第076話
「中和剤ですか! 盲点でした……」
ユーリが中和剤の話をすると、エレノアはその手があったかと手を叩いた。
「確かに中和剤は魔法素材の属性値を減少させる効果があります。素材の力が強すぎてどうしても錬金が成功しないときに使われる事もあるのですが、私は全く使用しないので思いつきませんでした……申し訳ありません」
中和剤を使用することを思いつかなかったのが口惜しいのか、エレノアは難しい顔で謝る。
「ううん。僕も知らなかったし。それよりも、中和剤ってある? 早速試してみたいんだ」
「はい、ありますよ。まっっったく使うことがないんで、多分どこか棚の奥の方でホコリを被ってると思うのですが……」
エレノアは錬金素材が山と積まれている一角をあさり始める。あっちをガサゴソ、こっちをガサゴソ。物を探しているというよりも散らかしているという表現のほうが正しいだろう。
しばらくするとホコリまみれになったエレノアが一つの瓶を持って来た。
「ケホケホ。ありました。クリアスライムの核の粉末です」
瓶の中にはまるでガラスを細く砕いたかのような、透明でキラキラした砂のようなものが入っていた。これがクリアスライムの核なのだろう。
「これ、どうやって使うの?」
「錬金で使用するときには、触媒に混ぜることが多いです。後は素材にふりかけたりですね。そうすることで錬金中に素材の属性値を抑えることができるんです」
「なるほどー」
ユーリはエレノアの言葉を聞きながら、机の上に2つの魔力用紙を準備する。一つは紙の真ん中に触媒だけを置き、もう一つは真中に触媒と中和剤を混ぜたものを置く。
「エレノア、両方に魔力の波長を刻んでみて」
「はい、やってみますね」
エレノアは魔力用紙に魔力を通す。波長は果たして……
「やっぱり! 中和剤を混ぜた方は波長が弱くなってる!」
「本当ですね! 属性値を弱めるということは、波長も弱めるということの様ですね!」
中和剤を介して描かれた波長は、そうでない方と比べて、形は類似しているが振幅がちいさくなっている。
ユーリの仮説は正しかったようだ。
「自分の波長を中和剤で打ち消した後に、特定の属性値をもつ魔法素材に魔力を通すことで、その素材の属性と同じ属性の魔法が使えるようになる、と思うんだ」
「仮説としては正しそうですが……まだまだ波長を打ち消したとは言えませんね」
エレノアは魔力用紙に目を落とす。多少波長が小さくなったとはいえ、打ち消せたとは言い難い。
「もう少し中和剤を増やしてみよう」
少しずつ中和剤の量を増やしてみるも、波長が無くなる前に、そもそも魔力を通すことが出来なくなってしまった。当然である。中和剤はそもそも魔力を通さないものなのだ。
「うーん。中和剤の量を増やすんじゃなくて、質の良いものを使えばいいのかな」
「可能性はありますが、私の研究室にはスライムの核以外の中和剤は無いですね。それに、中和剤自体そうそう使用されるものではないため、需要も低く研究もあまりされていないんですよね」
困りました、と顎に人差し指を当てて考えるエレノア。
「ノエルはクリアスライムの核、透明オオサンショウウオの粉末、あとはミズクラゲって言ってた。共通点とかあるかなー?」
「そうですね……ミズクラゲはわかりませんが、クリアスライムも透明オオサンショウウオも、魔法が効きにくい生き物だったはずです」
「ということは、魔法に強い魔物の素材を手に入れれば……」
「より効果の高い中和剤を作成できる、かもしれません」
ヨシッと、ユーリは頬を叩いて気合を入れた。
「じゃあまずは魔法が効きにくい魔物について調べるところからだね! 今度モニカに聞きに行こう!」
ユーリは『中和剤』という新しい考えに心を踊らせるのであった。
◇
「魔法が効きにくい魔物、ですか?」
「うん。体が強くて効かないとかじゃなくて、魔法を打ち消しちゃうような魔物。いるかな」
「そうですね……少々お待ち下さい」
陽の日の昼過ぎ。冒険者達が少ないタイミングでユーリは冒険者ギルドに訪れていた。もう真夏はすぐそこである。冒険者ギルドは蒸し暑い。
こんな蒸し暑い中でも、受付嬢のモニカは顔色一つ変えずにユーリの質問に答える。顔色は変えていないが、首筋から汗が流れてギルド職員の制服の首元を濡らしていた。
よいしょ、と可愛らしい掛け声とともに分厚い図鑑をカウンターの上に置き、ユーリの方に向けて開く。
「一番身近な魔物はクリアスライムが該当します。魔法を打ち込んでも思ったほどのダメージが見込めないと言われています」
「うんうん! そういうのそういうの!」
ユーリの大雑把な質問にも的確に答えるモニカ。受付嬢の鑑である。
「後はインビジブルスペクターと呼ばれる悪霊に類する魔物は、魔法も物理攻撃も効きにくいです。ですが、ユーリ様の求めているものとは異なりそうですね」
「うん、ちょっと違う。実態がないと錬金術に使えないし」
「なるほど、錬金術の素材として必要なのですね。それでしたら、ジュエルタートル等も近い魔物ですね。ほとんど全ての魔法を跳ね返すと言われています。伝説級の魔物になってしまいますが……」
「うーん、跳ね返すんじゃなくて、吸収して無力化する、的な感じかも」
「そうですね……魔物という分類からは外れてしまうのですが、ダイオウクラゲには魔法が効かないという話を聞いたことがあります」
「ダイオウクラゲ?」
「はい。少々お待ち下さい」
モニカは魔物図鑑を棚に戻すと、今度はもっと大きく古びた図鑑を持ってくる。
表紙から察するに海洋生物の図鑑のようだ。
「クラゲ類全般は魔法が効きにくいと言われていますが、中でもダイオウクラゲにはほとんど魔法が効かないと言われています。発見者が何故無抵抗なクラゲに魔法を打ち込んだのか疑問ではありますが……」
「ダイオウクラゲってどこにいるの?」
「この図鑑によりますと、ベルベット領の東の海に生息している様です。ベルベット領の東の海沿いにシグラスという漁村があり、そこでは漁業の際に時折ダイオウクラゲがかかるそうです。重たくてドロドロしていて網に絡みつく上、毒にも薬にも食用にもならず、厄介者扱いされている様ですね」
「厄介者……」
ユーリが今ノドから手が出るほど欲しい素材が、どうやら厄介者扱いされているらしい。
「そのダイオウクラゲを手に入れる方法ってある?」
「ベルベット領都で取り扱っているところはないと思います。何せ利用用途が何もないので。需要がなければ供給ももちろんありません」
「そっかー。じゃあ直接行くしかないかなー。どのくらい遠いの?」
「馬車で三日といったところでしょうか。距離はありますが海産物の取れる貴重な港町ですので、ベルベット領都からの道は整備されているのでそこまで時間はかかりません。ただ、乗合馬車のお金はそこそこかかります。片道で二万リラほどですね」
「結構遠いんだね。うーん、学園サボって行ってもいいかなぁ」
ユーリの悪気のないサボり発言にモニカが苦笑いする。
「シグラス村についたとしても、都合よくダイオウクラゲが網にかかるとも限りません。日程には余裕を持っておいたほうが良いかもしれませんね」
「分かった。ありがとうモニカ! 参考になった!」
「あまり無茶せずに頑張ってくださいね」
次はどこに行くのだろうか。元気よく冒険者ギルドを出ていくユーリをモニカは心配半分、微笑ましい気持ち半分で見送った。




