第045話
ユーリが冒険者に錬金術にと進化を遂げている間、オリヴィアは焦燥感に駆られていた。
朝起きて魔力操作の訓練をし、朝食を作ってセレスティアを叩き起こし、魔力操作の訓練をし、昼食を作りセレスティアを着替えさせ、魔力操作の訓練をし、掃除と買い物と夕食の準備をし、魔力操作の訓練をし、セレスティアを風呂に入れてから寝る。
とにかく魔力操作の訓練(とセレスティアのお世話)漬けの日々を送っていた。
そしてようやくセレスティアに及第点をもらえる偏重強化を成し遂げた。しかし、それは立った状態で、魔力操作にだけ注力すれば出来るというレベルだ。実践投入など、夢のまた夢である。
何時ものように焦れながら魔力操作の訓練をしている時、オリヴィアはふとレベッカの言葉を思い出す。
『人間には形式魔法しか使えない』
では形式魔法とは何か。一番身近なものは詠唱魔法である。
「水の精霊、球となりて我が手に浮かべ」
右手の上に水の球が浮かぶ。
詠唱魔法は基本的に3つの詩で構成されている。精霊への呼びかけ、形状の指定、そして効果の決定。
最初から魔法が使えるものは少ない。何度も魔法をイメージし、定着させていく。そしていずれは今のオリヴィアのように、イメージなどしなくとも、詠唱のみで魔法を発動させることができる。
それはなぜか。
魔法を形式化し、詠唱だけで発動出来るようにしているからである。
オリヴィアは思いつく。
だったら、偏重強化を形式魔法に落とし込めばいいのではないか? 毎回毎回、面倒な魔力操作をして足に魔力を集中し強化を発動するなんて事をせずに、一連の流れを体に叩き込む。それを形式魔法として唱えれば良いのではないか。
起立と言われた時に、考えずとも立ち上がるように。
魔法を唱えれば自然と偏重強化が出来るようになれば良いのだ。
詠唱はもちろん、短いほうが良い。
『……足』
唱えて偏重強化を発動。当然、遅い。だがまだたったの一回目だ。
『足』
発動
『足』
発動
繰り返す。オリヴィアはとにかく繰り返す。たった数回でモノになるなんてハナから思っていない。
オリヴィアには自分が天才ではないという自覚がある。
友人のエレノアのような特別な才能はない。だから繰り返す。愚直に。何度も。幾度となく。
足りないから。自分に才能は足りないから。なので努力と回数で補う。今までだってそうしてきた。
『足』
凡人の自分にできることはこれだけである。ならば兎に角それをするしかない。それだけでいい。わかりやすくて、良い。
◇
「トロール? うん、いってらっしゃい」
「あれ?」
前回、セレスティアにトロールはまだ早いと言われてからヒト月がたった。
偏重強化はもはやお手の物だし、土級と鉛級の魔物を幾度となく相手にしてモンスターとの戦い方や心構えも出来た。
もしものときのポーションだってある。
準備は万端だと思うが、まだあれからヒト月。もしかしたらまたセレスティアに怒られるかもしれないと思いながら問いかけたものの、あっさりと許可されてしまった。
「えっと、いいの? この前はまだ早いって言われたんだけど……」
ユーリの言葉に、セレスティアはチラリとだけユーリに視線を向けて再度言う。
「いいよ。そのための準備、したよね?」
「う、うん」
「なら、大丈夫」
よく分からないが大丈夫らしい。
「あ、そうそう。オリヴィアも連れて行って」
「うん、分かった」
約3ヶ月振りのトロール戦である。
◇
ユーリとオリヴィアは冒険者ギルドでトロールの討伐依頼を受領し、足早に北の街道を進む。前回と同じようなところで、トロールによる被害が相次いでいるとのことだ。
あそこはトロールにとって居心地の良い場所なのだろう。進みながら、オリヴィアはユーリに問いかける。
「前回はあんな感じで終わっちゃったけど……行く途中に話したこと、覚えてる?」
「うん。本では得られない知識を一つでもいいから持って帰れって言ってた」
「どうだった? 何か得られるものはあった?」
オリヴィアの言葉に、ユーリは前回の討伐依頼のことを思い出す。
「1つはトロールに仕掛けるとき、奇襲をしなかった理由。あれは多分、不確定な要素を排除したかったんだと思う」
「……続けて」
「トロールは僕たちより何倍も大きくて力も強い。もしバレないように近づいて攻撃しようとしたとき、急に振り向いて腕が当たったりしたら大怪我しちゃうから。なら、万が一の可能性は排除しておいた方がいい」
「……正解」
「2つ目は、トロールに大して右回りの位置をとって戦ってた理由。オリヴィアはトロールが右手に丸太を持ったのを見て右回りに位置どった。トロールが右手の丸太で攻撃する場合、右側にいる相手に対しては振り下ろしも横薙ぎも出来るけど、左側にいる相手には基本的には右からの攻撃しか出来ない。攻撃パターンを減らすために、右回りで戦ってたんだと思う。あと、オリヴィアはトロールが右手に丸太を持ったのを見てからそれを始めたから、多分魔物にも右利きとか左利きがある」
「すごいね、正解」
「最後に、絶対に先制攻撃しなかったこと。これも1つ目と重なる部分があるけど、『もしも』を排除したかったんだ。相手の攻撃パターンを制限して、確実に避けて、安全なときだけ攻撃する。そうすることで被弾の確率がほとんどゼロになるから」
「……完璧だね」
オリヴィアは心の中で舌を巻いていた。自分が伝えようと思っていたことをユーリはことごとく理解していた。
常に考えながら自分のことを観察していたのだろう。吸収できるものは全てを吸収するつもりなのだ、この子供は。
オリヴィアがユーリに感心していると、微かに嫌な匂いが鼻についた。
「オリヴィア」
「うん、近いね」
ユーリとオリヴィアは歩く速度を緩める。この饐えたような臭いは十中八九トロールのものだ。
近づくにつれ強くなる悪臭にユーリが鼻を塞ぐ。
「そうそう、もう一つあったんだ、伝えたいこと」
「何?」
悪臭に顔をゆがめるユーリに、オリヴィアはニッコリと笑いながら言う。
「戦闘中に鼻を塞ぐわけにはいかないから、慣れて」
ユーリの顔が絶望色で染まった。