第072話
抜き足、差し足、忍び足。
ユーリは偏重強化を限界まで使用して、音を立てないように歩く。手には鑑定水晶の入った大きな袋。
危ないところだった。入園試験は三日後。なんとか鑑定水晶を事前に返すことが出来そうだ。
向かう先は学園長室。まずは用具室の鍵を手に入れなければならない。そもそも殆ど学園長ヨーゼフの許可を得て拝借したようなものなので、わざわざ忍び込む必要はないかもしれないが。
周りに誰もいないことを確認し、学園長室のドアノブをゆっくりとひねり、隙間から中を覗き込む。どうやらヨーゼフは窓際の椅子で居眠りをしているようだ。
ヨーゼフはいつもすべての鍵を腰につけているので、ローブをまさぐって確認するしかないだろう。
扉をもう少し開けて、スルリと抜けるように学園長室に入り、音立て無い様にゆっくりと扉を閉める。
ふぅと一息つき、ヨーゼフの方へ……
「何かご用かの?」
「ピャーーーーッ!」
いつの間にかすぐ背後に立っていたヨーゼフに声をかけられ、ユーリは心臓が止まりそうなほど驚いた。
「ビビビビビックリしたぁ!! 起きてるならちゃんと起きててよ! 紛らわしいじゃん! もう!」
「ホッホッホ、侵入者に怒られるとは思わなんだ」
完全に理不尽なユーリの怒りだが、ヨーゼフは怒ることもせずに笑っている。
「それで、わざわざワシの部屋に忍び込んで何をしにきたんじゃ?」
「えっと、それは、その。用具室に、入りたくて……」
ユーリはしどろもどろに言う。
いくら鑑定水晶を勝手に拝借したのが、ほぼヨーゼフの公認だったからといって、あっけらかんと『借りてた鑑定水晶返しに来たよ!』などというのは流石に憚られる。
しかし、どうやらユーリの言いたいことは伝わったようだ。
「なるほど、用具室の鍵じゃの。うむうむ、そうじゃったそうじゃった。用具室の鍵じゃな、用具室の鍵。用具室鍵を……」
ヨーゼフは腰に下げた鍵の束を取り出し、用具室の鍵を取り出そうとして……
「……先程、オレグに預けたのぅ」
「えぇーー!!」
どうやらタッチの差で負けたようだ。
「ど、どうしよう! 鑑定水晶を勝手に使ってたのがバレちゃう! ま、まだ間に合うかな!? スペアキーとかないの!?」
「無いことは無いが、教官室の金庫の中じゃのう。早々簡単に開けるわけにはいかんからのぉ」
ユーリはワタワタと慌て、ヨーゼフはそんなユーリを見て何が楽しいのかニヤニヤと笑っている。
そうこうしているうちにオレグが慌てた様子で学園長室に入ってきた。
「が、学園長! 用具室から鑑定水晶が無くなっております!」
よほど急いで来たのだろう。肩で大きく息をし額には汗が浮かんでいる。
「このままでは今年の魔力適性試験が……」
オレグは言いながら、何故かユーリが学園長室にいることに気がつく。
「何でお前がここに……?」
ユーリはオレグからスッと目をそらし、手に持っている袋……鑑定水晶の入った袋を後手に隠した。
その行動でオレグは気がつく。どうやらこのど阿呆が、ど阿呆な事をしているのだろうと。
オレグは無言でユーリに近づくと、強引にその袋を奪い取り中を確認する。
無言のままプルプルと震えだし、顔を真っ赤にして、そして怒鳴った。
「こんの……大馬鹿もんがあああぁぁぁぁ!!!!」
「ご、ごめんなさいーーーー!!」
ゴチーンと、愛の鉄拳が落ちた。
◇
クドクドクドクドクドクド。
あれから小一時間、学長室でオレグの説教は続いていた。
ユーリは頭に大きなたんこぶを作って床に正座し反省顔だ。まぁ、学長室には柔らかい敷物があるため正座していても痛くはないのだが。
「まったく。こんな直前になって持ってきおって。危うく今年の入園試験が出来なくなるところだったんじゃぞ。このど阿呆が」
「ごめん……」
「ごめんじゃなくて『申し訳ありません』と言わんかど阿呆!」
「も、申し訳ございません!」
「大体お前は教官にも先輩にも敬語も使わず砕けた態度で接しおって。それが必ずしも悪いとは言わんが時と場合を考えてだな……」
「ホッホッホ、オレグ、それくらいにしたらどうじゃ」
説教の内容がズレてきたところで、ようやくヨーゼフが止めに入る。
「学園長。そもそも何故鑑定水晶を貸し出したりしたんですか。生徒に甘すぎるきらいがあります」
オレグは胡乱な目でヨーゼフを見る。しかしヨーゼフはどこ吹く風だ。
「知らんのう。ワシはユーリ君に鑑定水晶を貸し出してなどおらんからのう。ワシの眼を盗んで勝手に持っていったんじゃろ」
「むぅ〜〜」
完全にユーリだけの責任にするつもりのようだ。しかし事実は事実なので、ユーリには反論ができない。ズルい大人である。
「……初等部一学年の生徒に鍵を盗まれるなど、鍵の管理が甘すぎではないですか?」
「……」
「しかも一年近くも気が付かないとは。危機管理能力が疑われますな」
「……」
オレグの怒りの矛先が学園長に向いた。
「……そ、そういえば、昔にも何処かの誰かが勝手に鑑定水晶を持ち出した事があったのう!!」
責められたヨーゼフは過去の出来事を蒸し返してきた。嫌な大人である。
「学園長、それは終わった話で……」
「いやー、あの時は試験当日の朝に大騒ぎしたのう! 何と言ってもワシが魔法実技の担当だったからのう! 覚えておる、覚えておるとも!」
「試験当日の朝まで試験の準備をしないだらけた教官にも責任があるのではないですかねぇ!」
「まーさか用具室の鍵を先代からくすねて、更に合鍵まで作っておるなんてのぉ! ユーリ君なぞまだ可愛い方じゃ!」
「だからワシは自腹で鍵の交換までやったわ! わざわざドワーフの職人まで読んで高級鍵をつけさせおって! そのせいでしばらくひもじい思いをしたんじゃぞ!」
「反省の色の見えない陰湿な生徒にはいいお灸じゃ!」
「やることがいちいち大人げないわ! いつになったら大人になるんじゃ! もう百二十を超えとる癖に!」
「まだ百十九じゃ! 年寄り扱いするでない!」
「充分化け物じゃアホ! ワシが学生の頃からずっとジジイなのはおかしいじゃろが! エルフの血でも混ざっとるんか!」
「その頃はまだオジサンじゃったわ! あとわしゃ純粋な人間じゃ!」
まさかのジジイ達の喧嘩が始まってしまった。
一通り言い合い、肩で息をするジジイ二人。
「ま、まぁ歴史は繰り返すと言うしの。試験には間に合ったことじゃし、とりあえず今回はこれくらいで終いとしよう」
「……はい。取り乱して申し訳ございません」
とりあえず茶でも飲んで落ち着こうと、学園長が茶器を取り出し、オレグは水魔法と火魔法を駆使してお茶を入れる。二人でソファに座って一口、大きく深呼吸をしてようやく落ち着いたようだ。
何だかんだ仲の良いジジイ二人の目が、未だに正座したままのユーリへと向く。
「何をしておる。はよ座って茶でも飲め」
「あ、うん」
ヨーゼフが何もなかったかのように言い、ユーリを対面の席へと座らせる。
何だか懐かしいなと感じた。
「それで、どうだ。研究は進んでるか? ……無理はしとらんだろうな?」
オレグが何処か心配そうな声音でユーリに問う。やはりノーチラスの事が頭をよぎるのだろう。
「うん。全然進んでないけど……でもちょっとずつ色々なことを試してるんだ!」
「良ければ聞かせてくれ」
「うん! もちろん!」
ユーリはこの一年での出来事を目を輝かせながら話した。冒険者になって戦ったり、ナイアードに会いに行ったり、錬金術をしたり……
オレグとヨーゼフは途中驚きながらもユーリの話に耳を傾けていた。
「それでね、今度は魔力の波長と魔法適性に関連性が無いかを確認しようと思ってるの! まだ分かんないけど、もしかしたら一歩先に進めるかも知れないんだ!」
ユーリのこの一年の成果を聞いて、オレグは素直に関心していた。研究の内容が的を得ているというのもあるが、それよりもユーリの『周囲を向きこむ力』に感心していた。
オレグが研究しているときは、オレグとノーチラスの二人切りであった。ノーチラスが研究素材の収集と実験体で、ブレインがオレグ。それだけであった。
対してユーリはどうか。たった一年足らずで冒険者、錬金術師、魔法使い、薬師、商人と鍛冶屋にまで縁を繋いでいる。
色々な人と話し、色々な事を吸収しているのだろう。だから研究内容が幅広いのだ。しかし、研究者が研究内容をペラペラと話すのは良いこととは言えない。研究内容を盗もうとするものや、悪用しようとするもの、内容によっては教会に目をつけららる可能性もあるのだ。
「ユーリ、お前は人を信用しすぎる。少しは気をつけたほうが良い」
「……? 分かった!」
あまり分かってなさそうなユーリが満面の笑みで答える。オレグはため息をついて目頭を揉んだ。
「まぁいい。ユーリ。魔力用紙の作成だが、2日でどれくらい作れる?」
「2日で? うーん、エレノアに聞かないと分からないや」
「3日後の入園試験で恐らく今年も千人は受験生が来るだろう。そこで受験生の波長を記録すると良い。鑑定水晶の結果と合わせて波長の記録もすれば確実じゃろ」
オレグの提案にユーリは目を輝かせる。
「え!? いいの!?」
「ああ、その代わりと言っては何だが、魔力適性試験の記録係を手伝え」
「うん、分かった!」
ユーリの元気いっぱいの返事を聞いて、オレグは黒い笑みを浮かべる。
ユーリは三日後、安請け合いしたことを大いに後悔することとなる。