第054話
「よしよし、大丈夫? 落ち着いた?」
「ぐす……うん」
ジャイアントスパイダーを倒してから一刻ほど。
ユーリが何とかオリヴィアにまとわりつく糸を剥がし、オリヴィアがガタガタと震えるセレスティアを介抱し、ようやく状況が一段落した。
どうやらセレスティアが蜘蛛恐怖症なのは本当だったらしい。目と鼻を赤くし、いまだに蜘蛛の頭を切ったショートソードには触れないでいる。
ある程度セレスティアが落ち着いたため、オリヴィアは泉の縁に座るナイアードに話しかけに行く。
「こんにちは。誰も怪我は無いですか?」
「大丈夫よ。助けてくれてありがとう!」
オリヴィアは今になってようやくナイアードをゆっくりと観察する。
ゆるくウェーブのかかった紺色の髪に、紺色の瞳。種族柄なのか、皆タレ目がちの大きな目をしている。青みがかった肌に、ギリギリセーフなのかアウトなのか、薄い衣のみを羽織っている。濡れた肉々しい体にぺったりと張り付いており、もはや裸よりも扇情的である。
「たまに来るのよね、でっかい蜘蛛」
困り果てたように頬に手を当てて悩まし気な表情をするナイアード。ここに血気盛んな男性冒険者がいたならイチコロだっただろう。しかしここにいるのは女冒険者二人に、毛も生えていないガキである。何も問題はない。
「いつもはどうやって対処してるんですか?」
「1日2日くらい泉の中を逃げ回ってれば、何故か男性冒険者の人が助けてくれるのよね。何故か」
うふふ、と妖艶に笑うナイアード。
ベルベット領を拠点とする男性冒険者たちは皆そうなのかと、オリヴィアは頭を抱えた。
「女性の冒険者は珍しいけど……いいわよ、いらっしゃい」
豊満な体を見せつけるようにして両手を広げるナイアードに、貞操の危機を感じたのかオリヴィアが身震いする。
「いやいやいや、そういうのじゃ無いから!」
「あらそうなの? ならどうしてこんなところに?」
「それは……ユーリ君! 説明しなさい! っていうか何やってるのよ!」
何やらジャイアントスパイダーの死骸をいじっていたユーリにオリヴィアが声をかける。
「ちょっと素材集めてた」
テコテコと近寄ってきて、オリヴィアの前に革製の水筒を一つ掲げるユーリ。タプンタプンと重たげに揺れるその水筒に、ジャイアントスパイダーの一体何が入っているのだろうか。
詳しくは聞くまいと、オリヴィアは今のユーリの言葉を記憶から消去した。
「あ、ナイアードさんこんにちは。僕はユーリ。よろしく」
「こんにちは。私はナイアードのリオよ。よろしくね、可愛いお嬢さん」
「僕は男の子!」
ユーリは簡単な自己紹介の後に、細かいことは省いて、ナイアードの髪が必要であることと、泉の水が欲しいことを伝えた。
「水はまぁかまわないけれど、髪はちょっとねぇ。欲しがる人も結構いるけど、髪は乙女の命なのよ?」
スルスルと腰まで伸びる自分の髪を手櫛で梳く。その髪の毛はウェーブがかかっているものの、縮れてはいない。
オレグの研究書に描かれていたものは本当に陰の毛だったらしい。少し落ち込む。
ブンブンと頭を振って思考を振り払い、ユーリはポケットから蓄光石を取り出した。もとよりタダで髪の毛をもらえるなんて思ってない。
「あら、それは何?」
ユーリが取り出した物に興味津々のリオ。豊満な胸を寄せ上げながら身を乗り出す。
「これはね、暗くなると光る石だよ。ナイアードさん達は火を使うのが苦手そうだから、水の中でも使える灯りがあったら便利かなって思って」
ユーリの言葉にリオは目を丸くして驚く。
「まぁ! まぁまぁまぁまぁ! 素敵ね! それは素敵ね! もっとよく見せて!」
石を持つユーリの手を掴み、ぐいっと自分の目の前に持っていくリオ。
ユーリが持ってきた蓄光石はこぶし大のすべすべとした白い石で、小さくエレノアとユーリのイニシャルが刻まれている。
まだ夕方の少し明るい時間であるため、光っているようには見えない。
「光って……る? きれいな石だけど光ってるようには見えないわ」
マジマジと色々な角度から眺めるリオ。
「これは蓄光石って言ってね、お昼に太陽の光を当てておけば、暗くなったときに光るんだ。まだ明るいから分からないね」
「へー、そうなの。疑ってるわけじゃないけど、一晩貸してくれる?」
「もちろん。リオ達は泉に住んでるんだよね? 泉の周りに野宿しても大丈夫?」
「ええ、構わないわ」
もとより一泊する予定である。
ユーリはリオにまた後でと挨拶すると、暗くなるまで泉の周りを散策して時間を潰す。ジャイアントスパイダーの死骸はナイアード達が水魔法で森の方へと押しやったため、美しく幻想的な泉の風景となっている。
いくつかめぼしい錬金素材を採取したり、持ってきた果物やナイアード達におすそ分けして貰った魚を食べて過ごしていると、段々と日が暮れてきた。
宵闇に染まる頃、一人のナイアードが声を上げる。
「あ! 見て見て! 石が光ってる!」
泉の縁に置いてある蓄光石が光りはじめ、ナイアード達が集まってくる。
「わぁ〜! 本当に光るんだ!」
「優しい光ね」
「すごーい。きれいー」
「蓄光石って言うんだっけ?」
「えー、蓄光石って名前、可愛くないわね」
「なにかいい名前無いかしら?」
「……ルミエールストーン」
「ルミエール可愛いわね!」
「ルミエール!」
キャッキャと姦しく騒ぐナイアード達。ユーリの意思に関係なく、蓄光石はルミエールストーンへと名前を変えた。
「気に入ってもらえた?」
ユーリが問いかけると、リオが満々の笑みで答える。
「えぇ! すごく気に入ったわ! この灯り、どのくらい続くのかしら?」
「日中の太陽の照り具合にもよるけど、朝まではもつと思うよ」
「素敵ね! それはとても素敵だわ! 触ってみてもいいかしら?」
「うん。大丈夫だよ」
ユーリの言葉を聞いたナイアード達が、恐る恐るルミエールストーンを指で続き始める。ほんのりと温かいが、決して熱くは無い。
意を決したリオがついに持ち上げる。
「水につけても大丈夫なのかしら?」
「もちろん。もともと水中で使えるようにって思って作ったから」
リオがルミエールストーンをゆっくりと泉に沈める。輝きは失われることはなく、波を受けてぼんやりゆらゆらと揺れている。まるで水面に映る満月のようだ。
「とっても便利だわ!」
ナイアード達はテンションが上がり、石を泉に投げ、誰が一番早く取って来るかの競争を始めだした。
そんなナイアード達を眺めていると、下半身は泉につかったまま、泉の縁にリオが上半身を乗り出してくる。
「ありがとうユーリ。これで新月の闇に怯えなくてもすむわ。髪の毛が欲しかったのよね。私ので良ければどうぞ貰って」
早速とばかりに髪の毛を切ろうとするリオをユーリが慌てて止める。
「まってまって、髪の毛は明日の出発前に欲しいんだ」
「あら、どうして?」
「新鮮なのが欲しいの。今もらったら持って帰るまでに時間がかかっちゃうから」
「ふーん、変なの」
リオは自分の髪の価値にあまり興味がないのか、それよりも、と意気込んで話し始めた。
「ルミエールストーンって、もっとあるかしら!? 私達からあげられるものはあんまりないのだけれど……」
「とりあえずあと4つあるよ」
ユーリはポシェットの中から、蓄光石もといルミエールストーンを四つ取り出す。
「あらあらまあまあこんなに! ……あの〜、譲っていただくことって、可能かしら……? 私にできることなら、その、何でもするわよ?」
リオは上目遣いでユーリを見る。
潤んだタレ目の瞳、濡れた髪が頬に張り付き水が滴る。乗り出した上半身のたわわな双丘を寄せてあげる。こうやって幾人もの男性冒険者を籠絡してきたのだろう。が、ユーリは二次性徴前の少年である。色仕掛などミリも効果はない。
しかし、そもそも籠絡する必要性がないのだが。
「最初からあげるつもりだったからいいよ。はいどうぞ」
ユーリは抱えたルミエールストーンをズイとリオに差し出す。リオは慌てて受け取った。
ポシェットの中に入れっぱなしだったそれは、太陽に当てたものほど光ってはいないが、それでも優しく灯っている。
リオは手の中のルミエールストーンとユーリの顔を見比べる。
「え、本当にいいの?」
「うん、そのために持ってきたんだし。あ、かわりってわけじゃないけど、泉の水をたくさん貰うね」
「え、ええ、それは構わないけれど……」
どこか腑に落ちないながらも、圧倒的に得をしている取引なのでリオは納得することにした。
「じゃあ明日の朝、また声をかけるね」
「ええ、分かったわ」
ユーリは無事に交渉を終えたのだった。