうが。
いろいろと葛藤があっての忠言であったが、ユーリはそんなのどこ吹く風だ。気にしている様子などない。
「はーい。あ、モニカ、このうちわあげる」
ユーリは手に持っているうちわをニコラに渡す。隣でニコラが絶句した。
「あの、ユーリ様、これは……?」
ユーリ特製のそのうちわは、ホオヅキの袋と雪狼の尻尾の毛を使用して作られた、冷たい風の吹く逸品だ。見た目は何だがフサフサとしており寧ろ暑苦しく見えるが。
「僕が作ったうちわだよ。モニカ、ギルドの制服着てて暑そうだからあげる!」
モニカは普段、冒険者からの贈り物は全て断っている。
変に親しくなって、正常な判断や的確な依頼の斡旋が出来なくなる事を恐れているからだ。なので全ての冒険者に対して敬語を使い、必ず敬承に様をつける。特にそういう決まりがあるわけではないが、公私の区別をつけるためにそれを徹底しているだ。お硬いその姿勢のせいで冒険者達からの人気は低い。
しかし今日は気を抜いていた。
冒険者とは思えない見た目の子供からの、拙い手作りのうちわのプレゼント。金銭価値など皆無で、あるのは純粋なモニカを気遣う気持ちだけ。
モニカはそう誤解した。誤解してしまった。
実用性が無さそうなこのうちわ、家に帰ったらどこかに飾っておこうと思い、受け取ってしまった。モニカはユーリの頭を撫でて礼を言う。
「ユーリ様はお優しいですね。ありがとうございます」
「ううん、いつも良くしてくれるお礼!」
絶対に分かっていないモニカの様子を見てニコラがため息をつく。
「受付嬢のモニカさん、だっけ? そのうちわ、絶対に他の人にあげたり貸したりしたら駄目だからね。絶対よ?」
「わざわざ手作りしていただいたプレゼントです。そのようなことはいたしません」
「そ、ならいいわ。それじゃユーリ、シグラス村に行く計画を建てるわよ。モニカ、一つだけ言っとくわ。あんた、絶対勘違いしてるからね」
「またねモニカー!」
「はぁ……気をつけて行ってらっしゃいませ」
何だがよくわからない忠告を受け、モニカはハテナマークを浮かべながらユーリとニコラを見送る。
ユーリ達と話している間には忘れていた蒸し暑さがモニカを襲った。首筋に汗が流れる。
モニカはなんとはなしに、ユーリから貰ったうちわで首元を仰ぐ。
「……へ?」
信じられないほど涼しい、むしろ冷たい風がニコラの首元を吹き抜けて行った。汗ばんだ肌が一気に冷たくなる。
目を丸くしてもう一度、首元、頭、身体と仰ぐ。熱で火照った身体はすぐに冷えて快適になった。
「う、うそ……何これ……。もしかして、とんでもない代物なのでは……?」
モニカは軽い気持ちで受け取った事を後悔する。おそらくこのうちわ、いや、この聞いたことのない高度な魔導具、普通に買うとするならばモニカでは手の届かない値段であろう。魔道具などほとんど触ることのないモニカにも、とんでもない逸品であることだけは分かった。
何というものを貰ってしまったのか。今度は普通の汗でなく冷や汗をかくモニカ。
壊してしまってはとんでもないことになる。使わないで取っておこう。そして早くユーリに返そう。そう思ってカウンターの下に置くのだが、再び蒸し暑くなってきて、誘惑に負けてその素敵な魔導具を何度も使用してしまうモニカなのであった。