第044話
第二章、魔法への第一歩~ナイアードの髪と魔力の波長~
エレノアは優秀な学生であり、将来有望な錬金術師である。錬金術師ギルドの等級は銅級。銀級以上に昇格するには色々と利権関係が絡んでくるため銅級止まりだが、実力は銅級に収まるものではない。
彼女の祖母アデライデは薬草学と調合術に長けており、錬金術を使わずして効果の高い薬を精製することができた。残念ながら錬金術の才能は無かったため一部の業界で話題になる程度であったが。
そんなアデライデの孫娘がエレノアである。
彼女は祖母から教え聞いた薬草と調合の知識を持ちながら、錬金術にも秀でていた。
天才、秀才。周囲の彼女への期待は高く、彼女も期待に答えるかのごとくニョキニョキと才能を伸ばしていった。
齢14にして銅級に昇格。錬金術師ギルドは湧きに湧いた。金の精製を目指す第一の錬金術派閥と、ポーションの精製、供給を行う第二の錬金術派閥。彼女を自派閥に引き込もうと熾烈な勧誘合戦が始まった。
しかしエレノアが選んだ道は……変人の集う第三の錬金術。変人の集まる錬金術師ギルドの中で、さらに選りすぐられた生粋の変人が進む道、第三の錬金術である。多くのものが肩を落としたと同時に、エレノアの銀級以上への道が絶たれた瞬間だった。
しかしながら彼女の精製した物は練度が非常に高い。そのため金属類、ポーション類問わず指名依頼が尽きる日はない。
また、未だに諦めきれないのか、第一、第二の錬金術派閥からの素材提供も多い。
今となっては、相手派閥に行かせないための牽制の意味での素材提供になっているが。
そんなわけで、エレノアの懐事情は非常に豊かで、研究室にも素材が溢れかえっていた。
「エレノアの研究室って素材がいっぱいあるよね。買ってるの?」
「いえ、何故か錬金術師ギルドの方が毎週素材をたくさん送ってきてくれるのです。とてもありがたいので、かわりに私の研究資料を送ってます。お役に立てていれば嬉しいのですが」
錬金術師ギルドに不定期に送られてくるエレノアの研究資料。やたら高度な錬金術で作り出されるよく分からないが練度の高い物。錬金術師ギルドがどう扱ってよいかホトホト困り果てていることをエレノアは知らない。
そんな裏事情はともかく、彼女の研究室は素材で溢れかえっているわけである。
そんな溢れ返る素材を遠慮なく使ってユーリが創っているものはポーションであった。
別に研究のためではない。自分で使うポーションを一々購入していては資金がなくなると思い、ならば自分で作ってしまえとエレノアの研究室でコツコツと精製しているのである。
今作っているものは第五級位ポーション。そこそこ安くてそこそこ回復量のある、鉄級冒険者愛用のポーションである。
第二の錬金術師派閥が公表しているレシピを、より安価で平凡な素材で作れるように改造したエレノア特性レシピを使用してユーリは錬金を試みる。
より安価に精製できるが、そのかわり難易度は上がっている。
作業台に触媒で描かれる陣も蓄熱石のように単純な円ではない。触媒で描かれた複数の円と曲線が重なっており、まるで華のような形を形成している。
所々に薬草や魔物の内臓の粉末等が置かれており、中心には精製水の入った円錐状の瓶。この瓶も触媒を使用して作られた特別なものだ。
ユーリは触媒で描かれた模様の右端に右手の人差し指を、左端に左手の人差し指を触れる。触れたところから触媒が発光し始め、やがて模様全体が発光する。
暫くすると錬金が始まり、真ん中の瓶に入った水がコポコポと泡立ち、綺麗な緑に色づき始めた。
「そういえば、回復ポーション以外のポーションにもエレノアのオリジナルレシピってあるの?」
「……その状態で普通に会話できるの、多分世界でユーリ君だけですよ」
第五級位ポーションというなかなかに複雑な錬金の真っ最中に、いつもと同じように話しかけてくるユーリ。エレノアはもはや驚きを通り越して呆れの表情である。
「ありますよ。というか、錬金するにあたって『必ずこの素材じゃないと駄目』っていうのは意外と少ないです。もちろん特性や相性はあるので、同じ属性なら何でも言いという訳では決してありませんが」
「そうなんだ。僕には他のレシピなんて思いつかないや。エレノアはすごいね」
「ユーリ君ももっとたくさんの素材の知識を身につければ、代替素材を使ったレシピなんてすぐ思いつきますよ。ていうかその状態のユーリ君に褒められても素直に喜べないのですが……」
簡単な問答ならまだしも、第五級位ポーションを作りながらの会話はエレノアには不可能だ。かろうじて『はい』か『いいえ』を答えることが出来るくらいだろう。それ以上の会話をすれば確実に錬金に失敗する。
「ところで、ポーションなんて作ってどうするんですか? 売るわけにもいかないでしょうし」
ポーション類は等級ごとに分けられるが、明確な線引があるわけではない。そのため、同じ第五級位ポーションでも効果にばらつきがある。
素人には見た目の区別がつきにくいため、露天売りされている物を買う人は少なく、みな錬金術師ギルドが販売している効果の折り紙付きのものを買い求める。
ましてやユーリのような子供が第五級位ポーションを売り出したところで誰にも見向きされないだろう。偽ポーション販売の詐欺で憲兵に突き出されて終わりだ。
「今度トロールにでも挑もうと思って。念のために多めにポーション持っていきたいんだ」
「へー、トロールに。それはちゃんと準備しないとですねー」
さて、次はどんなものを作りましょうか〜、などと言いながらエレノアは白紙を広げて、筆ペンを手に取って、ピタリと手を止めて……
「と、とととととと、トロールううぅぅぅぅ!?」
「わっ、ビックリした」
エレノアの突然の大声にユーリが驚く。集中が一瞬切れて触媒が瞬いたが、何とか持ち直して錬金を続けるユーリ。大したタマである。
「ユーリ君だめですよ! と、トロールなんて! そんな、危ないです!」
「危ないからポーションを持っていくんだよ」
「それはそうですけど、そうじゃなくて!」
錬金術と魔法理論については天才的な才能を見せるエレノアだが、運動能力は皆無である。恐らく現時点でナターシャに負けるであろう。一角兎にすら負ける自信がエレノアにはあった。
そんなエレノアにとってトロールとはドラゴンにも等しい存在なのだ。
「この前トロールにひどい目に合わされたって聞きましたよ!? まだあれから2ヶ月ちょっとしか経ってないのに!」
「あはは、もう2ヶ月も経ったよ? それにオリヴィアも一緒だし、大丈夫大丈夫」
「それでも心配です! 前回もオリヴィアが居たけど駄目だったじゃないですか! し、しかたありません、こうなったら私も一緒に……」
「エレノアって強いの?」
「ぐうっ!」
エレノアは弱い。弱すぎる。研究室の中でこそ天才を名乗れるが、一歩外に出ればそこらへんの子供にも負ける雑魚である。魔法を使うことは出来るが、詠唱中に殴られて終了だ。
そもそもエレノアの体力では歩いて魔物のところまでたどり着けるかが怪しい。
「わ、分かりました。では、私にできる最大限の貢献をしましょう……」
「えっと、無理しなくても大丈夫だよ?」
「いえ! 私は私のできることで協力させてもらいます! 第三級位ポーションを作ります!」
ふんす! と意気込み、エレノアはゴソゴソと素材を選別し始める。
第三級位ポーションは切られた腕すらくっつけるほどの回復量をもつポーションである。流石に腕が無くなってしまったら治すことは出来ず、長い時間が経過した場合もくっつけることは出来なくなるが、それでも戦闘不能状態から一瞬で回復することができる強力なポーションである。
銀級冒険者でも懐に余裕のある者しか持っていない代物だ。
「でも、流石に材料が足りないんじゃない?」
「足りないものは他の素材で代用します。代用素材が無いものは代用の代用素材で代用します!」
何やら大事になってきたが、流石は研究オタクのエレノア。走り出したらもう止まらない。触媒で複雑な模様を描き、様々な素材を置いていく。
「……いきます。しばらく話しかけないでくださいね」
「うん」
エレノアは大きく深呼吸したあとに、薬指で触媒に触れる。
少しずつ反応が始まる。ゆっくりと、慎重に魔力を通す。複雑に描かれた触媒全体が発光し、錬金が始まる。
身じろぎ一つせず、エレノアは錬金に集中する。
頬が上気し、汗が流れポタリと顎から落ちた。
錬金が始まってから、三十分ほど経っただろうか。
「……ふぅ〜〜〜〜。で、出来ましたぁ〜〜〜〜」
服を汗でぬらしたエレノアが大きなため息を吐く。
「わ、本当に出来たの!?」
「え、えへへ、伊達に天才とは、呼ばれてませんよ〜〜」
くたぁ〜とソファーに横になるエレノア。
低級位の素材を使用しての第三級位ポーションの精製。そのレシピは錬金術師ギルドが喉から手が出る程に欲しいものであるが、そんなことを微塵も知らないエレノアは、今回もやたら高度で良く分からないものを生成するレシピを錬金術師ギルドへと送りつけるのであった。