第075話
第三章、魔法への二歩目~ダイオウクラゲと中和剤~
波長の研究は中々めぼしい成果が出ず、夏が訪れようとしていた。
どうにかして自分の波長を別の属性の波長に変換すれば良いんじゃないかと漠然とした道筋はあるのだが、その『どうにかして』のところがどうにもならないのである。
他の属性の素材を介して魔力を通しても、魔力用紙に描かれるのは不規則な波長ばかり。切り口を変えてアプローチするべきなのだろうが、いかんせん切り口が見当らないのだ。
どうにかして新しい素材を手に入れるか、新しい考え方を発案するしかない。するしかないとはいっても、そう簡単に物事が進めば悩みはないのである。
「それでは皆さん、今日はダルマホウセンカの採集をしましょう」
薬草学の授業中、ユーリは教官の話を聞き流しながら考えていた。
場所は学園の温室。様々な植物が生えており緑の香りが芳しい。
「このダルマホウセンカの種は痛み止めの原料になりますが、種を採集する際には細心の注意が必要となります。熟した実は魔力を感知すると激しく爆発して実を撒き散らす特性があります。ダルマホウセンカという名前ですが、うっかり素手で触った冒険者の手足を吹き飛ばし、ダルマにしてしまうところから由来しています。みなさんもダルマにならないよう、充分気をつけてくださいね」
薬学の教官ペネロープ・ベーアーが、そのふくよかな身体を揺らしながら和やかに言う。言っている内容はなかなかどぎついもので、生徒たちの頬が引きつっているが。
「魔力を感知しないようにするにはどうすればいいんですか?」
生徒から当然の疑問があがる。
「それは簡単です。魔力を通さない手袋をつければ良いのです。さぁ、一人一つずつ魔断手袋を取ってください」
ペネロープは生徒に灰色の厚手の手袋を配る。一見してただの手袋である。
「これは読んで字の通り、魔力を断つ効果のある手袋です。まぁ、魔力を断つ必要がある時なんて、ダルマホウセンカの採集くらいなもので、それ以外には役に立たない手袋ですけどね」
ユーリは配られた手袋を興味深げに眺める。
引っ張ってみたり光に透かしてみたり、錬金術の時のように触媒を使って魔力を這わせてみたり。
魔断とはよく行ったもので、たしかに魔力を通さない。
「ねぇナターシャ」
「何よ」
「この手袋をつけた状態でも魔法って使えるの?」
「……水の精霊よ、水球となりて我が手に浮かべ」
手袋をつけたナターシャが小さく唱えると、いつも通り水球が浮かんだ。
「使えるわね」
「へー、そうなんだ」
ユーリが不思議そうにナターシャの作り出した水球をつついていると、頭上から優しそうな声が降ってきた。
「魔法は何も手だけから発動するわけでは無いですからね。最も、全身をすっぽりと魔断手袋で包むと使えなくなるかもしれませんが、内側から魔法で破いてしまえばそれで終わりです。さぁ、今は魔法よりもダルマホウセンカの採集ですよ。ユーリちゃんも手袋をはめてください」
ペネロープの声に促され、ユーリも手袋をはめる。
「さて、ダルマホウセンカの実ですが、魔力を感知しなければ爆発することはありません。そして、実にナイフを入れてしまえば魔力が触れても爆発しません。逆に言うと、たとえ切り離したとしてもナイフを入れるまでは爆発する可能性があるので注意してくださいね。それでは始めてください」
生徒たちは冷や汗を流しながらも、ダルマホウセンカの採集に取り掛かるのであった。
薬草学の授業後、ユーリはペネロープの所に質問に来ていた。
「ペネロープー、ちょっと聞いてもいいー?」
「あら、ユーリちゃん。どうかしたの?」
もちろん内容は薬草学についてではなく魔断手袋についてだ。
「この魔断手袋って何で出来てるの?」
ペネロープはユーリの質問に困ったような顔になる。
「ごめんねぇ。私、薬草学以外はさっぱりで。魔法理論の先生なら分かるんじゃないかしら。そんなに気になるなら、一つ貸してあげましょうか?」
ペネロープはかごの中から魔断手袋を取り出すとユーリに手渡した。
「別に高いものではないけれど、学園の備品だから気が済んだら返してね」
「ありがとう!」
ユーリはボロボロの手袋を嬉しそうに抱えて温室を飛び出していった。
◇
「魔断手袋の材料? 君はまた妙なものに興味を持つね」
ノックもせずに教官室に飛び込んできたユーリの質問に、ノエルは呆れながらも答える。
「確か透明オオサンショウウオの抜け殻や粘液を使用していたはずだ。詳しい製法は分からないけどな」
「透明オオサンショウウオ? 聞いたことない魔法素材だ」
ユーリは頭に魔法素材を思い浮かべる。全ての属性の全ての素材については一通り図鑑で確認しているのだが、透明オオサンショウウオの素材については記憶が無かった。
「当たり前だ。そもそも魔法素材じゃないからな」
「へ?」
ユーリはポカンと口を開ける。
「透明オオサンショウウオはどの属性にも属さない。所謂、無属性だ。むしろ魔力を遮断すると言われている。触媒に混ぜたり魔法素材に振りかけたりして使用すれば、魔法素材の属性値を下げる効果がある。錬金台にも使用されているな」
ユーリは目から鱗が落ちる思いだった。まさか魔法素材ではないただの素材に、そんな効果を持つものがあるとは思わなかったのだ。
「こういう効果を持つ素材は中和剤とも呼ばれる。他にはクリアスライムの核や水クラゲなども中和剤の性質を持つ。尖った性質を持つ魔法素材の錬金を行う際に中和剤を用いると、錬金の成功率もあがる。もちろんその代わり性能は落ちるけどな」
ユーリの頭にやりたいことが広がる。ひとまずは中和剤を介して魔力波長の調査をするところからだ。
「ありがとうノエル! 参考になった!」
ユーリはワクワクといった様子で教官室を出ていく。
さっそく実験である。