第036話
「よし、やってみろ」
グラウンドにつくやいなや、レベッカが開口一番に言った。腰を軽く落とし、何時でも動けるように身構えている。
入園試験の時のような油断は無い。
「えと、やってみろって言われても……」
偏重強化はユーリにとっての切り札である。
アルゴとの手合わせでは自分の強さを知るために使ったが、おいそれと誰彼構わず見せたいものではない。
そんなユーリの気持ちを察してか、レベッカは言う。
「安心しろ。私もエマも生徒の秘密を口外するような事はしない。それに今後もオリヴィアに師事するのなら、彼女には知っておいてもらった方が都合が良いだろう」
「……分かった」
短い逡巡のあとにユーリは頷いた。
別にユーリは戦いで一番になりたいわけではない。レベッカに手の内を晒しても問題がないのだ。ならば、寧ろ積極的に手の内を開示してアドバイスをもらうべきだろう。
深呼吸を一つ。ユーリは体内に魔力を巡らせる。身体強化。からの偏重強化。
未だに足以外は安定しないが、反対に言えば足は安定している。
今回は試験とは違うので虚を突く必要もない。レベッカと視線を合わせて、二人の呼吸が整った瞬間、
ドッ
ユーリが爆ぜる。一瞬でレベッカの後ろを取ったあと、十八番の回し蹴り。体重の軽いユーリが力を乗せるには、自らの体重全てを使用するしかない。なのでユーリは戦闘中によく回るのだ。
レベッカはユーリを目で負い、流れるように腕で受ける。
ズムッ
身体のバネと柔軟な筋肉、そして地面の柔らかさまで利用して受ける。
まるで布団を蹴ったかのようなどこか手応えのない感触にユーリは心のなかで首をひねった。しかし、考える間もなく次の攻撃へ。
廻る、廻る、回りながら蹴りを入れる。縦方向に、横方向に。レベッカの周りを飛んで跳ねて、蹴りを入れる。
しかしその全てをレベッカは受け止めた。
レベッカがフッと力を抜いたのを見て、ユーリも足を止める。
「なるほど。なかなかの威力だ」
重い攻撃を受け止め続けて痺れたのか、腕をプラプラと振るレベッカ。しかし怪我をした様子はなさそうだ。
「とはいえ、トロール二体を瞬殺出来るかと言うと疑問だな。ユーリ、まだなにか隠してるか?」
レベッカに問われるが、ユーリに心当たりはない。フルフルと首を振る。
「なら、無意識下で力を使ったか……なら、そうだな」
レベッカは少し目を瞑ったあと、
「ヒッ!?」
ユーリに殺意を向ける。アルゴが授業中にやったような、手加減した殺気ではない。ユーリは鋭い殺気に怯える。しかし、
「ふむ、正常か」
強い殺気を向ければ、トロールと戦ったときのように我武者羅に向かってくると思ったが、そうではないようだ。
ユーリを本気にさせる方法、それは
「なるほど、こっちが正解か」
レベッカは再び殺気を向ける。今度はオリヴィアの方に。
咄嗟に身構えるオリヴィア。ユーリの記憶がフラッシュバックする。
自分を守るために大怪我を負うオリヴィア、それを狙うトロール、オリヴィアは意識を失って……
「ぁ……ぁ……」
わなわなと震える。
恐怖がユーリを襲う。自分にとって大切な人が失われる恐怖。
「い、いやだ……いやだいやだいやだ……」
明らかに様子のおかしいユーリを尻目に、レベッカは腰に佩いたブロードソードを抜き、切っ先をオリヴィアへ向ける。
「やめて……やめてよ……」
ユーリの懇願をレベッカが聞くはずもない。ニヤリと口角を上げ、腰を落とし、オリヴィアへと向けて駆け出した。
「や、やめろおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
咆哮、一泊遅れて爆音、砂煙。
「えっ!?」
エマが驚いて目を向けるが、ユーリはもうそこにはいない。
激しい金属音が轟く。ユーリのナイフとレベッカのブロードソードがぶつかる音だ。どちらかがナマクラであれば決着はついていただろうが、どちらもそれなりの業物である。ギチギチと音を立てながらも軽く刃こぼれする程度だ。
ユーリとレベッカが見合う。いや、ユーリは果たしてレベッカを見ているのか。憎悪を滾らすその瞳はレベッカを超え、自身の記憶にあるトロールを睨めつけているのだろう。
一方レベッカはニヤリと口元を歪める。
「なるほど、これならトロールくらいなら瞬殺だろうな」
ユーリは弾けるようにレベッカから距離を取ると、再び走り距離を詰める。
速度が上がっている。入試の時よりも。だが、
「単調なのは変わらない、なぁ!」
流れるような所作でユーリの斬撃を止める。蹴りを、拳を、すべてをいなす。
相手も自分も怪我をしないように。
たしかにユーリの脚力、そこから生み出される膂力には目を見張るものがある。しかし、いくら強い攻撃であっても、単調な攻撃など予測して避けるか受け流せばよい。
圧倒的に知恵が、経験が足りない。冷静さを失うなど、未熟者の極みである。
「うああぁぁぁぁぁ!!」
レベッカは、叫びながら馬鹿正直に攻撃しに来るユーリに足払いをし、体勢をくずしたユーリの腕を掴む。
ゴギンッ
くぐもった鈍い音。ユーリの肩が外れた音だ。
「あぐぅっ! あああああぁぁぁ!!」
痛みに叫び、それでもなお抗おうとするユーリの背中をレベッカが踏みつけ拘束する。
「エマ」
「はいはい、わかってるわよ〜。も〜、レベッカってばいつも強引なんだからぁ〜」
名を呼ばれたエマが、文句を言いつつも詠唱を開始する。
「闇の精霊、迷霧となりて憤怒の火を曇らせよ」
エマから放たれた黒い靄がユーリにまとわりつくと、怒りに燃えていたユーリの瞳が少しずつ落ち着いていく。
「あ……ぼく、僕は……痛っ!」
正気に戻り肩の痛みに気がつくユーリ。もう大丈夫だと判断したのか、レベッカがユーリを開放し、エマはユーリの肩と足を癒す。
「なるほど、通常の身体強化に加えて、部分的に脚力をさらに強化した、といったところか。確かに理論上は可能だ。理論上はな」
レベッカは顎に手を当てて考える。
「しかし、実際にはほぼ不可能だ。局所的な身体強化の発想は無かった訳じゃない。むしろ何人もの魔法使いや冒険者が試してきたことだ。しかし実践レベルまで到達した人はいない。何でか分かるか?」
レベッカは誰ともなく問いかけるが、誰も答えない。
「身体強化が詠唱魔法じゃないからだ」
「詠唱魔法?」
聞いたことのない言葉にユーリが聞き返す。
「聞き慣れないのも無理はない。我々人間は基本的には詠唱魔法しかつかえない。故に魔法と詠唱魔法の区別もつけてないからな。そこらへんの話は私の管轄外だ。今度オレグかノエルあたりに聞け」
ユーリが詳しく聞きたそうにウズウズしているが、レベッカはバッサリと切り捨てた。
「ともかく普通人間は詠唱魔法しか使えないんだ。人間にはな」
「人間には?」
「あぁ。お前と同じようなことをしてる奴を知っている。そいつに稽古をつけてもらえ」
「稽古?」
理解の追いついていないユーリをよそに話がどんどん進んでいく。
「あのねユーリ君、今の君はちょっと危ない状態なのよ」
オリヴィアが補足説明に入る。
「まだ7歳になったばかりの華奢で弱い身体に、トロールを蹴り殺すほどの脚力がある。たとえ足を強化していたとしても、反動は無くせないし、身体にも響くの。今はエマ教官がいるから何とかなってるけど、普通はタダで治療してくれる人なんていないのよ?」
「そっか……ありがとう、エマ」
オリヴィアの言葉を素直に聞き、エマにお礼を言う。
「いいのよ〜。私も楽しませてもらってるし〜」
「あ……うん……」
ユーリは微妙な表情でうなずいた。
「そういうわけで、その力をまともに使えるようになるには、その力をまともに使える奴に教えてもらう必要があるわけだ。残念ながら私には出来ないからな。来週の土の日に私の所に来い。人を紹介してやる。そうだ、オリヴィア、ついでにお前も来るといい。オールラウンダーの師が欲しいと言っていただろう。紹介してやる」
「ありがとう!」
「ありがとうございます、レベッカ教官」
成り行きで冒険者の師匠を得ることになったユーリであった。
 




