第049話
「……よろしく」
成り行きとはいえ、冒険者ギルドの先輩に稽古をつけてもらうことになったユーリは、一応レンツィオに頭を下げる。が、
「ズルが上手なクソガキに、世間の厳しさを教えてあげねぇと……なぁ!」
開始の合図なんてものはなく、レンツィオはいきなりユーリに殴りかかる。
中々に早い拳だ。早いが、しかし、見切れない事はない。
一発で勝負を決めようとしているのか、顔面に向けて拳を放ってくるレンツィオ。年端も行かない子供に向けていい拳ではない。しかし、当たらなければ意味などない。
ユーリは拳が届く直前に半身になり、ぎりぎりで拳を避ける。
レンツィオに反撃を喰らわせようと拳をあげるが、それよりも先にレンツィオの次手が襲う。
流石は石火のアルゴの弟、速い。
右左と繰り出される拳は、一発一発はさほどの威力ではなさそうだが、とにかく早い。
ユーリはその卓越した目と運動能力、小柄な身体を活かし全てを避けきるが、反撃の糸口がつかめない。
「……あはっ」
気が付けばユーリは笑っていた。
楽しい。この組手はユーリにとって存外に面白いものであった。
レンツィオの体の向き、足の向き、力の入れ方、目線、表情にいたるまで、全ての情報を可能な限り収集し次の一手を躱す。
大きく躱しては動きに無駄ができる。無駄ができると反撃の好機を潰す。だからぎりぎりで躱す。もっと近くで、もっと紙一重に。もっともっと、もっと!
(……んだよ、こいつっ!!)
狂気的に笑うユーリとは対象的に、レンツィオは空寒いものを感じていた。軽く数発殴って、なめたガキを泣かせておしまいにするつもりだった。
モニカの前で恥をかかされた帳面消しをして終わり、その程度の気持ちでしかなかった。
しかし、何だこいつは。
割と本気の拳をビビるでもなく難なく避けている。そして笑いながら距離を詰めてくるのだ。
本当にガキなのか、こいつは。
このままではいつか対策される。そう思ってレンツィオは一度距離をとった。
「はっ、ちょこまかと避けることしか出来ねぇか? まぁ、次は避けらんねぇぞ」
一度呼吸を整え、レンツィオは詠唱する。
「火の精霊、輻輳し俺の足元に砲列しろ」
詠唱が終わると、小石ほどの大きさの赤い炎がレンツィオの右足首を取り囲む様に複数浮遊する。
密度が高く、かなりのエネルギーが込められていることが伺える。
「行くぜぇ……」
右足首の周りにある密度の高い火球。高温による単純な攻撃力の増加と、攻撃範囲の増加。
たったこれだけでユーリの動きが鈍くなる。痛いのは変態美人保険医で慣れているが、熱いのは慣れていない。火に対する本能的な恐怖がユーリの動きを鈍くする。
「おいおい、さっきよりトロくなってん……ぞぉ!」
足に注意を向けすぎ、上半身への警戒がおろそかになったのを、レンツィオは見逃さなかった。
速度重視のジャブがユーリの頬を捉える。
「ガっ!」
しかし、体重の軽い子供など、ジャブで充分。ユーリは簡単に殴り飛ばされる。
追撃の好機。だが、レンツィオは動かない。
「なんだ……今の感触……」
幼子の柔らかい頬を殴った。そのはずだ。頬に触れた瞬間は、確かに柔らかかった。
しかし振り抜いた時の抵抗感。拳へのダメージ。まるで格上の相手を殴ったときのような感触だった。
(こんなちっぽけなガキが? 何の冗談だよ)
ユーリに目を向ける。既に、立ち上がっている。頬が切れ血が出ているが、それだけだ。
(何の冗談だよおい!!)
子供が顔に受けて平気な拳ではなかった。それなのに、全く闘志を失わない黒い瞳。むしろより上を求めるかのような期待を纏った光。
「かんっぜんにキレたわ。もういい、次で終わりだ」
レンツィオから今までのような軽薄な空気が消えた。
「2つだ。てめぇなんざ1つで釣りがくるが、優しい俺様は2つプレゼントしてやる。意味はベッドの上で考えとけ」
レンツィオはユーリに向かって右足から踏み込む。右足、左足、そして右足。
右足で踏み込む際に、足首に纏う火球を2つ、強く踏みつける。
タタァンッ!!
火の中の竹が爆ぜたかの様な音。圧縮した火球はさながら爆薬が如く破裂する。
「なっ!」
「死ねオラァ!!」
石火。アルゴの得意とする技である。
火球の破裂による急加速からの蹴り。スピードは当然段違いであるし、比例して威力も大きくなる。
かなりの速度だが、それでもユーリは反応した。とっさに偏重強化を発動できたのはセレスティアとの訓練の賜物である。
ガードした両手からメリ、バキィと嫌な音がなる。
体重の軽さが幸いし、ユーリはそれ以上のダメージを受けることなく蹴り飛ばされる。もし体重が重ければ、蹴りのダメージは内臓にまで達していただろう。
ドッと地面に叩きつけられるユーリ。しかし、
「う……そだろ……」
すぐに、立ち上がった。折れた両腕をだらんと下げ、痛みに歯を食いしばり、なのに、心が全く折れていない。
それどころか
「……ッ!」
むしろ、より闘志に燃えている。さらに上を求めている。その瞳に吸い寄せられて、目が離せない。
「ああああああああああぁぁぁぁ!!!」
咆哮。幼い喉から出たとは思えないほどの威圧。
信じられないほどの加速でレンツィオに駆け寄る。
「よ、避け……つぅ!」
動こうとしてようやく右足の違和感に気がつくレンツィオ。石火のダメージが抜けていないだけではない。信じられないほど強固なガードの上から思い切り蹴った反動で、足の骨がやられている。
動けない。
「や、やめ……っ!」
言いかけたときには、目の前にユーリの足が。
そんな膂力で思い切り蹴られれば、当然……
「死……」
死んだ。
レンツィオには見えた。己の頭がまるでシャボン玉が割れるが如く破裂する様が。
確かに、見た。
「だから殺しはダメッつっただろうが」
レンツィオの眼前に現れたのは、褐色の手。
ユーリの足が手に触れた瞬間、ピタリと止まった。衝撃も音も無い。最初からただそこにあったかのごとく。
褐色の手の持ち主、ベルンハルデはそのままユーリの足を掴むと宙づりにし、
「反則でユーリの負け〜」
首に手刀を一閃。ユーリが偏重強化を発動する暇もない。
意識を失ったユーリは、絞められる直前の鶏のように力を失いベルンハルデの手に吊るされる。
「勝利おめでとう、レンツィオくん。いや〜、流石はもうすぐ銅級なだけある。可愛い後輩に良い訓練をつけてあげられたなぁ、うんうん」
「俺の、勝利……?」
早鐘のように打つ心臓がまだ収まらない。
久しぶりだった。死を覚悟したのは。
勝利したなどとは微塵も思えない。たかだか鉛級になったばかりのガキに、俺は……
「勝っただろうが。どう見ても。止めなけりゃてめぇが死んでたんだからよ。それに最初から舐めずに戦えば普通に勝てただろうがボケ」
呆けるレンツィオの頭をベルンハルデがスコーンと叩く。
「てめぇにもいい訓練になったろ。見た目で判断するな。侮るな。そして格下からも学べ。情けない勝利の悔恨を噛み締めろ」
ベルンハルデの言葉は、一部は自分自身に向けての物でもあった。ユーリを侮っていたのは、ベルンハルデ自身も同じだったのだ。
ベルンハルデは気絶しているユーリの顔を小突く。
「こいつは伸びるぞ。ためらいがねぇ。必要なら、うじ虫にでも土下座して教えを乞うだろうな。喰らえるもん全部喰らって前に進む覚悟のあるやつだ。お前もクソみてぇなプライドなんて捨ててなりふり構わず前に進め。分かったか」
「……ウィッス」
「返事が小せぇ!!」
「ウィッス!!!!」
「うるせぇよボケ!!」
スパコーンと殴られるレンツィオ。理不尽である。
「それよりもサブマスター。ユーリ様の治療を行いたいのでこちらに引き渡しください。そのままでは頭に血がのぼってしまいます。オリヴィア様、ユーリ様を医務室へお願いします」
「お、おお、すまねぇな」
オリヴィアがベルンハルデからユーリを受け取る。
気絶している方が腕の痛みを感じなくてよいだろう。起こさないようにそっと抱く。
「それではサブマスター。いえ、ベルンハルデ様。第三級位ポーションを二本、ご提供をお願いいたします」
「あ? んなもんギルドの倉庫に在庫があるだろうが。それを使えそれを」
「できません。ギルドの懐事情が寒々しいのはベルンハルデ様もご存知のことと存じます。それに今回の訓練はギルドの関与しないもの。本来であれば冒険者同士のいざこざは止めるのがギルドの役割です。止めるどころか煽りに煽ったベルンハルデ様に非があると判断いたします」
「いや、しかしだな、第三級位ポーションだぞ? 流石にホイホイだせねぇよ……」
「それはギルドも同様です。ベルンハルデ様の興味本位でこのような事態になっているのです。お二人の怪我が悪化しないように可及的速やかに第三級位ポーションをお渡しください」
「いや、四級ポーションでもいいんじゃ……」
「可及的速やかに第三級位ポーションをお渡しください」
「光魔法が使える職員に頼んで……」
「可及的速やかに第三級位ポーションをお渡しください」
モニカは無表情にまくしたてる。
「あー、えーっと、もしかしてモニカ、怒ってんのか?」
ベルンハルデのその問いに、モニカはいつもの無表情から一転、満面の笑みになって答えた。
「私が怒っているとか怒っていないとか、今議論する必要がございますか?」
「……ございません」
こうしてユーリの実力はギルドにも認められる事となった。
「……暫く干し肉生活だな」
「……モニカの前で情けねぇとこ見せちまった」
一名の懐と一名の心に傷跡を残して。