第071話
3月。学年末特別試験が終わると、学園の空気は一気に緩む。
何せ新年度になる4月までは学園の授業は休み。約一ヶ月の長期休暇なのである。多くの生徒は羽根を伸ばしたり、実家に帰ったりしてゆっくり過ごす。
ユーリも一度マヨラナ村へ帰ろうかと考えたが、手紙で近況報告はしているし、まだ学園に来て一年だ。もう少し成長して帰って、両親を驚かせたい。
それにこんなに長期間授業がないなんてチャンスは中々無いのだ。すなわち、錬金術に没頭する大チャンスである。
ユーリがこの休み期間に研究しているもの、それはニコラから譲り受けた文鎮……もとい、四角くて重厚感のある小さな黒い箱である。
詳しいことは何もわからないが、どことなく魔導具のような気がしないこともない。金属のような素材は、おそらく触媒を混ぜ込んで作られているのだろう。魔力を通すと微かに浸透していく感覚がある。
しかし、何も起こらないのだ。
魔力を込める順番があるのだろうか。寄木細工の秘密箱のように。この幾何学的な模様に意味があり、正しい順番で魔力を込めるとパカーっと開くとか、そういうものだろうか。だとしたらとんでもない数のパターンがあるため、順番を知っている持ち主以外に開くことなど到底不可能だ。
試しに何通りか試してみるが、うんともすんとも言わなかった。
ユーリは段々と疑義的な気持ちになってくる。そもそもこの箱は本当にそういう高尚なものなのか?ただ単にどこかの誰かが遊びで触媒を混ぜただけの箱なのではないか?
だとしたら自分のしていることは相当間抜けである。この休みの期間の殆どをこの箱を手に、ダンゴムシのように丸まっていたのだから。
「ユーリ君、何をやってるんですか?」
ちなみにユーリがいる場所はエレノアの研究室である。広くてポカポカ君炬燵バージョンもあるので、引きこもるには最適なのだ。エレノアがずっとこの部屋にいるのも分からないでもない。
「んー、ちょっと研究中」
「たまには身体を伸ばさないと凝っちゃいますよ」
「んー」
「ずっと丸まって何かイジってますけど、それ、何ですか?」
「んー」
完全に生返事である。借りにもほぼ居候させてもらっている相手にとる態度ではない。
しかしエレノアも気にした様子はない。自分も研究に没頭しているときは全く同じ反応をする事を理解しているからだ。
ヒョコッとユーリの肩越しに手元を覗き込む。
エレノアは黒い箱を一目見て言った。
「あ、魔力箱ですね。珍しいものを手に入れましたね」
「んー」
「私も結構試したんですけど、流石のユーリ君でも開きませんか」
「んー。そう、魔力箱……」
ピタリとユーリの手が止まり、ゆっくりとエレノアの方に振り向く。
「ん? どうしたんですか?」
「……エレノア、これが何か知ってるの?」
「へ? 魔力箱じゃないんですか?」
「知ってるの!? 教えて! 教えて!」
ガシッとエレノアの腕を掴み言うユーリ。顔が近い。
「わわっ! どうしたんですか!? 教えます! 教えますから!」
可愛らしい顔が目の前に来て慌てるエレノア。撫で撫でしたくなる衝動を何とか抑え、抑えられずに撫で撫でしながら魔力箱について説明を始める。
魔力箱。
正式な名前ではないが、錬金術師達はその箱にそう名付けている。
時々骨董市などで出品されているその箱は、今の文明が始まる前、遠い昔に滅びた文明で使用されたものだとか、雲の上に住む神様が使用していたものだとか色々な説があるが、分かっているのは絶対に開かないということだけ。
どんなに力を込めても、煮ても焼いても開かない。今では何処ぞの物好きなコレクターが集めている程度のものだ。
エレノアがその箱が魔力操作によって開く物ではないかという発想に至ったのはたまたまであった。
たまたま通りかかった露店に売り出されていた黒い箱。何となく気になり購入したのは良いが、先程のユーリと同じように3日ほどダンゴムシになったのだが特にめぼしい成果は無かった。
次第にその重さと四角い形から、やはりエレノアもニコラと同じく文鎮として使用するようになる。
ある日、魔力に触れると色が変わる紙を作り出したエレノアだったが(なお、ペンがなくても書ける紙が作れないかと試行錯誤していたが、ペンほどに細く魔力を扱うなど殆どの人にできるはずもなく、ペンを持たなくて良いという利点のためだけに使い捨ての紙にお金をかける人はおらずお蔵入りとなった。以下、魔力用紙と呼ぶ)、その魔力用紙にも文鎮代わりにと置いたとき、紙の色が変色した。箱の中心から広がるギザギザ模様に。
不思議に思ったエレノアは、何度かその箱を魔力用紙に触れてみる。すると、何度触れさせても同じ形状にギザギザの模様を描くのだ。
試しに自分の指を魔力用紙に触れて魔力を通すと、同じく指先から広がるギザギザの模様になった。何度やっても同じ形に。
そこでエレノアは仮説を立てた。魔力には人それぞれに固有の波長のようなものが存在するのではないだろうか。この箱は、その波長を鍵にして開閉できる金庫のようなものではないかと。
「自分の波長を変えることは出来ないので、既に存在する魔力箱を開けることは出来ませんが、同じ仕組みで新しく魔力箱を作ることは出来るんじゃないかと思って研究中なんです。中々うまく行かなくて今は中断しちゃってますけど……。って、この話は前にもしましたね。ごめんなさい、同じ話をしちゃいました」
ユーリは思い出す。中々研究が進まなくて煮詰まっている時にエレノアが魔力を使用した鍵であるの話をしていたことを。確かにその時にそんな話をしていた記憶がある。
あの時のユーリは煮詰まりすぎて、エレノアの話を聞き逃してしまっていた。もしちゃんと聞いていればこの長期休暇の間、こんなに悩む必要など無かったというのに。いや、そういう話ではない。魔力に波長がある。しかも個人毎に異なるというのだ。
何か、何か先に進めそうな気がする。
ユーリの頭の中にやりたいこと、試したいことが溢れ出す。
「ちょ、ちょっと待ってね! エレノア、ちょっと待って!」
「え? はい。待ちますよ?」
何を待つのか分からぬまま、エレノアはちょこんと座ってユーリの何かを待つ。
「そうか、そう。そうだ。人それぞれに固有の波長があるとしたら。そして人それぞれに得意不得意な属性があるのはなぜか。関係している? 波長と、属性。鑑定水晶が魔力で光るのはなぜ? 人それぞれに色が違うのは? 波長が人それぞれで違うから、光る色も違うのだとしたら? 仮定だけど、仮定だけど辻褄が合う! おそらく、魔力の波長と魔力属性は関係している!」
ユーリの仮定を聞いたエレノアの目が大きく開く。
「た、確かにです! すごい、模様と属性の関連性は考えませんでした!」
「エレノア! 魔力用紙の作り方教えて! たくさん作っていろんな人の魔力を調べてみよう!」
「わかりました! 早速作りましょう……って、鑑定水晶といえば……」
「ん? どうかしたの?」
興奮した様子から一転。エレノアは上唇に小指の第二関節を当てて考える。何かを思い出すときのエレノアの癖だ。可愛い。エレノアの癖に。
「そういえば、もうすぐ入園試験ですよね?」
「うん。僕が試験を受けてからもうすぐ一年だね」
「入園試験で鑑定水晶を使いますよね?」
「うん。試験科目の一つだから」
「学園にある鑑定水晶は一つだけですよね?」
「多分ね。貴重なものだし。魔力鑑定のときも一つしかなかったし。学園も流石に二つは持ってないんじゃないかな」
当然でしょ? とでも言うようにユーリが答える。
エレノアは机の上を見る。
机の上の、鑑定水晶を。
ユーリの視線も釣られてそちらへ。
「……その貴重で一つしかない鑑定水晶、ここにありますよね」
「……」
しばしの沈黙。
「あああああああああああああ!! 返すの忘れてたああああああああぁぁぁ!!」
ユーリの叫び声がこだました。