第060話
「なるほど、それで弟の為に殴り込んできた、と」
「はい、そのとおりです……申し訳ありません……」
自分が何故ここに来たのか、どうしていきなり魔法を放とうとしたのかを洗いざらい話したフィオレは、恥ずかしさで顔を赤くする。そんな姿にオリヴィアが苦笑いする。
確かにこんなに小さくて可愛い弟が冒険者になるだなんて信じられないだろうし、誰かに誑かされたと考えるのも仕方が無いだろう。
「ユーリ、今度からちゃんとお話ししてね。お姉ちゃん心配して勘違いしちゃった」
「うん。分かったー。心配してくれてありがとう!」
てっきり謝罪の言葉が出るかと思えば、出てきたのは屈託のない笑顔と感謝の言葉である。少しお灸を据えようかと考えていたフィオレはすっかり毒気を抜かれてしまう。
「セレスティアさん、オリヴィアさん、弟がお世話になりました」
深々と頭を下げ、フィオレは言葉を続ける。
「だけど、ユーリと冒険者活動をするのは今日までにしてください。弟を危険な目に合わせたくないんです」
フィオレは真摯な目を二人に向ける。その真っ直ぐな視線を受けて、セレスティアとオリヴィアは一度目を合わせた後、ユーリを見る。
「うーん。別に私はどっちでもいいんだけど、無駄だと思うわよ」
「どうして……っ!」
「だって私も最初は止めたもの。危険だし連れていけないって。でもユーリ君はテコでも動かなくて……」
その時のことを思い出したのか、オリヴィアは長いため息をついた。
「止めるなら私達じゃなくて、ユーリ君だと思うわよ」
「……そうですね」
フィオレはユーリに向き直る。
「ユーリ。ユーリには冒険者はまだ早いと思うの。お姉ちゃんが強くなって守るから、ユーリはそのままでいいんだよ。冒険者の活動は今日まで、ね?」
優しい、しかし有無を言わさぬ言葉。
ユーリは聞き分けの良い子だったから、ちゃんと話せば分かってくれる。頭の良い子だから、私の気持ちや意図を読み取ってくれる。
ほら、今回だって……
「ううん。お姉ちゃん、僕はやめないよ」
「なん……で……」
記憶にある柔らかなユーリの瞳ではない。貫かれる。鋭い意志の光に。
顔は、背格好は記憶にあるユーリのままなのに、その瞳に宿る光はまるで別人だ。圧倒されそうになるも、なんとか持ちこたえた。
「だ、だめです! 冒険者なんて危険なこと! 死んじゃうかも知れないんだよ!?」
「死なないよ。まだ死ねないもん」
「ユーリは私が守ってあげるからいいの! お金がほしいの!? 私がなんとかするから!」
必死に言うフィオレの言葉にユーリは首を横に振る。
「自分でやりたいの。僕の力でやりたい」
「なら他の方法で稼げば良い! ユーリは頭がいいから何でもできるよ! 商売でもなんでも!」
「ううん。僕も強くなりたい」
「いいの! ユーリは強くならなくて!」
「それじゃだめなの」
「この……っ! ユーリは私に守られてればいいのっ!」
フィオレは手を振りかぶり、ユーリの頬に振り下ろした。柔らかな頬へ。
一度も叩いたことのない弟の、柔らかい頬に打ち付ける。
乾いた音。
ビクリと、何故かフィオレの方が身をすくませた。
「わ、わたし……わたし……」
すぐに血の気が引く。なんてことをしてしまったんだろう。こんなに可愛い弟の、ふにふにと柔らかい頬を力いっぱい叩くなんて。
嫌われてしまう。大好きな弟に。
泣いてしまうだろうか。私の可愛い弟が。
しかし、
「大丈夫だよ、お姉ちゃん」
ユーリは優しくフィオレを抱きしめた。
ジンジンと痺れているフィオレの右手をさすりながら。赤く晴れた頬が痛むだろうに、打ったフィオレの手をいたわるのだ。
「お姉ちゃんにとって、僕はどんな弟?」
「か、可愛くて……素直で……と、とても良い子で……」
泣き出しそうな声で、震える声でフィオレが答える。
「うん。そしてそれ以上に、お姉ちゃんのことが大好きな弟、それがユーリ君なのです」
すこしおちゃらけながら、フィオレの目を見る。
「だから、僕はお姉ちゃんを守りたい。ううん、僕のことで悩まないでほしい」
「悩んでなんか……」
「悩んでる。自分のせいだって。自分がダブルじゃなければって」
「それは……だって、私のせいでユーリは無属性に……」
「うん、だからさ」
ユーリはニッコリと笑う。幼子の無垢な笑み。
「それを否定したいんだ。僕も魔法を使えるようになって、胸を張って言うんだ。お姉ちゃんのせいじゃないよ、僕は大丈夫だよって。守られなくても大丈夫、むしろお姉ちゃんを守ってあげるんだって」
「そ、そんな……そんなこと……」
「出来るよ。絶対。だから、応援してほしい。大好きなお姉ちゃんに、僕のことを信じて背中を押してほしいんだ」
「う、ユーリ……ユーリぃ……」
堰を切ったようにフィオレは泣き出した。怒っているのか、嬉しいのか。悲しいのか、喜ばしいのか。
弟が言うことを聞かないのが嫌で、でも守ってくれるって言われて嬉しくて。心のどこかで嫌われているんじゃないかという不安があって。でも、その不安が無くなって。
ぐちゃぐちゃの感情で、しばらくの間フィオレは泣いた。
◇
「ずびまぜん……ありがどうごじゃいまず……」
ようやく泣き止んだフィオレが、オリヴィアに手渡されたハンカチで鼻をかみ顔を上げる。
「いやー、あれは泣いちゃうわよね」
オリヴィアはユーリの対応に舌を巻いていた。あんなことをされて墜ちない女はいないだろう。
将来が不安である。いつか女に刺されるんじゃないだろうか。この天然タラシは。
「セレスティアさん。あの、私にも戦いを教えてくれませんか? せめてユーリの近くで、一緒にいたいんです」
決意した表情でフィオレが言う。
二人の美しき兄弟愛を目の前で見ていたセレスティアは、感慨深そうな表情でウンウンと頷いたあと、はっきりと言った。
「ムリ」
スコーンとオリヴィアがコケた。
「って、今のは承諾する流れじゃない!」
「あの、だめ、ですか?」
フィオレの再度の確認に、セレスティアは首を横に振った。
「駄目じゃない。ムリ。私、魔法苦手」
まさかの告白である。
実際のところ、セレスティアは魔法が下手な訳では無い。むしろ風魔法を使いこなし、銀級冒険者まで駆け上がっている。では何故かというと、
「魔法主体の戦い方、分からない」
そうなのだ。
セレスティアはオールラウンダーの魔法戦士。魔法を専門とする戦い方など、しないししたくもない。
だから魔法主体であろうフィオレに稽古をつけることなど出来ないのだ。
「そう……ですか」
しょんぼりと肩を落とすフィオレ。そんなフィオレにセレスティアが言う。
「私は無理。だけど、できる人、知ってる。来週の陽の日、来て」
「……へ?」
どうやら師匠となる人を探してきてくれるようだ。
◇
陽の日。フィオレはソワソワと師匠を待つ。
一体どんな人だろうか。厳しい人だろうか、怖い人だろうか。
「フィオレ、警告しとく」
そんなフィオレにセレスティアが真剣な声で言う。
「隙、見せちゃだめ。気、抜いちゃだめ」
「っ! は、はい!」
やはり、とても厳しい人のようだ。
緊張して待っていると、屋敷の入口からこちらに向かってくるフードを被った人影が一つ。
どんな人だろうかと、フィオレは目を凝らしてその人物を見る。
「なんちゃって、こっちじゃよぉ」
ポフン。
フィオレの小さなお尻が揉まれた。
「わわっ!!」
慌てて尻を押さえて振り向く。
そこにはヨレヨレのローブを来た老人がニコニコと笑顔で立っていた。先程少女の尻を触ったとは思えないほどのにこやかさである。
たっぷりの白い顎髭を撫でながら、微笑ましいものを見るようにフィオレを見ている。
「あ、あれ?」
先程見た人影の方へと視線を向ける。誰もいない。
「コホン。お主が魔法を教えてほしいと言う少女、フィオレじゃな? うむうむ、若いのに才能に溺れず精進するとはすばらしい」
うんうんと大仰にうなずきながら喋る老人。
「エロジジイ」
「ほっほっほ、わしゃ孫の年代の子供を可愛がっておるだけじゃよ」
「フィオレ。紹介する。エロジジイのヘフマン・ホフマン」
「わしゃそんな二つ名じゃないわい」
セレスティアの口から飛びてできた名前にフィオレは驚愕する。
ヘフマン・ホフマン。火、水、風属性のトリプルでありそのどれもが達人級。ベルベット領でも十本の指に入る程の魔法の名手である。
その如何にもな風貌と魔法の熟練度から、ついた二つ名は……
「大賢者、ヘフマン・ホフマン……」
「ほっほー、儂を知っておるとは良い子じゃのお。めんこいめんこい」
よしよしとフィオレの頭を撫でるヘフマン。その顔は孫を愛でる好好爺である。しかしそんなヘフマンをセレスティアは軽蔑の目で見る。
ヘフマンの視線をたどると、その先にはフィオレ顔……ではなく未発達な膨らみが。
ヘフマン・ホフマン。幼女から熟女まで、こよなく愛する変態エロジジイである。女となれば見境なく手を出そうとする素行の悪さから、冒険者等級は永遠の銅級。こんな変態を銀級に昇格することなど出来やしない。冒険者ギルドの沽券にかかわる。
しかし、変態ながらも腕は立つ。いや、変態だからこそ腕が立つのかも知れない。
「フィオレちゃんや。魔法使いに大切なこととは、何じゃと思う?」
「えっと、魔力、ですか?」
「それも確かに大切じゃが、それよりも大切なこと。それは『いじわるであること』じゃ」
「いじわる……?」
予想外の言葉にフィオレは戸惑う。
いじわるであることが魔法使いとどう関係あるのだろうか。
「人間が魔法を使うには詠唱する必要がある。バカ正直に魔法を使っても敵にバレてまず当たらんわい。必要なのは相手を騙して魔法を当てる『いじわるさ』じゃ。なに、魔法なんて一千万回も唱えればある程度様になるじゃろ。心配せんでも良い」
「一千万……」
桁が違う。しかしヘフマンは唱えてきたのであろう。
斯くしてフィオレは、多少素行に難があるものの、魔法の師匠を得ることとなった。