第033話
目を皿のようにしてオリヴィアの戦いを見ていたユーリは感動していた。決して油断せず、慢心せず、相手の動きを見極めた危なげのない戦い。まだ冒険者活動を初めて日が浅いというのに落ち着いた動き。得るものはたくさんあった。ユーリは木から飛び降り、オリヴィアに駆け寄る。
「やったねオリヴィア!」
しかし、そんなユーリに対して、
「来るなぁ!」
オリヴィアが一喝。なぜ怒られたのかをユーリが理解するより先に、一頭のトロールが雑木林から飛び出してきた。先程のトロールよりも若干小さい。雌だろう。
位置はオリヴィアとユーリの間、若干ユーリに近い。
トロールは絶命している雄を見て激昂、叫び声を上げてユーリに襲いかかる。
「ヒッ!」
魔物が向けてくる圧倒的で純粋な殺意。迫る巨体。知性を感じない赤い瞳。ユーリは気圧され身がすくむ。
父との訓練、アルゴの殺気、そんなものとは異質の純粋な殺意。
ユーリは今までどこか甘えがあった。殺されはしないだろうという甘え。
そんな甘えが通用しないのが目の前魔物だ。
トロールが振り上げる倒木がまるでスローモーションのように見える。父の拳よりは遅い。いつものユーリなら避けられた攻撃。しかし、身がすくんで動けない。足が、凍ったかのように地面から離れない。息が、詰まった。
「危ないっ!!」
間に飛び入って来たオリヴィア。細剣の鞘を盾にし倒木を受け止めようとするも、圧倒的な質量の差にそのままユーリ共々吹き飛ばされる。オリヴィアの右腕と脇腹から嫌な音がした。
「グギッ……!」
歯を食いしばりながらユーリを抱えてなんとか着地。折れた骨で内蔵がやられたのか、口からツウと血が流れる。
「あ、あ……ぼく……ぼく……」
「大丈夫、だから……隠れてて」
ユーリを安心させるためか、脂汗の浮いた顔に無理矢理笑顔を浮かべてオリヴィアは立ち上がる。ユーリを茂みへと隠れさせ、振り返る。鼻息荒いトロールと目が合った。
痛みを無視し、息を整えてからオリヴィアは言う。
「あんたのくっさい旦那を殺したのは私よ。にくければ敵討ちでもする? まぁ無理だろうけど」
トロールに言葉が伝わらないことは分かっている上での挑発。どちらかと言えば自分に喝を入れる意味合いの方が強い。
トロールが倒木を持つ手は左。先程の個体とは異なり左利きなのだろう。オリヴィアはトロールを中心に左周りに走り出す。
激痛が走るが無視だ。
「水の精霊、水龍となりて我が意に従え」
オリヴィアが唱えるも魔法は発現しない。痛みで集中力を欠いているのだ。舌打ちしながら振り下ろされる倒木を避け、一閃。
先程と同じことを、先程より丁寧に行う。
しかし、痛みで身体が思うように動かない。激しい痛みが体中に響き、己の意志に反して身体が硬直する。
そしてその隙をトロールは逃さない。大きく振り下ろされる倒木。オリヴィアはあえてトロールの懐に潜り込むように前転で避けた。紙一重、ほほをかする。
「くたばれぇっ!」
トロールの懐から、顎に向けて細剣を突きだす。顎から脳を細い刃が貫いた。断末魔を上げることなく絶命したトロールがドサリと倒れる。
圧倒的に不利な状態から、なんとか辛勝をもぎ取った。生き残ったのはオリヴィアである。
膝を着くオリヴィアを見てユーリが木陰から飛び出す。ユーリは泣きながら、なけなしの金で買った初級ポーションをすべてオリヴィアに振りかける。
少しだけ痛みがやわらいだ。
「オリヴィア! オリヴィア大丈夫!?」
「なんとか、ね。さっさと討伐証明を切り取って帰ろう。野宿はちょっと、もたない、かな」
オリヴィアは自分の容態を冷静に観察する。出血は少ないので、すぐに死ぬことはないだろう。しかし、内蔵をやられている以上、時間経過で回復するとは考えにくい。
夜の強行軍は危険だが、さっさと帰るしかない。オリヴィアの言葉にユーリは頷くと、急いでトロールの右耳を切り取る。
「少しだけ、休憩してから出発にしよう」
オリヴィアは大きく深呼吸をする。身体の疲労が少し取れたら出発だ。
「ユーリ君、トロールについて知っていること、言ってみて」
朝と同じ質問だ。
「えっと……鉄級の人形の魔物で、三メートルを超える個体もいる。すごく力が強い上に、岩を投げたり木を振り回したりして攻撃することもあるくらい知能は高い。でも言葉は話さない。昼行性で夜目はあまり効かない。肉は不味くて食用には向かない。討伐証明部位は右耳、ない場合は両足の親指。集団で生活することは少なくて、基本的には一頭かつがい、もしくはその子供を合わせた三頭から四頭で行動、する……」
だんだんとユーリの声が小さくなった。
「そう。ユーリ君は知識として知ってた。『トロールが複数体居る可能性』を。だけどユーリ君はそれを知識としてしか知らなかった。だから油断した。使えなければ知識なんて無意味なの。分かった?」
「……分かった」
よし、それじゃ出発しよう。
そう言いかけたオリヴィアの身体に、オリヴィアの倍の太さはあろうかという丸太がぶつかる。
「へ?」
「ツッーー!!」
呆然とするユーリ、丸太が跳んできた方向に視線を向けると、二体のトロール。
ユーリの頭に先程の言葉が浮かぶ。
『基本的には一頭かつがい、もしくはその子供を合わせた三頭から四頭で行動する』
いたのだ、子供が。
オリヴィアを見る。頭を打ったのか、こめかみから血を流しながら焦点の定まらない瞳をユーリに向ける。
「ユーリ、君、にげ……て」
親しい人の死。それを間近に感じたユーリは絶叫する。
「い……やだ……いやだいやだいやだいやだいやだいやだああぁぁぁぁ!!」
ユーリは無我夢中で全力の身体強化、そして両足に偏重強化を発動。
「だ、め……にげ、なさい……」
消え入るようなオリヴィアの言葉など、ユーリに届くはずもない。
「殺してやる殺してやる殺してやる!殺してやる!!」
冒険者登録をしたばかりの少年がトロール二体に敵うはずがない。オリヴィアは動かない身体に歯噛みする。何かできることは無いか、せめて声による指示だけでも。発声しようとするも、出てくるのは掠れた音だけだ。ギリと唇を噛む。
オリヴィアのぼやける視界に映っていたユーリの身体が、突然消えた。
全力の偏重強化をした足での踏み切り。一瞬でトロールの足元にたどり着く。
そのまま跳躍し、ユーリを目で追えていないトロールの頭に全力の回し蹴り。
頭が、消し飛んだ。赤い霧が舞う。
「……え?」
ユーリの攻撃は止まらない。着地と同時にもう一体のトロールに向けて跳躍。横っ腹に蹴りを放つ。蹴り飛ばされる巨体と、蹴りの反動で反対側に飛ぶユーリ。
ユーリは受け身もとらず地面に落ちた後、痛がる様子も見せずにすぐさまトロールへとかけより、前方に宙返りをしその勢いのまま踵落とし。トロールの胸がひしゃげ、口から血と臓物の噴水をまき散らす。
あっという間に二頭のトロールを倒したユーリは……しかし、止まらない。
「死ね!死ね!死ねぇ!」
すでに絶命し、痙攣しかしていないトロールの身体を全力で踏みつけ始める。強化した足での踏みつけ。踏みつけるたびに地鳴りのような音が響く。もはやユーリの右足も無事では済まないだろう。
脳震盪の収まってきたオリヴィアは痛む体に鞭を打って立ち上がる。もはや肉なのかドロなのか。ミンチになった赤茶色の物体を踏みつけ続けるユーリに近づき、そっと頭を抱いた。
「ユーリ君、大丈夫。大丈夫だから」
「オリ……ヴィア……?」
充血し滂沱の涙を流す瞳がオリヴィアをとらえる。顔色は悪いが、生きている。ユーリの瞳に光が戻った。
「もう、大丈夫だから、帰ろう」
「う、うん……うん……」
正気に戻ったユーリを見てオリヴィアは安心した。狂気に染まったまま戻ってこれない冒険者は少なくないらしい。そしてその殆どが悲惨な末路を辿るという。
愛らしい少年が戻ってきてくれて良かったと心から思う。ホッとして力が抜けたのか、オリヴィアが膝を折った。
「オリヴィア!? 大丈夫!?」
「うん、あはは。ちょっと、疲れたみたい。あと少しだけ、休憩させて……」
そういうとオリヴィアは目を閉じた。息遣いは聞こえるので、今すぐにどうこうなることはなさそうだ。
しかし、ここは魔物の出る雑木林の中。悠長に休憩なんてしている場合ではない。あたりは夕日で赤くなっている。もうすぐ夜が来るのだ。
ユーリはグシグシと涙を拭くと、置いてあるオリヴィアの荷物を背負い、オリヴィアを抱きかかえる。頭から魔物よけの匂い袋の中身を被り、腰にぶら下げたコンパスを確認、先を見据える。
自分が連れて帰るのだ。絶対に助けるのだ。命の恩人を見殺しになどしてたまるものか。足の痛みなど気にしている場合ではない。
ユーリは全力で駆け出した。




