第041話
一角兎を狩り始めて二時間。ユーリは十二匹程の兎を仕留めていた。どの兎も最初の一匹と同様に、一直線に突進してくるだけであった。
ユーリの左腕には12本の角が括り付けられている。
「重たくなってきたし、とりあえずギルドに戻ろうかな。それにしても、これで六千リラかー」
今まで必死に採集クエストをしていたのが馬鹿らしくなる程には効率がいい。ユーリは今度から時間があるときには、一角兎狩りをしようと決めた。
少し休憩し、コンパスを確認してから街へと戻る。
「……ん?」
鼻に届く鉄の臭い。本能が警鐘を鳴らす。
スンスンと鼻を鳴らしながら、より血の匂いが濃い方へ向かう。
そろりそろりと進んで行くと、臭いの中心地には内蔵をぶち撒けた牡鹿と、それに群がる黒い獣。
黒狼。
大きさは森狼とさして変わらない。しかし森狼が土級に分類されるのに対して黒狼は鉛級。違いは黒狼の残忍性にある。
森狼は捕食のためにしか動物を襲わないが、黒狼は例え満腹でも獲物を狩る。食べるために狩るのではなく、殺すために狩るのである。
また、群れでの連携が巧みで、五頭以上の群れの場合には、危険度は鉄級に上がる。
そして今、ユーリの目の前で鹿を貪っている黒狼も、五頭。
(流石に、挑戦するにはまだはやい)
出発前にあれだけ油断慢心しないようにしようと心に誓ったのだ。ここで無理するわけがない。
ユーリは極力物音を立てないように、ゆっくりと後ずさる。しかし、ユーリの隠密技術など下の下である。そもそも隠密行動など誰にも習っていないのだ。
2歩ほど下がったところで落枝を踏みつけてしまう。
乾いたパンという音。
(しまった!)
思わず足元に目を向けて折れた枝を見て、すぐに視線を黒狼に戻す。
「ヒッ!」
十の赤い瞳がユーリに向けられていた。
黒狼達は口から血をしたたらせ、どこかユーリを嘲笑っているようにも見える。今まで貪っていた鹿肉にはなんの未練も無くなったようで、新しいおもちゃに目を向けている。
黒狼は慌てる様子もなく、ゆっくりと、しかし淀みない動きでユーリに向かって歩いて来た。
五頭で少しずつ間隔を広げ、ユーリを捉える包囲網を作る。
(無理だ、逃げられない)
足場が悪く木々の乱立した雑木林で、4足歩行の捕食者から逃げ切れる算段が立たない。
「やるしか、ない!」
ユーリは覚悟を決めた。
◇
仰向けに寝転がり、血溜まりの中で天を仰ぐ。
ユーリは赤く染まった震える手を眺めていた。この血はユーリのものではない。周りに転がる黒狼の首から流れるものだ。
決着はあっけなくついた。
獲物が逃げないとみるや、次々と飛びかかってきた黒狼の動きを見切り、首に一閃ずつ、計五閃で終了だった。
もちろん簡単にできることではない。
ユーリの鍛えられた動体視力と精密な運動神経、そして偏重強化がうまく融合した結果である。
牙を、爪を、すり抜けるように避けて、確実に喉を切り裂いた。
傍目に見れば、幼子が一瞬で狼に喰い殺されたように見えただろう。
「……イケる。多分、僕は強い」
ユーリは血まみれの手を握りしめ、勢いをつけて起き上がった。
黒狼の討伐証明は尻尾。肉は獣臭く食用には向かない。毛皮も売れはするだろうが、処理の手間を考えると新しい獲物を探したほうが効率はいいだろう。
ユーリは黒狼の尻尾を切り落とし数回振って血を飛ばし、腰にぶら下げる。
「なんか、どこかの部族みたい。ちょっとかっこいいかも」
左腕に長い角、腰にはふかふかの尻尾。少年心をくすぐるラインナップである。
ユーリは意気揚々とギルドへと向かった。
◇
時刻は昼過ぎ。冒険者ギルドが比較的落ち着いている時間だ。ユーリはいつもの受付嬢モニカのいるカウンターへ行く。
最近はモニカのカウンター前に踏み台が常備されるようになった。踏み台を使わなくて良いくらいの身長になることがユーリのちょっとした目標である。
「ユーリ様、いらっしゃいませ。いつもの納品ですか?」
仕事の早いモニカが計測用の秤を取りに行こうと腰をあげる。
「あ、モニカ、今日は採集依頼じゃないんだ。討伐の方」
「討伐、ですか?」
モニカが首を傾げる。
「うん、これ」
ユーリが一角兎の角をカウンターに置くと、モニカは少し驚いたように目を開く。
「まぁ、一角兎を討伐してきたのですか? こんなにたくさん……小さいのにすごいですね!」
「ありがと……え? 小さいってどういう意味?」
果たして年齢か、それとも身長か。
「確かに一角兎の角十二本、受領いたしました。それではギルドカードを……」
「あ、ちょっとまって。こっちもお願い」
ユーリは精算しようとするモニカに待ったをかけ、腰にくくりつけている黒狼の尻尾を外し、カウンターへと置く。
「これは……まさかっ!」
「黒狼の尻尾。たぶん」
「これを……どうしたのですか?」
「襲われたから倒した」
「倒したって……そんな……こんなに小さいのに……」
「え? 年齢? 小さいって年齢だよね?」
ユーリの問いを無視して、モニカは真剣な表情で黒狼の尻尾を確認する。
「……黒狼の尻尾で間違いありません。ユーリ様、どうやって黒狼を倒したのですか?」
「どうって……五匹襲いかかってきたから、ナイフで倒したけど……」
「一頭ずつではなくて、五頭同時にですか!?」
モニカがカウンターに身を乗り出して聞いてくる。
いきなり目の前に迫ってきたのでユーリは驚いて踏み台から落ちそうになった。
「そ、そうだけど……」
「……信じられません、5歳ほどの少女が黒狼の群れを倒すなんて、前代未聞です!」
「ちがうよ! 7歳の少年!!」
どうやらモニカの頭には初対面のときにセレスティアが言った『5歳くらいの女の子』というセリフがこびりついているようだ。
「あ、失礼しました」
「それで、もう確認は大丈夫?」
「えっと、はい、確かに。黒狼五頭の討伐、受領しました。少々おまちください」
戸惑いながらもモニカは精算を行い、ユーリに一万と千リラを手渡す。
「一角兎の角十二本の納品で六千リラ、黒狼の常時討伐依頼五頭で五千リラ。合わせて一万と千リラです。ギルドカードをお預かりいたします」
モニカはギルドカードの裏にスタンプを十一個押す。今日一日で大分進んだ。
「おい、あのガキが黒狼を討伐したってよ」
「んなわけねぇだろ。親か親戚の手伝いで納品しにきただけだろ、馬鹿馬鹿しい」
ユーリとモニカのやりとりを聞いていた冒険者達は、誰も本当にユーリが黒狼を討伐したとは信じていない。
モニカでさえ、協力者がいると考えていた。
当然だ。一頭ならまだ何とかできるかもしれないが、黒狼五頭は鉄級の危険度に値する。
勝てるわけがないのだ、普通の7歳児であれば。
ただ、ユーリは普通ではなかった。
ユーリの快進撃が、始まる。