第059話
「大変良くお似合いですよ」
「あ、ありがとうございます……」
「お姉ちゃんすごくきれい!」
一度着てみたかったワンピースに袖を通し、鏡に映る自分を見る。フィオレの紫の髪に、深い紺色のワンピース。華やかではないが、シックな雰囲気でとても似合っている。
外から眺めるだけで、袖を通すことなど無いと諦めていた。何故なら……
チラリと値札を見る。
8万リラと少し。流石に手が出せる値段ではない。
買えるわけのない服。フィオレは試着できてうれしい感情と、お金を持っていないのに試着してしまっていることに対する罪悪感が混ざり合っていた。
そわそわしているフィオレだが、当然その様子には店員も気がついていた。
これは将来への投資なのだ。子供の頃のあこがれというものは存外に大きい。子供の頃に欲しかったものは、大人になってからも欲しいと思ってしまうものだ。
しかも将来有望な魔法学園の生徒である。この体験はフィオレの記憶に残り、将来またこの店に足を運ぶことだろう。
店員が嬉しくも申し訳無さそうにしているフィオレを見て微笑む。
「あの、えっと……」
何と言っていいか分からないフィオレに店員がフォローを入れる。
「向かいのお店も様々な商品を取り揃えているようですので、ぜひそちらでもご試着なさってください。お気に入りの一着が見つかると良いですね」
その店員の言葉はフィオレにとって救いの言葉である。気まずい思いをせずに店から出ることが出来るのだから。
ホッと胸をなでおろし、ワンピースを着替えようとしたところで……
「ううん、これが似合うよ! これください!」
「ゆ、ユーリ!?」
元気で無邪気な声。慌てるフィオレ
「ユーリ、お姉ちゃんそんなにお金持ってなくて……」
小声で言うフィオレに笑いかけ、ユーリはポケットからお金を取り出す。
9万リラ。大金である。
フィオレと店員が目を丸くする。まさかそんな大金を持っているとは露とも思っていなかった。
「あ、あの……また来ます! ユーリ! ちょっと来て!」
フィオレは急いで制服に着替えると、ユーリの手を引いて店を出ていく。
「ま、またのお越しをー……」
呆気にとられながらもそう声をかけた彼女は店員の鑑だろう。
店から少し離れたところの裏道まで急いで歩き、フィオレは乱れた息を整える。
びっくりした。まさかユーリから9万リラが出てくるなんて思わなかった。
「お姉ちゃん、買わなくてよかったの? せっかくの似合ってたのに」
何故かユーリが不満げな顔で問いかけてくる。しかしフィオレはそれどころではない。
「ゆ、ユーリ! あんな大金どうしたの!?」
「あ、これー?」
チャラリンとポケットからお金を出すユーリ。銀銭が15枚。15万リラである。9万リラどころではなかった。
「な……そんなに……」
「最近ねー、研究に使う素材集めのために、冒険者始めたんだ」
冒険者。その単語にフィオレが卒倒しそうになる。
冒険者、それは荒くれ者の仕事である。
冒険者、それは飲み、打ち、買う、下品な者の仕事である。
冒険者、それは、命を落としかねない危険な仕事である。
そんな冒険者に、ユーリが? あの私の後をテコテコと愛らしく着いてきていたユーリが?
ありえない。信じたくない。嘘だと言ってほしい。
「いろいろ教えてくれる師匠がいるんだ。僕、強くなったのです!」
エッヘンと胸を張るユーリ。
そんなユーリを見てフィオレは思う。
なるほど、私の可愛い可愛い弟を誑かす悪いやつがいるのね。
抹殺せねば。骨の一片も、血の一滴すらも残さずに。
「……ユーリ。その人のところ、案内してくれる?」
「え? うん。いいよ?」
どんなゲス野郎が出てくるだろうか。いや、誰でもいい。抹殺するだけである。
◇
「ここだよ」
ユーリがフィオレを連れてきたのは、廃墟と言っても差し支えのない建物……もといセレスティアとオリヴィアが拠点にしている建物である。
よく使う玄関周りはオリヴィアの掃除の甲斐があってきれいになってはいるが、さすがに古ぼけた外観は変わらない。
「ここが不埒者の巣窟ね……」
「え?」
「ううん、何でもないわ」
フィオレは深く深呼吸して気持ちを落ち着ける。
学園で優秀な成績を残しているとはいえ、まだフィオレは十歳になるかといったところ。魔法実技の成績こそ優秀だが、それは実技であって実践ではないのだ。現役の悪徳冒険者に刃が立つかは分からない。
しかしやらねばならないのだ。最愛の弟のために。
「多分夕ご飯の準備中かな。おじゃましまーす」
特に気負った様子もなく玄関から屋敷に入るユーリ。勝手知ったるなんとやら。
ユーリのあとについて玄関から入り、ダイニングの方に進む。
「!」
人影が2つ。金と蒼の髪。
フィオレは震える手を前にかざして詩を紡ぐ。
先手必勝。卑怯でもなんでもいい。
弟を誑かすやつは抹殺するのみ。
「火と水の精霊よ、円となりて我が両手に……」
二重詠唱で魔法を唱えようと……
「甘い。魔力、揺らぎ過ぎ。ヤるなら、静かに」
「え?」
視界に捉えていたはずの金色が消えている。
首元に冷たい感覚。視線を下げると、綺麗に手入れされたショートソードが添えられていた。
フィオレの頬を冷や汗が流れた。緊迫した空気にユーリが慌てる。
「せ、セレスティア! あの! 僕のお姉ちゃんで! お、お姉ちゃん急にどうしたの!? セレスティア! 切らないで! おねがい!」
慌てふためくユーリに、セレスティアは大仰に頷く。
「大丈夫。かわいい子、切らない」
キィンと高い音を立ててセレスティアがショートソードを鞘に納める。その音を聞いてフィオレが恐る恐る振り向いた。翡翠色の瞳と目が合う。
「そよ風のセレスティア……」
そよ風。セレスティアの二つ名である。
誰がそう呼び始めたか。
そのあまりの速さと静かさで、頬に風を感じた時には、既にその首は落ちているといわれ、ついた二つ名が『そよ風』である。
フィオレがセレスティアの名を口にしたことで、セレスティアはどうだと言わんばかりのドヤ顔でユーリを見る。
「何得意げな顔してるのよ」
続いて現れたのはセレスティアのお世話係、オリヴィアである。料理中だったのか、白いエプロンが妙に似合う。
「あなたは……オリヴィアさん、ですよね?」
「ん? あー、どっかで見た顔ね。たしか初等部の……フィオレ、だったかしら」
オリヴィアは去年の戦闘技術大会で優勝しており、学園で知らぬ人はいないほど有名である。
一方フィオレも、名も無き田舎村(名前はあるが)から来た少女であるにも関わらず、ダブル(二重属性)で魔法の上達も早く注目されていたため、名前は割りと知れ渡っている。ちなみにこちらは去年の初等部魔法実技大会の優勝者だ。
面識こそ無かったが、互いのことを認識してはいたフィオレとオリヴィアであった。
「ユーリ、あなたの師匠って……」
「うん。セレスティアとオリヴィアだよ」
学園に来てまだ一年も経っていない幼い弟の人間関係に、フィオレは大層驚くのであった。