第073話
「ただいまー」
「…………ふぅ。あ、おかえりなさい。遅かったですね。返却は間に合いましたか?」
エレノアの研究室に戻ると、エレノアは錬金の最中であった。横には何やら紙が積まれている。ユーリが怒られている間に魔力用紙を作っていてくれたのだろう。
「ううん、間に合わなくて怒られちゃった。エレノア、魔力用紙なんだけどさ、入園試験までに千枚つくれるかな?」
「千枚!? どうしてまたそんなに大量に必要なんですか、そんな短期間に……あ、もしかして」
「うん。入園試験。オレグが受験者の魔力の波長を記録すればいいんじゃないかって」
「なるほど、確かに……てすが。千枚ですか。うーん……」
「難しいかな?」
「……大きな魔力用紙を作って、それを切れば出来るかもしれません。ですが、切る時間も考えると難しいかもしれないです」
うーん、とエレノアは悩む。しかしユーリはあっさりと言った。
「じゃあ手伝ってもらおう。お姉ちゃんとナターシャに声をかけてくるね!」
言うが早いか、ユーリは早速とばかりに研究室を出て言った。
「な、ナターシャさん……? は、話したことない人なのです……」
がんばれ、人見知りコミュ障研究オタク女。ユーリとつるむ限り、色々な人と会うことは避けられないのである。
◇
「エレノアさん、お久しぶりです」
「お久しぶりです。フィオレさん」
「はじめまして、ナターシャよ」
「あっ、あっ、は、はじめまして、エレノア・ハフスタッター、です」
エレノアはフィオレとナターシャを見て思う。この二人、初等部の魔法実技大会の決勝で戦ってた二人じゃないですか、と。
ということは、このナターシャさん、紛れもなくベルベット領主の娘さんであるナターシャ・ベルベット様じゃないですか、と。
「ああああ、あの、ナターシャ様、小汚いところではございますが、その、どうぞお寛ぎくださいませ!」
見るからに挙動不審な動きをするエレノア。コミュ障に貴族の相手は難しかった。ナターシャはひとつため息をつくと、呆れたような声で言う。
「エレノア。魔法学園は治外法権よ。私に気を使う必要は無いわ。エレノアの方が年上なんだし」
「は、はひ! ありがたきお言葉ですぅ〜!」
慣れるまでは時間がかかりそうだ。
「お姉ちゃんもナターシャも予定はないからお手伝いしてくれるって! エレノア、がんばって千枚作ろうね!」
微妙な空気を読んで無いのかそれとも無視しているのか、ユーリはマイペースだ。
「ところでその魔法用紙って一体何なのかしら、何も詳しいことを聞いてないのだけれど」
「お姉ちゃんも知りたいな。ユーリは何を作っているの?」
「えっとね、魔法用紙っていうのはね……」
カクカクシカジカ、ユーリは事の経緯を説明する。
「へー、魔力に波長なんてあるんだ」
「あなた、本当に錬金術もやってるのね」
ユーリの話を聞いて感心したようなフィオレと、安心を通り越して呆れた様子のナターシャ。
「試しに二人の魔力の波長も記録させて!」
ユーリはウキウキと15センチ角程の魔力用紙を二人に渡す。
「えっと、中心に指を置いて魔力を込めれば良いんだよね?」
フィオレは右の人差し指を、ナターシャは左の薬指を魔力用紙の真ん中に触れて魔力を込める。すると、白い紙が中心点から黒に染まり、ギザギザの模様を描いた。
フィオレは右上と左上に大きくギザギザが飛び出しており、ナターシャの方は上半分が全体的にギザギザしている。
「……これで何がわかるのよ。ただの子供の落書きじゃない」
「それをこれから調べていくの! お姉ちゃんは火と水だよね。ナターシャは……火と水と光だっけ?」
ユーリは魔力用紙にメモしながら聞く。
「それと木よ」
「す、すごい、クアドラプル……」
「属性が多くても意味なんて無いわよ。クアドラプルでもそこのダブルに負けたし」
エレノアが驚くが、ナターシャは自慢した様子もない。対してフィオレは自慢げな顔だ。
「ところでユーリ、私達は何をすればいいの?」
「エレノアと僕で魔力用紙を作るから、それをハサミで切って欲しいの。がんばって、千枚作ろう!」
そんなこんなで、地獄の単純作業が始まった。
◇
「ふわあぁ……おはよ、オレグ」
「オレグ教官。おはようございます」
入園試験当日、ユーリとエレノアは魔法適性試験の会場へとやってきた。
天気は晴れ。ようやく厳しさも一段落ついた。空気に春の気配が混ざる。
「なんだ、ハフスタッターも来たのか。研究室から出てくるとは珍しい」
「はい。魔力用紙がちゃんと使えるか試したくて。あ、私もお手伝いしますね」
「言ったな?」
「へ?」
オレグは嫌味な顔に嫌味な笑顔を浮かべる。小さい子供なら泣いてしまいそうだ。
「7時になったら試験開始だ。儂は受験生の割符の番号、魔力量、属性を読み上げる。ハフスタッターはその魔力用紙の左上に儂が読み上げた内容を記載しろ。ユーリは魔力用紙の右上に魔力量と属性数から点数を計算して記載しろ。ヒト属性につき最大点数は50点、合計でも100点までだ。計算を間違えるでないぞ。最後に魔力用紙に波長を記録して終わりだ」
流れ作業で魔力適性試験を行うということらしい。特に難しいことは無さそうだ。
「なお、これを十五秒で1サイクル行うことになると思え。昼過ぎまで休憩は無しだ。トイレは済ませておけ」
オレグの言葉にユーリとエレノアは言葉を失う。そんな戦場のような忙しさだとは想像していなかった。
「何だ、驚いたような顔をして。受験者は千人以上、そして鑑定水晶は一つ。少し考えればどれほどの忙しさかわかるはずだ」
ユーリは去年の試験のことを思い出す。ユーリが魔力適性試験を受けたのは夕方に近い時間であったため全然混んでいなかったが、確かにオレグは疲れ果ててやつれていたように見えた。
ユーリは自分が計算ミスをしないか不安になる。いくら簡単な計算だからといって、千回も立て続けに行えばミスしてしまう可能性はある。ユーリの不安そうな顔を見て、オレグは少し表情を和らげた。
「安心しろ、九割以上の受験生が50点だ。難しいことはない。まぁ、過去に一人だけ0点の受験生がおったがの」
「あはは、魔法学園なのに魔力適性が無い人が受験しに来たんだ。合格は難しいのにね」
オレグは手に持っていた綴込表紙でパコーンとユーリの頭を叩いた。結構強めに。
「痛い! 何するの!?」
「貴様の事に決まっておるだろうド阿呆が! 適性なしで受験に来たのは儂が試験担当になってからは貴様一人じゃ! あまつさえ合格なんぞしおって……」
呆れたように首をふるオレグと、不満げに頬を膨らませるユーリ。エレノアはそんな二人を見て苦笑いだ。
「さて、試験は7時からじゃ、それまでに準備を済ませてこい」
慌ただしい時間の始まりである。
◇
「0002番、魔力値173、魔力適性風」
「0002、130、風。ユーリ君」
「ありがと、50点と。ここに指を置いて力を込めて……はいオッケー」
試験開始直後、一番混雑するのがこの魔力適性試験である。やはり子供は魔法というものが大好きなのだ。
オレグの言った通り、殆どの受験生が魔力適性が一つだけで魔力値が50以上なので、点数は50点である。稀にダブルの受験生や、魔力量が少なく50点に満たない人がチラホラといるだけである。
開始から5時間、目の回るほどの忙しさだった魔力適性試験は、ようやく受験生の足が落ち着いてきた。
「ようやく落ち着いたな。あとはチラホラと生徒が来るだけじゃ。二人は魔力用紙を持って教官室へ行き、点数表に記載しろ。それさえ終わればその魔力用紙は好きに使っていい。残りの生徒の分は儂がやって、後日ハフスタッターの研究室に持っていく」
「あ、ありがとうございます」
「おつかれ……」
「ふん、若いのにこれくらいで疲れおって。情けないやつらだ」
ユーリとエレノアはオレグに反論する気力もない。魔力用紙だけを大切に抱え、エレノアの研究室に戻ると、水だけ飲んでご飯も食べずに二人してソファーに倒れ込むのだった。




