第039話
「遅い。一秒もかかるロプサイドなんて無意味。そんなのただの自殺。やるだけ無駄。思考の速度で出来るようになって」
「ぐっ……」
スパァーン!!
いい音がなる。セレスティアが手にしているのは大きなハリセンだ。どれだけ強く打たれようが、打たれたところが赤く腫れる程度である。
「右肩」
スパァーン!!
「遅い。左腿」
スパァーン!!
「遅い。右腕」
ペシーン!
「中途半端に妥協しない。全力じゃなきゃ無意味」
ズバァーーン!!!!
およそハリセンから出た音とは思えない重い音とともに、ユーリが吹き飛ばされた。
セレスティアの訓練の目的は2つ。
1つは、偏重強化の発動速度をあげること。最終目標は思考より速くなること。
もう1つは身体強化と偏重強化の最大出力の強化。
訓練方法はシンプルである。セレスティアが口にした身体の部位に、なるべく早くかつ全力でユーリが偏重強化を発動する。それだけだ。
ハリセンは訓練に緊迫感を持たせるためのものである。
そしてオリヴィアへの指示はというと。
「出来るようになって。ロプサイド」
以上であった。
「そんな簡単に出来たら……苦労しないっての……ッ!!」
訓練が始まって三時間。オリヴィアはたったの一歩も動かずに足掻いていた。
目の前で何度もふっとばされるユーリを瞳に映しながらも、思考は自らの内側に向けている。体内の魔力を、動かす。
少しなら可能だ。詠唱魔法を使う時にもやっている。
しかしそれを全身を巡る魔力全てを対象とし、身体の一部に寄せるだなんて芸当、出来るはずもない。
頭は知恵熱で熱くなり、一歩も動いていないにも関わらず汗だくだ。
ポタリとポタリと顎から雫が落ちる。
そんなこと出来ないと、今すぐに匙を投げて帰りたくなる。出来るはずがないのだ。今まで偏重強化なんて聞いたことがないし、使っている人を見たこともない。人間には出来ない、エルフ特有の技なのだ。そう言って今すぐ帰りたい。
しかし、目の前の少年がそれを否定している。
出来るのだ。エルフでなくとも。
「あぁーーーー! もうっ!!」
オリヴィアは一度頭をグシャグシャと掻きむしり、再び己の魔力と向き合う。自分より十も年下の子供が出来ているのだ。諦めるわけにはいかない。
なかなか成果の見えない訓練は、まだまだ続く。
◇
西の空が茜に染まり、夕の虫の音が響く。日中の暑さは既に去り、額を撫でる風も涼しく心地が良い。
夕方って気持ちがいいよなー、などと考えながらユーリは天を仰ぐ。
セレスティアとの訓練は昼の休憩を一度挟んだ以外は、一度の休憩もなく続けられた。
何度も叩かれ吹き飛ばされたユーリは汗と土汚れでドロドロである。
ユーリの門限があるからとようやく訓練が終了したのがつい先程。ユーリは文字通り仰向けに倒れ今に至る。
オリヴィアの方はもっと酷い。
うつ伏せに倒れヒューヒューと荒く息をしており、目は虚ろである。ただの一歩も動かない訓練とは思えないほどの疲弊っぷりである。
「お疲れ」
ユーリの頬に冷たいものが触れる。水の入ったグラスだ。
目を向けると、朝の格好のままのセレスティア。一日訓練をしていたというのに微塵も疲労の様子を見せないし、白いパジャマに汚れ一つない。
「依頼がない日は大抵ここにいる。訓練したいとき、何時でも来ていい」
「うん、ありがと」
セレスティアはコクリとうなずくと、今度はオリヴィアのもとに向かう。
「オリヴィアも、お水飲んで」
「……ケホッ……あ、ありがとう、ございます」
オリヴィアは受け取った水を一気に飲み干した。
「はぁ……はぁ……生き返ったぁ〜。セレスティアさん、私もまた来てもいいですか?」
残念ながらオリヴィアは今日の訓練では成果らしい成果を得ることはできなかった。だが、これで諦めるつもりはない。いつか絶対ものにしてやると熱意を燃やしていた。
「何、言ってるの?」
「……え? 駄目ですか?」
セレスティアはフルフルと首をふる。
「駄目じゃない。というか、オリヴィアの訓練、まだ終わりじゃない」
「……え?」
「晩ごはん食べてから、続き」
どうやらオリヴィアの訓練はまだつづくらしい。
「え、いや、私、明日は討伐依頼に行く予定で……」
「キャンセルすればいい」
「いや、宿代とか稼がないとだし……」
「オリヴィア、ここに住むから、宿代いらない」
「……え?」
「毎日訓練できる」
「……へ?」
「私のお世話、する」
「……はい?」
「私、ごはん食べれる」
言葉少ななセレスティアの話を要約すると、つまりはこういうことらしい。
・オリヴィアは今日から住み込みでセレスティアから訓練を受ける。
・住み込みなので宿代は不要。
・食料代などはセレスティアが負担する。
・オリヴィアは家事炊事などのセレスティアのお世話をする。
「いや、でも流石にそういうわけには……」
「オリヴィアは訓練に集中できる。私は生活のお世話してもらえる。いいこと尽くし」
「でも、そんな急に……」
「決めたの」
「勝手に決められても……」
「決めたの」
どうやら決定事項らしい。セレスティアの瞳はオリヴィアを捉えて離さない。絶対に譲らないという瞳を見て、オリヴィアはため息をつく。
急なことに困惑してはいるが、別にオリヴィアにとっても悪い話ではないのだ。それに、人のお世話は|万年引きこもりオタク少女で手慣れたものだ。
「……よろしくおねがいします」
「うん、よろしく。それじゃ、ユーリもまたね」
「じゃーね、オリヴィア、セレスティア!」
ユーリもようやく起き上がって、学園へとのろのろと歩き出す。
オリヴィアユーリを見送って、大きな屋敷に足を踏み入れて……
「ちょっと、なにこれ!? 最後に掃除したのいつよ!?」
「分からない」
「食器もいつから洗ってないの!?」
「分からない」
「あーもう! 洗濯物もためすぎー!」
オリヴィアがセレスティアに対して抱いていた『オールラウンダーで何でも一人でこなす、孤高の美人冒険者』という幻想が、木っ端微塵に打ち砕かれた瞬間であった。