第037話
「はやく土の日にならないかなー」
ユーリはつぶやくが、今日は火の日。土の日はまだまだ遠い。ユーリは魔法理論の授業も上の空で、魔法のことを考えていた。
レベッカが言っていた『詠唱魔法』のことについて。
魔法は詠唱しなければ発現しない。これは前に経典でも読んだことがある。
曰く、魔力とは神からのお恵みである。
曰く、魔術とは神へ捧げる儀式である。
曰く、魔法とは神授である。
つまるところ、神に捧げる儀式が詠唱にあたるのだろう。
そして神授である魔法が発動する、と。
しかし、レベッカはこう言っていた。
『身体強化は詠唱魔法ではない』
確かに身体強化を行うときに詠唱はしていない。詠唱魔法は使えないが、身体強化だけは例外で使えるということだろうか。
「――というわけで、魔力とはエネルギーと物質の両方の性質を持つと言われており……ユーリ君、授業、聞いてる?」
ユーリの頭に2年前の鑑定式の記憶が蘇る。
姉、フィオナが使った魔法だ。
水と火の球が空高く渦巻いて飛んでいった光景。あの時、姉は詠唱などしていなかった。
「ユーリ君、ユーリ君? 目が虚空を眺めているが……」
あの時姉は『詠唱魔法ではない魔法』を使っていたということだろうか。ではなぜ使えたのか。まだまともに魔法理論を習っていない姉がなぜ。
「ユーリ君」
「あっはい!」
ノエルに肩を叩かれてユーリはようやく我に返った。
「大丈夫か? 何かわからないことでもあったか?」
分からないこと。ユーリには分からないことがたくさんある。なので、ユーリはノエルに質問することにした。
「魔法と詠唱魔法って、違うものなの?」
「……ユーリ君、それは今の授業とは関係が」
「普通の魔法が使えれば、詠唱はなくても魔法が使えるようになるの?」
「だからそれは……」
今は関係ない。そう言おうとしたノエルは、クラス中から自分に向けられる好奇の視線に気がつく。
詠唱無しで魔法を使うこと。大抵の人が幼少の頃に抱く夢である。
このまま授業を続けても、好奇心旺盛な子どもたちはそのことが気になって集中できないだろう。興味なさげに頬杖をついているナターシャでさえ、耳をノエルに向けているように見える。
一つため息を付き、ノエルは教壇へと戻る。
「では、魔法について、話そうか。『詠唱魔法』についてではなく、『魔法について』、だ」
ざわつく生徒を無視し、ノエルは黒板に『魔法』と書く。
「まず魔法は大きく2つに分類される。『外向魔法』と『内向魔法』の2つだ。外向魔法は水や火などを具現し、外の世界に事象を発生させるもの。内向魔法は、自分自身に何かしらの変化を与えるものだ。君たちが知っているものに例えると、詠唱して発動する魔法と身体強化といったところかな」
『魔法』という文字から二股に線が伸び、『外向魔法』と『内向魔法』に分かれる。
「まずは外向魔法についてだけど、これは大きく分けると形式魔法と精霊魔法に大別される」
『外向魔法』からさらに線が伸び、『形式魔法』と『精霊魔法』に分かれた。
「基本的に人間が使う魔法は形式魔法だけ。魔法実技の授業でも習う詠唱魔法や、錬金術が形式魔法にあたる。あとは刻印魔法。これは魔法陣を描いて発動するもの。古代はよく使われていたが、現代でこれを使用するものは皆無だ」
ノエルはすらすらと喋りながら黒板に文字を足していく。
「では精霊魔法について、こちらはあまり詳しいことは分かっていない。何せ自分たちでは使えない魔法だから。代表的なのはエルフが使用する魔法だ。彼らは詠唱を必要とせず、祈るだけで魔法を発現できるといわれている。呪文を唱えず、魔法陣もいらない。祈るだけで魔法を発現する様子が『精霊にお願いして』魔法を使っているように見えることから、精霊魔法という名前で呼ばれるようになった」
「どうして人間には形式魔法しかつかえないの?」
ユーリが当然の疑問を口にする。
魔法が形式魔法と精霊魔法に分けられることは分かった。しかし、何故人間には形式魔法しか使えないのかが不明である。
「明確な理由は今のところない。『使えないから使えない』と言わざるを得ないかな」
「だったら……」
『人間にも精霊魔法が使えるかもしれないんだね』
その言葉は形になる前にノエルの言葉にかき消される。
「使えない。例えばだが、ユーリ君は時間を止めることは出来るか? 昨日に戻ることは? 未来を予想することができるか? 出来ないよね。考えるまでもない。では人間が時間を止めることはできないということを証明できるか? これも出来ないよね。聖光教会の創始者アルマーニが魔法を発明したとされるのが千二百年ほど前だ。それから人間はずっと魔法の研究をしてきた。詠唱魔法、刻印魔法、錬金術。過去の偉人たちが死ぬ思いをしながら、文字通り死人を出しながらも研究してきた結論が『人間には形式魔法しか使えない』ということだ。別に精霊魔法を研究するのは構わない。やめろとも言いわない。しかし、安易に先人たちの研究を否定する言葉を口にしないように気をつけた方がいい」
「……ごめんなさい」
ノエルの静かな怒りに、教室が水を打ったように静かになる。
ユーリは自分の安直な発言を認め謝罪の言葉を口にした。
ノエルはまた一つため息をつく。
「……一説だが、脳の作りが異なるのではないかと言う説がある。精霊魔法を使用する代表的な種族はエルフ属で、彼らは感情の起伏が少ない人が多い。人間の脳の感情を司る部分が、エルフ属では精霊と交信するための感覚器官になっているのではないか、という説だ。しかし、生きている人間とエルフの頭を割って見る訳にも行かないし、見たところでわかるはずもない。なので今は研究もされていやい。それと……」
ノエルはそこまで言い、一度口を紡ぐ。次の言葉を言うべきか言わずにおくべきか悩んでいるのだろう。
「人間でも詠唱せずに魔法を使用した例はある」
今までの言葉を覆すようなセリフに生徒たちが色めき立つ。しかし、続く言葉はそんな生徒たちの興奮を急激に冷やす言葉だった。
「激しく感情が揺さぶられた時、魔法が発動した例はある。死ぬほどの恐怖、血涙を流すほどの怒り。魔法なんて生ぬるいものではなかったといわれている。あれは暴走だ。そしてそれを研究しようとした研究者たちは……皆、気が狂って死に至った」
水を打ったように、クラスが静まり返る。
「脳の作りが違う。だから無理やり精霊魔法を使用すれば、脳が壊れて気が狂う。これが現在判明していることで、そしてこれ以上何かが判明することはない」
ノエルがそこまで話したところで修業の鐘がやたらと大きく教室に響いた。
「話がそれたが、今日の授業はここまでにする。今日の授業で聞いたことはすべて忘れて構わない。ただし、一つだけ覚えておくこと。『人間には精霊魔法は使えない』。それだけを覚えてくれれば良い」
ノエルが教室を出ていくと、生徒たちは精霊魔法について思い思いに話し出した。その大半は、やっぱり夢物語に出てくるような魔法は人間には使えないのかという落胆や、子供の頃に夢見た魔法の話などといった他愛もないものだ。
その誰もが、精霊魔法を使えるかもしれないなどとは思っていない。ただ一人を除いて。
「多分、可能性はゼロじゃない」
そのつぶやきは、幸い誰の耳にも届かなかった。