第062話
「ただいまー」
「おかえりなさ……ひぅ!」
「お邪魔します!」
エレノアの研究室。突然やってきた見知らぬ訪問者にエレノアが机に隠れる。
忘れてはならない。エレノアは研究大好き引きこもりコミュ症残念美人オタクなのである。
「エレノアー、この人はニコラ。駆け出しの商人さんだよ。ニコラ、こっちがさっき話してたエレノア」
「エレノアさん! 私は商人のニコラ・フォンティーニです! 早速ですがお伺いしたいことが! ユーリと一緒に開発したというマフラーについて詳しいことを教えて頂けないでしょうか!? もうすでにどこかの商会と契約を結ばれていますか!? よければ私個人とも是非ともお取引をお願いしたく!」
「ひぃ! ご、ごめんなさいごめんなさい! わ、私奥に引っ込んでおきます! すみません! ごめんなさい!」
ニコラの勢いについていけず、エレノアは部屋の奥の棚に隠れてしまった。
「あ、あれ。私、何かしちゃった?」
ニコラは戸惑いユーリに問う。
「エレノアは大きい声とか初めての人とか苦手だから、優しく話かけてあげて」
「そうなんだ……申し訳ないことしちゃったな。私もちょっと落ち着くね」
七歳と十五歳に気を使われるエレノア。この3人の中では最年長者なのだが。
「エレノア、エレノア。ニコラは良い人だよ。前、迷子になった僕に道を教えてくれたんだ。それと、僕たちの作ったポカポカ君に興味があるんだって」
ユーリの言葉にエレノアが棚の裏から顔を半分だけのぞかせる。
「ポカポカ君に……?」
「はい。ユーリが着けてるあったかいマフラー、ポカポカ君っていうんですね。凄く良い商品だと思います!」
「……ほ、ほんとに?」
「もちろんです! 私も欲しいくらいです!」
「そ、そうですか。実はそこそこの力作なんです」
「あのマフラーがあれば、真冬でも余り着込まずにすみます。極寒の山道を馬車で駆けても問題ないでしょう。素晴らしいです。沢山の人が欲しがると思います」
「そ、そうかなぁ……実は色々と頑張って作ったんです……」
「そうですよね。そう簡単に作れるものではないと思います!」
「あ、その、最初の発想はユーリ君なんです。蓄熱石が作れるなら、同じように服を発熱させれば温かいんじゃないかって。素晴らしい発想ですよね。言われてみればその通り何ですが、言われるまでは中々思いつかないものです。ユーリ君はとても柔軟な思考を持っています。それは錬金術師にとってとても大切な能力だと思います」
「なるほど、最初の発想はユーリだったんですね」
「はい。それから二人で考えました。布に熱をもたせること。最初の課題はどうやって燃やさずに熱を込めるかでした。蓄熱石みたいに火の中に放り込むなんて出来ませんから。ならば熱だけを与えようと思い、鉄の箱に布を入れてみました。しかしこれがなかなか難しい! 温度が上がると布が縮れてしまうんです! ならばどうするか。ここで逆転の発送です。燃えるなら水属性を付与すればいいんじゃないか。我ながら素晴らしい発想だと思いました!」
「な、なるほど」
「しかしこれは上手く行きませんでした。火に耐えるために水を。次第にそんな安直な発想をしてしまった自分が恥ずかしくなりました。熱で温めなければならないのに水属性でそれに対抗するなんて、本末転倒です。しかしこの失敗が新たな方法のきっかけになるのです! そもそも目的はマフラーを発熱させることなので、蓄熱石と同様のプロセスを踏む必要もないのです! そこで思いついたのが……」
「エレノア、エレノアー」
「そもそもの熱源を変えることでした! 火ではなく、太陽の力を借りてはどうかと……」
「エレノアー」
「はっ!!」
ユーリが何度か声をかけると、ようやくエレノアは我に返った。
「あっ、す、すみません……その、なんのご用事でしたっけ……?」
我に返るエレノアを見て、呆気に取られていたニコラも再起動する。
「えっと、はい。そのマフラーについてですが、何処かの商会と契約を結ばれたりしていますか?」
「契約、ですか?」
ニコラの言葉にエレノアは首を傾げる。
「はい。これほどの逸品です。どこの商会も取り扱いたいと思うでしょう」
「はぁ……」
いまいち理解の及ばないエレノアである。このニコラという商人は何が言いたいのだろうか。
「えぇと、つまり、エレノアさんとユーリが発明したマフラーを、商品として取り扱いたいということなのですが……」
どうやら話が伝わってないと分かったニコラが、至極分かりやすい説明をする。
「え、ポカポカ君をですか?」
「はい、ポカポカ君をです」
「はぁ、売れるんでしょうか。これ」
エレノアは机に無造作に置かれている手袋を手に取る。すこし歪な形をしたそれもまた、マフラーと同じくオリヴィアお手製の手袋である。
オリヴィアの趣味なのだろう。不細工な猫の刺繍が愛らしい。
「な! これもポカポカ君なんですか!?」
すぐに飛びつくニコラ。この手袋を一体どれほどの行商人が欲しがるだろうか。
寒い中かじかむ手で馬の手綱を握りしめなくてもすむのだ。自分だってほしい、今すぐにでも。
「あの、そんなに気に入ったのなら差し上げますよ、それ」
まるで子供におもちゃをあげるかのごとく気軽に投げかけられた言葉。
食い入るように手袋を眺めていたニコラが、信じられないようなものを見る目でエレノアを見つめる。
「エレノアさん、これがどれほどの価値を産むか分からないのですか……?」
「価値、ですか? 暖かくて便利ですけど……」
「あはは、ニコラおおげさー」
ニコラは思う。何だこの温度差は。
この二人はこんなものを作り出しておきながら、その価値を微塵も理解していないのだ。
気に入ったのなら差し上げる?
そんな次元のものではない。下手をしたら衣料業界のバランスさえも崩しかねない逸品だというのに。
そんなものを、気に入ったのなら差し上げる?
「……お二人に聞きます。この手袋、ポンと私にくれたこの手袋。市場で価値をつけるとするといくら位になるとお思いですか?」
「え、そうですね。普通の手袋が千リラくらいですし、二千リラくらいですか?」
「錬金術を付与してるから、三千リラはすると思う」
ニコラはため息をついて、指を三本立てる。
「三千リラですか。ユーリ君正解ですね!」
「えへへ、実は目利き得意なのかも!」
「ふ・せ・い・か・い・です!!」
トンチンカンなことを言いながら笑い合う二人をニコラが一喝する。
「そんなに安いわけがないじゃないですか!」
「え、三万リラですか? それは流石に……」
「そうだよニコラ、それは高すぎるよー」
「三十万」
「え?」
「へ?」
ニコラの口から出てきた數字に理解が及ばない二人。
三十万? この手袋が?
「私の知り合いの中だけでも、三十万リラ出してでもこの手袋を欲しがるだろう人はパッと思い浮かべただけでも3人は居ます。それほどのものです」
ニコラが真面目に話すも、二人は首をかしげるばかりである。
「ちょっと正確な金額を試算したいので、詳しい仕様についてお話を聞かせてもらってもいいですか?」
「それはもちろん構いませんが……」
先程の二の舞いにならないように、今度はユーリが主体で説明をする。
曰く、この手袋は錬金術で火属性、光属性、風属性の3つの属性を付与したものである。
曰く、太陽の光を吸収し、熱として放出している。また、太陽の出ていないときでも暖かくなるよう、風を吸収し熱にする機能も備えている。夜寒い時は手にはめてブンブンと降れば、より暖かくすることができる。
曰く、使用している素材が布なので、熱の変化に強く、蓄熱石のように割れることはない。大切に使えば半永久的に機能する。
とのことらしい。
話を聞いたニコラは大きくため息をついて目頭を揉む。使用期限が無いばかりか半永久的に使える。そして風を通さないどころか、風が当たるとむしろ暖かくなるのだ。
「……五十万リラでも売れるかも知れません」
「ご、五十万リラですか!?」
エレノアにとっては驚愕の鑑定結果であるが、ニコラにとってはそれでもまだ上を目指せると思っている。ニコラにはエレノアが金なる木の様に見え、それと同時に『守らなければ』という謎の使命感を燃やしていた。
「エレノアさん。まだどこの商会とも契約していないと仰られてましたよね?」
「は、はい。私、商売なんて全然考えて無かったので……」
「私が専属の商売人になります。いえ、私と専属契約をしてください」
真摯な顔でニコラは頭を下げた。
「そ、そんな大げさな……手袋くらいで……」
「手袋だけじゃありません、エレノアさんとユーリが発明したもの、そられ全ての管理をさせてください」
「はぁ、管理、ですか」
エレノアは山と積まれたゴミ……もとい錬金術により作られた物に目を向ける。その様子にニコラは怒りさえ覚えてきた。
これだけ言ってもその価値に、そして危うさに気がついていない。
「エレノアさん。あなたは自分の能力とあなたが作り出すものの価値を正しく理解するべきです。下手をしたら誘拐されますよ?」
「ゆ、誘拐!?」
「貴方を錬金術の素材とともに幽閉し、延々と作らせ続ける。そうやって金儲けをしようと企む輩がいないとも限りません」
「あ、部屋からでなくて良くて、錬金も出来るならそれはそれで」
「そういう話じゃないっ!!」
「はひっ! すみません!」
何故か嬉しそうな顔をする引きこもり女に再度一喝を入れる。
「今後、何処かの商会や行商人が訪ねてきても、私、ニコラ・フォンティーニを通すように言ってください。下手なことは何も言わないでくださいね。どんな揚げ足取りをされるかわからないので。いいですね?」
「は、はい、分かりました……」
何故か年下の少女に怒られているエレノアであった。
「あはは、エレノア怒られてるー」
「何を無関係な顔して笑ってるのよ! 当然あんたも同じに決まってるでしょ!」
「あれ?」
他人事だと思って笑っていたユーリも怒られた。
「まだ実感がないみたいなので、とりあえずこの気軽にくれた手袋を売って見せます。その後の方が話はスムーズでしょうし」
ニコラは手袋を大切そうにハンカチに包み、バッグにしまう。
「それでは、売れたらまた来ます。利益分配等の話はそれからにしましょう。それではまた」
何処か怒った様な、しかし嬉しくて興奮している様な雰囲気でニコラは足早に研究室を出ていく。世間知らずなエレノアとユーリに、優秀な商人が加わった瞬間である。
後日、無事に売買を終えたニコラが六十万リラを持って帰り、エレノアとユーリはことさらに驚愕するのであった。
一方、自分のお手製の手袋が目が飛び出るほどの高値で売れたと知ったオリヴィアは、
「下手くそな猫の刺繍なんて施さなければ良かった……」
その手袋に刺繍してしまった、不細工だがどこか味のある猫の絵ことを、大変に悔いたという。