第042話
「あなた、最近コソコソと何をやっているの?前まではよくオレグ教官に質問しに来ていたけれど、最近は全然こないし、土と陽の日も朝早くから何処かに出掛けてるみたいじゃない」
戦闘技術の授業中、ナターシャがユーリに問いかける。二人は組み手の真っ最中だ。当然、普通に組手をやればユーリの圧勝であるため、片目を瞑ったり片腕だけで対応したりと、ユーリは自らにハンデを付けて組手をしている。
「今、冒険者やってるんだ」
「冒険者?」
ナターシャが呆れたように言う。
「あんなに魔法魔法って意気込んでいたのに、もう諦めたの?」
「諦めてないよ。魔法のために冒険者になったの」
「どういうこと?」
「研究に使う素材が欲しくて。でも銅級くらいの強さがないと取りに行けないんだ。だからまずは強くなることにしたの」
「面倒なことしてるわね。買えばいいじゃないそのくらい」
「そんなお金あるわけないじゃん。やっと3万リラ溜まったくらいなのに。冒険者ギルドに依頼を出すと10万以上かかるんだよ?」
「そのくら……そうなのね」
そのくらいも買えないの?
ナターシャはその言葉を飲み込んだ。住む世界が違うのだ。ユーリと自分では。
家にあるナターシャの私物を売ればいくらになるだろうか。ナターシャの誕生日に届いたプレゼントの宝石も売り払えば、1000万リラすら超えるだろう。
この前ユーリの部屋に持って行き、そのまま置いてきた茶器だって、ポットとカップ、ソーサーを合わせれば10万リラはする高級品だ。
水を汲んで置けば、夜中に喉が乾いたときに便利だと屈託なく笑っていたユーリの様子から察するに、金銭的な価値など微塵も理解していないのだろう。
まぁ、あれだけ喜んで貰えればティーセットとしても本望だろう。たとえ用途を間違っていたとしても。
「ねぇ、アグラオフォティスって聞いた事ある?」
冒険者活動をしているのなら聞いたことがあるのかもしれないと思い、ナターシャがユーリに尋ねる。
「あぐら……ふぉ?」
「アグラオフォティス。その様子だと無さそうね。気にしなくていいわ」
「ふーん?」
しかし、ユーリはそんな単語を聞いたことは無かった。
ナターシャにも何かしらあるようだが、気にしなくていいと言われたので、ユーリはアグラオフォティスの事を頭の片隅に留めるに納める。
何かあれば、その時は相談してくれるだろう。
何と言っても友達なのだから。
友達なのだから!
ユーリは友達と言う単語を頭に思い浮かべて笑みを浮かべる。
「何をニヤニヤしてるのよ、気持ち悪い」
「何でもないよ。ただ、友達なんだなーって」
「何よそれ、変なの」
「うひひっ」
「……その笑い方やめて、気色悪いわ」
私語をしながらユーリとナターシャの組手は続く。鳴らし程度の運動から、段々と本格的なものへ。
病弱ながらも多少は体力が付いたのか、ナターシャは最初に比べると大分動けるようになってきた。このまま頑張れば、病弱な体質も治るかな、などと、このときのユーリは楽観的に考えていた。
◇
「ユーリ様、おめでとうございます。押印が百を超えたので、本日で鉛級に等級が上がりました」
モニカはユーリに土級のカードを返却すると、新たに金属製のカードを取り出しカウンターの上に置く。鉛級のカードである。名前の欄には既にユーリと彫刻されている。
もちろん純粋な鉛ではなく、硬度を上げた鉛合金だ。
「ユーリ様は本日から正式に冒険者として認められます。土級のカードはベルベット領都内でしか使用できませんでしたが、鉛級のカードはベルベット領内の何処ででも使用できます。あと、土級のカードと異なり、押印は1万リラ単位となります。クエストの達成額が1万リラ未満の場合には切り捨てとなるのでご注意ください」
「例えば一角兎の角を貯めておいて、二十本を一度に持ってきてもハンコを一つ押してもらえるの?」
「はい、それは問題ありません」
「じゃあ、採集系のクエストはできるだけ纏めて精算したほうがいいんだ」
「制度の穴のようなものですが……そういうことになりますね。ただ、ほとんどの方は生活もありますので、こまめに精算に来る方が多いです」
反対にこまめに精算にこなくても良い人はそれなりに生活地盤が整っている冒険者ということでもある。それならば等級を上げても問題ないだろう。
「……なお、パーティで依頼を達成した場合にはその旨の申告をお願いいたします。精算を一人の方で行い、集中的に等級を上げる事はできません」
モニカがチラリとユーリを見る。
モニカとて、素直で可愛らしいこの少年が不正をしているなんて思っていない。思ってはいないが、この小さい冒険者が安定して黒狼を狩れるとは思えない。
「はーい。僕は一人でやってるから大丈夫だね」
モニカの視線になど気がついていないのか、ユーリはのんきにそんなことを言う。
「まだ先のことにはなりますが、鉄級に上がる際には簡単なテストがありますのでご承知おきください」
「はーい」
暗に実力を疑うようなモニカの言葉にもユーリは動じない。
ユーリが新しいカードに手を伸ばすと、カードはヒョイと上から伸びてきた手に横取りされた。
「はっ! こんなチビが鉛級ぅ? 冗談でも笑えねぇなあ!」
ユーリが見上げると、そこには軽薄そうな若い男。
赤い髪は整髪剤でツンツンと尖っており、いじわるそうなツリ目には嘲笑の色が伺える。口は大きく、犬歯が覗く。
「レンツィオ様、カードをお返しください」
「つってもよぉモニカちゃん、こんなチビに黒狼が狩れる訳ねぇだろ! 腰からこれ見よがしに黒狼の尻尾ぶら下げちゃってよぉ、しかも7本も! 不正は取り締まっておかねぇと、ギルドの信用が無くなるぜぇ!?」
「ギルドが正式に判断した結果です。カードをお返しください、レンツィオ様」
「やなこった! このちっこいのの力を確かめるまでは返さねぇよ!」
頭上で行われるそんなやり取りを、ユーリはなんの気無しに眺めていた。
ユーリは考える。このレンツィオという人は何故こんな意地悪をするのだろう。受付嬢を困らせて何がしたいのだろうと。
そして思い出す。マヨラナ村にいたときに、母フリージアが言っていたことを。
『みんながユーリちゃんのことを虐めても気にしなくていいのよ。みんな、ユーリちゃんのことが可愛いから、好きだから意地悪しちゃうの』
『好きなのに、意地悪をするの?』
『そうなの。好きだからこそ、気を引きたくて意地悪をしちゃうのよ』
『ふーん。変なの』
『そうそう。昔はパパもね、私の気を惹こうとして、わざと他の若い女の子にね……』
『ママ! その話はしないって約束だったじゃないか!!』
そんな両親の会話を思い出す。つまりはこのレンツィオという男もそうなのだろう。
ユーリの視線に気がついたのか、レンツィオが睨んでくる。
「あ?なんだクソガキ。文句あんのか?」
「……お兄ちゃん、モニカのこと好きなの?」
「……ひゃ?」
突然の言葉にレンツィオが固まる。そして赤い髪と同じくらいに顔も真っ赤に染まっていった。
「は、はぁ〜〜〜〜!? そんなわけねぇし! はぁ〜〜〜〜!? このクソガキ何言って、何言ってんだろうなぁ! わけわかんねぇなぁ!? なぁクソガキが! だれが好き好んで、こんな地味でパッとしねぇジメジメしたナメクジ女なんかよぉ!!」
「地味でパッとしないジメジメしたナメクジ女で申し訳ございません。それよりもカードをお返しください」
「あっ、いや、ちがっ」
何やらワタワタと慌てだしたレンツィオからカードを奪い取り、ユーリはギルドの入口へと走る。
入り口で振り返り、モニカに笑顔を向けて一言。
「僕はモニカの丁寧なところと、優しい目が大好きだよ! じゃあまたねー!」
「なあっ! このクソガキ!! まちやがれ!!」
レンツィオが慌ててユーリを追おうとするも……
「レンツィオ様、地味でパッとしないジメジメしたナメクジ受付嬢にご要件があったのではないのですか?」
「ち、違うんだよモニカちゃん! そういうつもりじゃ……」
「地味でパッとしないジメジメしたナメクジ女ですが、ギルドの仕事は問題なく遂行できます。安心してご要件をお話ください」
「も、モニカちゃ〜ん……」
石火のアルゴの歳の離れた弟、レンツィオ。素行は良くないが、実力はある若手の冒険者である。
歳若くも、銅級にあがるのももうすぐだ。
そんな彼の二つ名だが、石火のアルゴにちなんで、真っ赤のレンツィオと呼ばれるようになる。
何でも、素行が悪い割には初心で、好きな人の前で顔を真っ赤にしていたからとか何とか……