第052話
土の日の朝。いよいよナイアードの住む泉に向けて出発である。天気は晴れ。初秋の青く高い空と少しだけ涼しくなった風が気持ちいい。
今日向う場所は東門から出て東北東に進んだところにある森。その森の中に湧き出ているという泉である。
以前ユーリがグミの実を採取したところの近くを流れる川の源流の一つだ。
ワクワクしながら待っていると、大きなリュックを背負ったオリヴィアとほぼ手ぶらのセレスティアがやってくる。
オリヴィアは腰紐に大量の水筒を下げているユーリに奇異の目を向けた。
「おはようオリヴィア、セレスティア!」
「ん、おはよ」
「おはよう……っていうか何よその珍妙な格好は……」
あまりにたくさんの水筒を見て呆れたようなため息をつく。
「友達が泉の水がほしいっていうから、取ってきてあげるの!」
「あ、たくさん納品したいわけじゃないのね」
オリヴィアはバツが悪そうに頬をかく。てっきり大量に水を持って帰り、常時クエストであるナイアードの泉の水の納品を行うのかと勘違いしたのだ。そうだった、ユーリは強欲な子供ではない。ものの分別のつく子供だ。
自分を助けてくれたときもそうだ。一人で逃げるのではなく、怪我をしている足で自分を抱えて走ってくれた。今回もそうなのだろう。誰かはわからないがユーリにとって大切な友達。その人のために頑張るのだろう、彼は。
「ま、少しだけなら持つの手伝って上げるわ」
「オリヴィア、ありがとう!」
「私は重いから、ヤ」
「ティア、あんた何も持ってないくせに……せめて自分の荷物くらいは持ちなさいよ!」
「ヤ。オリヴィア、持って」
「こいつ……ッ!」
ちなみにセレスティアの荷物もオリヴィアが背負っている。それ故のセレスティアの身軽さだ。
「師匠のお願い、絶対」
「絶対ならそれはお願いじゃなくて命令なのよ……」
オリヴィア、苦労の絶えない不憫な女である。
◇
途中、黒狼数体と遭遇したが、向こうが気付く前にセレスティアの風魔法で瞬殺。流石は銀級冒険者。この程度なら障害にもならない。
目的地に向けて順調に進む。
ユーリはアデライデに貰った地図を広げ現在地を確認。泉は近そうだ。
「!」
「ん、騒がしい」
ユーリとセレスティアが何かを察知した。
「え? どうしたの?」
「ナイアードの泉の方角、騒がしい。何か起こってる」
セレスティアが真面目な顔になり、
「先行する」
風のように走り出した。実際、身体に風を纏っているのだ。
「あ、ティア、待ちなさいよ!」
「疾いっ!」
オリヴィアとユーリもあわててその後を負う。
しばらく走ると……
「いやあああぁぁぁぁ!!」
「やめてえぇぇぇぇぇ!!」
「ひ、ヒイィィィィィ!!」
怯えるような叫び声が聞えた。
しかもその悲鳴の中には、
「いまの、セレスティアの声!?」
「そんな、あのティアが!?」
実力派の銀級冒険者、セレスティアの悲鳴も混じっている。
「銀級冒険者が恐れる相手って何よ! こんなところにドラゴンが出たとでも言うの!?」
「わからないけど、急ごう!」
オリヴィアとユーリは恐怖しながらも急ぐ。セレスティアが怯えるような相手に自分たちが出来ることなど無いかもしれない。それでも、力になれることはあるはずだから。
不思議な縁で一緒に行動する事になった3人だが、もうすでに仲間意識は根付いている。
自分の力が及ばないからなんだ。まだ駆け出しだからどうしたというのだ。仲間に危害を加えるのなら、刺し違えてでも止めてやる。
二人は森が開けた空間に出る。森の中にぽっかりと空いた空間。半径1キロほどはあろうか。その中心に綺麗な泉があり太陽をキラキラと反射していてとても美しい。が、今はそれどころではない。泉に迫る魔物、怯えるナイアード。敵の正体は……
「ジャイアントスパイダー!?」
ジャイアントスパイダー。その名の通り大きな蜘蛛である。
体の大きさは高さ2メートルに及び、足を広げた長さは5メートル程もある。幸い毒は持たないが、強力なアゴと粘性のある糸を使用して、時にはトロールさえ捕食する凶悪な魔物である。
八本脚と糸を使用した無限軌道とその凶暴性、繁殖能力の高さから銅級の魔物に分類される。まだ日の浅い冒険者にとっては難敵となる魔物だ。
そう、日の浅い冒険者にとっては、である。
ベテランの銀級冒険者セレスティアにとっては大した脅威ではない。
ではないはずなのだが……
そのセレスティアは少し離れたところで身をすくませていた。
何かあったのだろう。オリヴィアとユーリが駆け寄る。
「ティア! ティア! どうしたのよ! 何があったの!?」
「わ、わた、私……」
「何!? どうしたの!?」
「蜘蛛、む、ムリ……」
「……は?」
無表情ながらも顔を強張らせ、少し青ざめたセレスティアが蜘蛛から視線を逸らせながら言う。
「え、どういうこと?」
「だから、蜘蛛、ムリ」
蜘蛛恐怖症。かっこよく言えばアラクノフォビア。
そう、セレスティアは蜘蛛がどうしようもなく怖いのである。たとえそれが格下であったとしても。
「ほんっっっと使えないわねアンタぁ!!」
己の師匠にそんな暴言を吐き捨て、腰に佩いた細剣を抜き放つオリヴィア。
「ユーリ君、私達二人で何とかするわよ!」
「分かった!」
「はやく、倒して……」
「こいつっ……!」
オリヴィアが額に青筋を立てる。しかし、いまはこの麗しのポンコツ美人師匠に構っている場合ではない。
ジャイアントスパイダーは水の中には入れないらしく、水際でギチギチと顎を鳴らし、水中のナイアードに向けて糸を飛ばしている。捕獲して食料にする算段なのだろう。
ナイアード達はキャーキャー言いながら糸を避けたり、水魔法で撃ち落としたりしている。どうやら防戦一方のようだ。
オリヴィアは決意する。
やらねばならない。このポンコツエルフの代わりに、私達が。
意を決し、ジャイアントスパイダーへと駆け寄った。