第034話
「最近は無茶する子が少なくて暇ねー」
変態保険医エマ・キャンベルは医療室のベッドに腰掛け、窓から外を眺める。宵闇の風景は少しずつ黒に染まってゆく。
手にはコーヒーの入ったマグカップ。少し前に学園を訪れた商人から買ったもので、ベルベット領にはまだ殆ど流通していない。
わざわざ豆を乾燥させ、煎り、挽き、蒸し、濾して飲むという手間のかかる方法と豆の香りに惹かれて、エマは安くない金額で買ってみた。
最初に飲んだときにはその苦さに『騙された』と思ったが、だんだんとその苦さが癖になり、今ではわざわざその商人に仕入れて貰って毎日挽いて飲んでいる。刺激の少ない日常に少しだけ色を付けてくれるアイテムだ。
エマが学園に来たのはもう二十年も前の事になる。そして今日に至るまで、ただの一歩も学園の敷地を出ていない。
五歳の鑑定式で魔法の資質を認められてからというもの、聖光協会から執拗な勧誘を受けているのだ。
エマを薬漬けにして教会の傀儡にしようとたくらむ連中や、はたまたエマを亡き者にしようとする連中から逃げるように学園に来た。
九年の修学期間を終え、そしてそのままエマは保険医となった。
魔法学園は治外法権。国からも教会からも手出し口出しされない。だからエマはこの小さな楽園から出ようとはしない。
この学園が、エマの全てである。
エマが保険医となった十年前は医療室はいつも忙しかった。
喧嘩して骨を折る子、実験に失敗して大火傷を負う子、そして冒険者の真似事をして大怪我をして帰ってくる子。命を落とす子だっていた。
医療室のシーツが血に濡れない日は無いほどだった。
しかし時代は変わるものだ。無茶をする子は少なくなった。
エマが見習い保険医であった頃は学園の卒業生達も駆け込んできていたが、最近では卒業生が来ることなどほとんどない。
……無料でエマのドSな治療を受けるより、お金を払ってでも普通に治療してもらったほうが良いと考えているのかもしれないが。
ベッドに腰掛け真っ白なシーツを撫でながらコーヒーを一口。
もの寂しくも心落ち着く時間がゆっくりとながドゴオオオオオォォン!!
「エマあああぁぁぁ!! 助けてえぇぇぇぇ!!」
「ブフーーーー!!」
そんな時間はユーリによって粉々にされた。
やたらと重厚な保健室の扉を、轟音を立てながら蹴り開け飛び込んできたユーリ。
エマは思わず口に含んだコーヒーを噴出した。
「ケホッケホッ、もぉ〜、びっくりするからいきなり飛び込んで来ないでよぉ〜。あー、扉の金具が……一体どんな脚力なのよぉ……」
「そんなことよりはやく治してあげて! はやく!」
「そんなことってぇ〜」
溜息をついてユーリに目を向ける。
「って、オリヴィアじゃない。本当に余裕なさそうね。そこのベッドに寝かせて」
「分かった!」
エマは真面目な顔になりオリヴィアを観察する。頭から血が流れているが、その傷は深くなさそうだ。それよりも問題は口から流れる血と不規則な呼吸だ。
「……肺がやられてるわね。ただ治すだけじゃ血が残っちゃいそう」
エマはオリヴィアに手をかざす。
「闇の精霊、狭霧となりて統覚を撹乱せよ」
唱えると、エマの手から黒い靄が漂いオリヴィアを包む。
使い手の少ない闇魔法である。
エマが教会から固執される理由がこれだ。光魔法と闇魔法の二重属性持ち(ダブル)。そもそもダブルでさえ少ないのに、さらにレアな光魔法と闇魔法。
闇魔法を忌むべき物としている聖光教会にとって、光魔法と闇魔法の両方に適正のある者が存在してることは非常に具合が悪い。
しかし、その有用性も認知している。エマの存在を世間に知られたくない、だけど殺すのも惜しい。その結果が教会からの固執である。
闇魔法でオリヴィアを一種の麻酔状態にしたあと、エマはオリヴィアの身体にメスを入れる。
治すために切る。この世界に置いてこの方法が出来る者は少ない。
そもそも麻酔が発明されていないため切開しようにも痛みに耐えられる訳もなく、また人体の構造に詳しい人も少ない。
闇魔法が使え、かつ日頃から生徒たちの身体を嬉々としていじくり回しているエマだからこそ出来る芸当である。何もエマだって好き好んで生徒たちの傷口を弄り回している訳では無い。
……いや、好き好んでやってはいるが。
ストローのようなものを切り口から差し込み血を吸い上げる。赤黒い血がボタボタと出てきた。
「よしっと。不純物は入ってないみたいだし、あとは治して終わりね」
エマは続いて光魔法でオリヴィアの傷を治す。オリヴィアの顔色がスゥッと良くなり、呼吸も安定した。
「はい終わりぃ〜。オリヴィアったら、卒業しても無茶してるのねぇ〜。それじゃ、続いてユーリ君ね。痛ぁーいの、いっとくぅー?」
ニヤリと笑みを浮かべてユーリに顔を向けたエマだったが、ユーリの様子を見て困ったような表情に変わる。
しょぼくれているユーリの体に手をかざし、いつものように痛いところを弄くり回すこともなく普通に光魔法で治療した。
「え……?」
「あのねぇ〜、そんな『これは僕への罰だー』見たいな顔でしょぼくれてる子を虐めても、なーんにも楽しく無いのぉ〜」
プスーと頬を膨らませてエマは言う。
「心の治療は得意じゃないんだけどなぁ〜。まぁでも、何があったのか一応聞いてあげるぅ」
エマはコーヒーを一口飲むと、ユーリが話し始めるのを黙って待つ。
しばらくエマがコーヒーをすする音だけが響いた後、ユーリはギュッと拳を握りしめて話し出した。
冒険者として強くなる必要があること。オリヴィアに頼んで討伐に連れて行ってもらったこと。軽率にもオリヴィアの指示を破ったこと。そしてオリヴィアが自分を守るために大怪我をしたこと。無我夢中で子供のトロール二頭を倒して帰ってきたこと。
話ながらも、ユーリの瞳からはポタポタと涙が溢れていた。
全て聞き終わった後、エマは少し考えてから言った。
「お手柄だったのねぇ〜。ユーリ君、頑張ったわねぇ」
エマから発せられた言葉は、ユーリにとって想定外のものだった。
「違う! 違うよ! 僕のせいでオリヴィアは……!!」
「違うわ、ユーリ君のお陰でオリヴィアは生きて帰ってこられたのよ〜」
エマは人差し指を立ててユーリの唇にあて言葉を遮る。
「ユーリ君を連れて行くことにしたのはオリヴィアの判断、何も知らないユーリ君を制御出来なかったのはオリヴィアの過ち、そしてそんな過ちを犯したオリヴィアを、トロール二頭から守って連れ帰ってきたのはユーリ君のお手柄よ〜」
「でも、僕が余計なことをしなければオリヴィアが怪我することも無かった!僕のせいなんだ!僕のせいで……っ!」
「だったらウジウジしてないで前を向きなさい」
エマは両手でユーリの頬をぱちんと挟むと、自分の方に顔を向けさせる。金の瞳と目が合う。
「あなたの面倒を見ようとしたのにあなたを危険な目に合わせて、さらにあなたに助けられた。なのにあなたは自分を責めている。そんなのオリヴィアが可哀想よ。あなたができることは、精一杯オリヴィアに感謝して、精一杯前を向いて頑張ることだけ。ウジウジしてる場合じゃないでしょ」
分かったわね?といいながらユーリの頭を撫でる。
「明日までゆっくり寝て、ご飯をたくさん食べればオリヴィアも元気になるわ〜。ユーリ君も、今日は帰ってゆっくり過ごしてね〜。明日の朝には目を覚ますと思うから、お見舞いに来てあげてねぇ〜」
いつもの笑顔に間延びしたしゃべり方。しかし有無を言わせない雰囲気に、ユーリはコクリと頷いて寮へと帰って行った。
去っていくユーリに手を振って見送った後、エマは思案顔になる。
「あの歳でトロール二体を?さ、流石になにかの間違いよねぇ」
実はトロールじゃなくてゴブリンでした。そんなオチだろうと結論付けて、エマはオリヴィアの看護に戻った。