第035話
「ユーリっ!!」
「ピィっ!」
トロール討伐に向かった翌日の朝、オリヴィアは学園の医療医のベッドで跳ね起きた。静かに紅茶を飲んでいたエマの肩が跳ねる。昨日からリラックスタイムを邪魔されてばかりである。
「ここは……学園の医療室……?」
「もぉ〜、ゆっくり起きてよぉ。お久しぶり、オリヴィア。体調はどうかしら〜?」
「エマ教官……?」
オリヴィアは頭にはてなマークを浮かべて首をひねる。
自分は確かトロール討伐に向かって、ユーリを庇って、子供のトロールの攻撃を受けて……
「エマ教官! ユーリ君は、ユーリ君は無事ですか!?」
オリヴィアはエマに詰め寄り訊ねる。もはやキスでもしそうな近さだ。
「大丈夫、大丈夫だから落ち着いてぇ〜。無事に帰ったわよ〜」
「そ、そうですか……良かった……」
ホッとして気が抜けたのか、オリヴィアがふらつき、エマはそっと支えてベッドに寝かせる。
「昨日なにがあったのか、聞かせてくれるかしら〜?」
「はい。といっても、最後の方は記憶がありませんが」
オリヴィアはトロールの討伐に向かったことを話した。昨日ユーリの言っていたことと大差はない。
「そして、半狂乱になっていたユーリ君をなだめたところで、意識を失いました」
「まさか……本当にトロールを倒したの~? ゴブリンの見間違いとかじゃないのぉ?」
「いえ、確実にトロールでした。一人立ち直前の個体だと思います。少なくとも二メートルはありました」
「うーん、信じがたいわねぇ……」
「私も信じられませんでした。鉄級とはいえ、強固なトロールの頭を吹き飛ばすほどの脚力、そしてユーリ君は一メートル程の身長なのに、二メートルに及ぶ身長のトロールの頭を蹴る跳躍力。そこだけ見れば、銅級の冒険者に引けを取りません、いや、勝っているとまで言えます」
オリヴィアはあのときのユーリの動きを思い出す。
目で追うのがやっとの速度、トロールの頭を吹き飛ばすほどの威力。それがあんなに小さい体躯から放たれる。
自分がユーリに勝てるかと問われたら、首を縦には振れないだろう。
戦略や経験で負ける気はしないし、うまくやれば勝つことはできるかもしれない。しかし、一つ間違えればあのトロールの様に……
いやな想像を振り払うようにオリヴィアは首を振った。
「ユーリ君は強かった。だけどそれ以上に危うい、そう思います」
「というとー?」
「未熟な体と心に、それに見合わない力。言ってしまえば、幼子が両刃の長剣を振り回しているようなものです。周りも、そしてユーリ君自身も壊してしまいかねません」
「そんなになのねぇ……」
エマはユーリの姿を思い出す。
可愛らしい容姿、エマに怯える目、治療(という名の拷問)の痛みに泣き叫ぶ声。どうにもそんな風には見えない。
しかし、あの鬼教官レベッカが入試で初めて100点を与えた相手でもある。
「ちょっと、いろいろ聞いてみようかしら〜」
時刻は朝の7の刻。そろそろユーリがオリヴィアの様子を見に来るだろう。それまでにレベッカを呼んで来ようと、エマはコーヒーを飲み干して立ち上がった。
◇
「……」
ユーリは医療医の扉を開けて、ソッと中を覗き込む。
エマが昨日『明日には目を覚ます』と言っていたから、そろそろ起きる頃だろうか。
オリヴィア、僕のこと嫌いになったかな……もう討伐依頼に連れて行ってくれないかな……等とネガティブなことを考えながら医療室の中を見る。
扉の隙間からは詳しい様子は見えない。オリヴィアはまだ寝ているのだろうか。コソコソウジウジと医療室の扉を覗き込んでいるユーリの背中に、
「覗き魔がいるぞぉ〜〜!!」
「ピャァァァァァァ!!!!」
大きな声で叫ぶ意地の悪い声、エマである。
口から飛び出さんとばかりに脈打つ心臓を抑えながらユーリが振り向くと、エマとレベッカの姿があった。
「び、びっくりさせないでよっ!」
「だって何かコソコソしてたんだものぉ〜。女の子が寝てる部屋を覗いちゃ駄目よぉ〜?」
「そ、そんなんじゃなくって!」
慌てて取り繕おうとするが、エマは聞いてもいない。
「オリヴィア、もう目が覚めてるわよ〜。挨拶したらー?」
「う、うん……」
エマ、レベッカに続いて医療室に入ると、ベッドに座っているオリヴィアの姿が目に入る。
多少顔色が悪いようだが、十分に元気そうだ。
「オリヴィア、その……あの……」
少し言い淀んだ後、ユーリは勢いよく頭を下げた。
「言う事聞かなくてごめんなさい!! 折角連れて行ってくれたのに、僕がオリヴィアの言いつけを守らなかったから、オリヴィアが危険な目にあって……だけど、これからもいろいろ教えてほしいです! それと、トロールから守ってくれてありがとうございました!」
言いたいことがまとまらず、めちゃくちゃに自分の思いをぶつける。オリヴィアは少し呆気に取られたあと、クスリと笑った。
「いや、こちらこそごめん。魔物と戦ったこともない子を危険に晒した私に非があったよ。それと、助けてくれた上にここまで連れてきてくれてありがとう」
オリヴィアも学園を卒業したばかりといえど、もうすでに一人前の冒険者である。7歳の子供を責める事などしない。相手が反省しているのならなおさらだ。
オリヴィアの言葉に、ユーリはホッと息をつく。
「ところで、トロールを二体倒したというのは本当なのか?」
レベッカが興味津々、半信半疑で問う。入試の時のユーリの一撃はたしかに凄い威力であった。
しかしそれは一回きりの捨て身の一撃。2発目が打てるとは思えない。
その一撃ですら、トロールの頭を吹き飛ばせるかといえば疑問が残る。
「えっと、うん、多分……あんまり覚えてないけど……」
「本当です。多少意識が朦朧としていましたが、たしかに見ました」
自信なさげなユーリの言葉をオリヴィアが援護する。
「……見せてもらおうか」
レベッカはクイッとグラウンドを顎でしゃくる。一戦交えろということだろう。ユーリは戸惑ってオリヴィアを見る。オリヴィアは頷いて言った。
「レベッカ教官に見てもらったほうが良いと思うよ。ユーリ君は自分の力を、そして危うさを自覚したほうがいい」
「私は昨日の今日で激しい運動するのは反対なのだけれど、レベッカを止めても無駄なのよね〜」
エマは頬に手を当て困ったように言ったあとに立ち上がる。
「怪我して直してあげるから、思い切ってやるといいわ〜」
レベッカ、エマに続いてオリヴィアも立ち上がり医療室を出て行く。
ユーリに逃げ場は無いようだ。