第050話
ユーリが目を開けると、見たことのない天井が視界に映った。
折れた腕を上げてみる。痛くない。どうやら完治しているようだ。ベルンハルデに気絶させられて、医療室的なところに運ばれたのだろう。
ユーリは先ほどの訓練のことを考える。レンツィオの攻撃を全て捌けなかったのはまぁ良い。自分の単純な力不足である。
今考えなければならないのは、レンツィオのあの高速移動と、ベルンハルデの不可解な技である。
まずはレンツィオについて。火球を足に纏い攻撃してくることは予想ができた。ナターシャも同じようなことをしていた記憶がある。
しかし、まさかそれを踏みつけて加速するなど思いもしなかった。
ユーリには魔法のことはよくわからないが、あの魔法は色々と応用が効きそうだ。単純に遠くで爆発させて陽動にしたり、地面に設置してトラップにしたり。
魔法そのものではなく、魔法を利用した戦略の拡大についても考えなくてはいけなさそうだ。
そしてベルンハルデの技。ユーリの渾身の蹴りを、まるで風に吹かれた木の葉に触れるかの如く軽く受け止めていた。恐らく闇属性の何かしらの魔法なのだろう。
もっと知りたい。魔法を、その使い方を知りたい。知識欲が溢れてウズウズする。
「何を一人でニヤニヤしてるのよ」
声が聞こえたので身体を起こすと、ベッド脇の椅子にオリヴィアが座っていた。どうやらユーリが目覚めるまで待っていてくれたようだ。
「魔法について考えてたの」
「ほんと、ユーリ君って魔法が好きよね。使えないのに」
「使えないからだよ。だから憧れる」
そんなもんなのかしらねーと、オリヴィアは興味なさげに相槌を打った。
「ところでさ、ユーリ君がトロールに使ってたやつ、アレって何なのよ。聞いてないんだけど」
オリヴィアはジト目でユーリを睨む。
「アレって何?」
「アレはアレよ! あのピカーッ! ってなって眩しいやつ! アレのせいで私だって暫く目がチカチカしたんだから!」
「あ、ピカッと君のこと?」
思い出したようにユーリがかわいい名前を口にする。
「ぴ、ピカッと君? 何よそれ」
「魔導具だよ。エレノアと二人で作った」
「魔導具ぅ〜?」
金の精製を目指す錬金術師の第一派閥、そしてポーション精製を主な生業とする第二派閥。そのどちらにも属さない変人の第三派閥。エレノアが第三派閥に分類されることはオリヴィアも知っている。
そしてその変人集団は『蓄熱石』というちょっと便利なものしか作れないことも知っている。
なのであの光を放つ石が魔導具だとは思えなかった。少し胡散臭そうな目でユーリを見る。
「あんた、そんなもの作ってる暇があったら、もっと訓練しなさいよ」
「え、何で?」
「何でって、強くなりたくないの?」
オリヴィアの問いにユーリは首を傾げる。
別に強くなりたい訳では無い。ユーリの目標は魔法を使うこと、そして全人類がすべての属性の魔法を使えることになることだ。
今訓練しているのは、素材収集の為の手段であって目的ではない。少しばかり興味があることは確かだが。
「僕は強くなるために冒険者してるんじゃないから」
「あー、ナイアードの髪、だったっけ?」
オリヴィアは初めてユーリと出会ったときのことを思い出す。たしか新鮮なナイアードの髪を手に入れる必要があるだの云々言っていたような気がする。
「うん。錬金術の素材集め。だから訓練ばっかりじゃだめなんだ」
「その年でそんだけ強いのに、勿体無いわねぇ」
オリヴィアは完全に興味を失ったのか、思いっきり伸びをして立ち上がる。
「じゃ、ユーリ君も無事だったことだし、私は帰りますかねー。ティアの夕ご飯つくらないと」
もともと世話焼きな性格である。もうセレスティアとの共同生活(というかもはや子守)にも慣れたオリヴィアであった。
そんなオリヴィアが思いついたように言う。
「ていうか、もうナイアードのところくらい行けるんじゃない? トロールを瞬殺できるくらいだし」
確かに、それはユーリも考えていたことである。
ナイアードは基本的に人間に危害を加えることはないし、会話もできるという。銅級の魔物という分類ではあるが、戦わなければいいだけである。
「うん、セレスティアに相談してみる」
ユーリはピョンとベッドから降りる。体調は問題なさそうだ。
「あ、そうだオリヴィア」
「ん? どした?」
「看病してくれてありがとうございます」
ユーリはペコリと頭を下げた。
「い、いいわよそのくらい。調子狂うわねぇ。それよりもモニカにもお礼を言っときなさい。あのサブマスターから3級ポーションぶんどって来てくれたんだから」
「うん、分かった」
ユーリはモニカにも礼を言い、『職務ですので』というモニカの口癖を聞いてからセレスティアの元に向かった。
◇
麗しの銀級冒険者セレスティアの1日は、決して皆が想像するようなものではない。
朝起きて走り込みなどしないし、走り込みをしないので朝シャワーを浴びることもない。
朝ごはんにおしゃれなサンドイッチやベーコンエッグを作ったりもしない。お腹が空けば昨晩の残り物か、フラット出て行って屋台で適当に食べる。
依頼だってギルドからの使いが来なければ自ら受けようともしない。世のため人のために汗水流す気などさらさらない。
ではセレスティアが普段何をしているのかというと、特に何もしていない。ダラダラしているのである。基本的には譲り受けた広すぎる屋敷の庭で、心地よい風に吹かれながらダラダラしているのである。金に困ってない人の1日なんてそんなものである。
本人曰く、『自然体で自然と触れ合うことにより微精霊達との友好を深めている』らしいが、そんな戯言を信じる人など当然おらず、そのうちセレスティアも弁明することが無くなった。
なので今日も広すぎる庭でダラダラしている次第である。
そんなやる気なし冒険者のセレスティアだが、最近は少し楽しみができた。友人ヅテにやってきた二人の若手冒険者である。
訓練してほしいと言われ最初は億劫だったが、二人共素直だし、メキメキと実力を伸ばしていくので、成長する様を見るのが段々と楽しみになってきているのだ。
何より、二人共可愛い。そして片方は生活のお世話までしてくれる。控えめに言って最高である。
「ティア、ただいま」
「おじゃましまーす」
「ん、おかえり。今日は豚肉を卵とパン粉につけて揚げたものが食べたい」
「討伐依頼から帰った弟子に最初に言うことが晩御飯のリクエストって……」
はぁ~、と深くため息を付きながらも、豚カツの材料を思い浮かべるオリヴィア。足りないものは何かしらと台所に立つオリヴィアをよそに、ユーリがセレスティアに話しかける。
「セレスティア、トロールには問題なく勝てたよ」
「うん、ユーリ、強くなった」
「それでさ、僕、ナイアードに会いに行きたいんだ」
ユーリのその言葉に、途端にセレスティアの目つきが険しくなる。
鋭い目で射抜かれたユーリが一歩後ずさった。
「何、言ってるの。ユーリにはまだ早い」
セレスティアの反応にユーリがグッとつまる。無表情なセレスティアだが、明らかに怒り、侮蔑の雰囲気を感じた。
ユーリはここ最近の訓練でかなり強くなったつもりだった。話くらいは聞いてくれると思っていた。しかし、結果は一蹴である。
「で、でも、ナイアードは友好的だっていうし、危険は少ないと思うんだけど……」
「だいたい、どこで知ったの。そんなこと」
「えっと、学園の教官に教えてもらって……」
「ふしだら。その人、関わらない方がいい」
「ふしだらって……」
「とにかく、まだ早い。成人するまで、だめ」
ユーリの頭にはてなマークが浮かぶ。
おかしい。何だか会話が噛み合っていない。成人することとナイアードの、何が関係しているのだろうか。
「えっと、セレスティアは、僕がナイアードに会いに行って何すると思ってるの?」
「何って、男性冒険者がナイアードに求めることなんて、一つだけ。濃密なセック……」
「ストオォォォォップ!!」
刹那、オリヴィアの声が響き、偏重強化を発動してユーリとセレスティアに割って入る。
日々の訓練の賜物である。
「ちょっとティア! ユーリ君になんて事いうのよ!」
「オリヴィア、こういうこと、ちゃんと言わないとダメ。隠すと、余計良くない。若者の性の乱れ」
「だから、そういう話じゃないの!」
オリヴィアは顔を赤く染め、セレスティアにボソボソと耳打ちする。すると、すぐにセレスティアの顔から険が取れた。
「なんだ、そっち」
「当たり前でしょうが! ユーリ君が何歳だと思ってるのよ!」
どうやら誤解は解けたようだ。
「ん、今のユーリなら大丈夫。だけど心配だから皆で行く」
「え? どゆこと? いいの?」
「問題ない」
どうやら良いらしい。
いまいち話の流れを理解していないユーリは、頭にはてなマークを浮かべつつも、まぁ良いやと疑問を流した。
「来週、土の日と陽の日、ナイアードの住む泉に行く」
「うん!」
ユーリの魔法研究の第一歩目が、ようやく始まろうとしていた。