第040話
セレスティアとの訓練が始まってから一月ほどが経過した。あの日から、ユーリは土と陽の日は欠かさずセレスティアの元へと赴いていた。たまに依頼で居ないときもあったが、そのときはオリヴィアと訓練をしていて、一日たりとも休んだことは無い。
もちろん授業中の魔力操作も忘れていない。右腕、頭、左足、右足、次々に偏重強化を行っていく。速度に関しても問題はなく、そろそろ実践での使用が可能なレベルだろう。
一方で冒険者等級の進捗は遅々としたものだ。
参加させてもらえない魔法実技の授業の時にちまちまと常時依頼をこなし、稼いだ金額は一万リラ程。鉛級へのランクアップはまだまだ先だ。
そろそろ常時依頼だけでなく、討伐系の随時依頼に手を出してもいい頃かもしれない。ある土の日の朝、ユーリはセレスティアに訊ねていた。
重厚なドアに付けられた青銅製のドアノッカーを叩くと、数分後に寝ぼけ眼のセレスティアが現れる。
挨拶もそこそこに、ユーリは本題を切り出した。
「ねぇセレスティア。僕強くなれてる?」
「うん。ロプサイドも実践レベル。一ヶ月前とは別人」
「じゃあさ、討伐依頼とか、行ってみようかなって……」
「まだ早い」
ユーリが言葉を言い終わる前に、セレスティアが言葉を遮った。
「確かにユーリは強くなった。でも慢心は駄目」
「そっか、うん。分かった」
「分かってない。分かってないから、そんな事を簡単に言える」
セレスティアは無表情ながら、心配と怒りの光を目に浮かばせる。
「慢心で命を落とした仲間を何人も知ってる。大丈夫、イケる、いつもどおり、自分は強くなった。そんな言葉と共にたくさんの冒険者が死んでいく。一瞬の油断も許されない。それが討伐依頼」
「……うん」
ユーリは深く反省する。驕りがあったのだ。自分は強い、特別だという気持ちが。
「強くなったからリベンジしたい気持ちも分かる。でも、トロールは鉄級だけど身体能力だけなら銅級にも及ぶ。一瞬で命を落としかねない」
「うん……うん?」
「魔物の等級は主に身体能力と知能の平均値で決められる。トロールは知能が低いから鉄級に位置づけられているけど、反対に言うと知能が低くても鉄級に位置するほど身体能力が高いということ」
「あの、セレスティア? セレスティアー」
「あんな遅い攻撃当たるはずがないとタカを括って挑む人ほど返り討ちに遭う。それに複数体同時に相手しなくてはいけなくなった場合……」
「セレスティアー」
「……何?」
まだ話の途中なんだけど、と不服の色をにじませてセレスティアはユーリを見る。
「僕、トロールに挑むなんて言ってないよ」
「……じゃあ何の討伐に行くの?」
「僕はまだ土級だから、同じ土級の一角兎かコボルトかな」
ユーリがそう言うと、セレスティアはいつもの眠たげな瞳に戻り大きくあくびをしながら言った。
「そう。いってらっしゃい」
「あの、何かアドバイスとか……」
「今のユーリなら楽勝。ロプサイド使わなくても勝てる。今から行っても日帰りできると思う。いってらっしゃい。おやすみなさい」
先程までの真剣な空気は霧散し、セレスティアは2回目の大あくびをしながら屋敷の奥へと戻って行った。
「油断……慢心……するなって……言ってたのに……」
そんな緊張感の抜けたセレスティアの様子を見て、ユーリは決して油断や慢心をしないように固く心に誓った。
◇
ユーリが初めての討伐依頼の相手に選んだのは一角兎であった。一角兎の角は粉末にして錬金術の触媒に使用されるため、需要が多く常時依頼として掲示されている。
報酬は角一本につき五百リラと土級にしては安くはないが、すばしっこくあまり大きくないため、追い回して集めるとすると骨が折れる。そのため不人気のクエストであった。
もっとも、土級のクエストで人気のあるものなど存在しないが。
一角兎は兎ではあるが、土に巣を作って住むことはない。何故なら土に穴を掘って潜ると、長い角が邪魔して方向転換出来ないからだ。そのため通常は低木の影などに潜んでいる。
ユーリは冒険者ギルドで受付嬢モニカに教えてもらった、一角兎の目撃情報の多い東門から少し歩いたところにある雑木林を歩き、キョロキョロと辺りを見回す。
「……いた」
それほど時間がかからずに最初の一匹が見つかった。想像していたよりも大きい。
中型犬ほどの大きさに、体長と同程度の長さの立派な角。
都合の良いことに一匹だけだ。向こうもユーリの存在に気がついたらしく、角を向けて姿勢を低くし臨戦態勢をとった。
赤い瞳に睨まれてユーリの心臓がドクリと脈打つ。トロールと同じ、殺意の光を宿した瞳だ。
ユーリは自分からは仕掛けずに、一角兎の動きを待つ。
一角兎の得意技は何と言ってもそのご自慢の一角を使った突進攻撃である。防具を貫通するほどの鋭利さは無いため、一角兎による死亡例は多くはないが、それでも普通の服くらいは簡単に貫通してくる。
そして特徴はそのスピード。小柄な身体と強靭な後ろ足から繰り出される突進はなかなかに早い。
一角兎が後ろ足に力を込めた。
(……来る!)
ユーリも万一に備えて両足に偏重強化を発動。自分めがけて突進してくる一角兎を見て……
「……え?」
遅い。想像よりずっと遅い。ナターシャの拳より遅い。
全然見えるし、余裕で対応できる。
ユーリは自分の顔めがけてジャンプしてきた一角兎を避け、そのまま角を掴み、角の根本めがけてシースナイフを一閃。
くぐもったキンと言う音、兎の鳴き声。
角の持ち主は背中から地面に落ちると、ユーリの方を見もせずに一目散に逃げて行った。
「偏重強化どころか、身体強化すらいらないかも……」
ユーリは手に入れた角を腕に固定する。長物なのでこうした方が持ち運びが楽だ。
「油断はしない、慢心もしない。だけど……」
土級なら余裕で勝てる。そう認識しても問題ないはずだ。先程の個体が非常に弱かっただけという可能性も無くはないが。
ユーリは次の獲物を求めて歩き出した。