第032話
オリヴィアとのトロール討伐依頼の日までにユーリが稼いだ金額は二万リラ程。購入したものは大きめの水筒といくつかの初級ポーション、魔物よけの匂い袋。それだけで持ち金は底をつきた。
食べ物はまた学園からパンをくすねて来ている。また、薬屋のおばあちゃんことアデライデから食用となる植物の知識も仕入れてきたため、それでなんとか凌ぐつもりだ。まぁ、一泊二日程度なら水さえあればなんとかなる算段である。
当然テントなど買えるはずもなく見張りも必要であるため、寝るつもりはない。
昨日寝溜めしているので問題はないだろう。
集合場所である北門に早めに着いたユーリは、そわそわしながらオリヴィアを待っていた。
しばらくすると、オリヴィアがやってきた。
「早かったね。早速出発するけど、準備は大丈夫?」
「うん、大丈夫」
オリヴィアの問いにユーリは頷き答える。やれる限りの準備はした。
「よし、じゃあ出発だね。今回の討伐は最近北の街道付近に出現するようになったトロールの討伐ね。とりあえず歩きながら話そうか」
オリヴィアはユーリの返事も待たずに早歩きで歩き出す。歩幅の狭いユーリでは軽く走るような速度だ。甘やかすつもりはないという意思表示だろう。
「ユーリ君はトロールについて何か知ってる?」
「鉄級の人形の魔物で、三メートルを超える個体もいる。すごく力が強い上に、岩を投げたり木を振り回したりして攻撃することもあるくらい知能は高い。でも言葉は話さない。昼行性で夜目はあまり効かない。肉は不味くて食用には向かない。討伐証明部位は右耳、ない場合は両足の親指」
何も調べていないだろうと予想していたオリヴィアは、スラスラとトロールの生態を話すユーリに少し驚く。
「集団で生活することは少なくて、基本的には一人かつがい、もしくはその子を合わせた三、四人で行動する。雑食で人間も食べることがあるため注意が必要。ゴブリンやオーガと違って人間の女性を交尾の対象とすることはない」
「こ……こう……う、うん。まぁ、うん。合ってるかな」
案外そっち系の話には弱いのか、オリヴィアが少し頬を染める。
「事前知識としては合格。ただ実践では本からは得られない知識だって必要となるの。一つでいいからそういう知識を持って帰れたら、今回は合格かな。私からは教えないから探してみて」
教わるんじゃなくて見て学べということらしい。
実際オリヴィアの考えは正しい。教えられるとわかった気になり、身につく前に忘れてしまうが、自分で見つけ出した正解はなかなか忘れることがない。
ユーリはとにかくなんでも見て盗もうと、オリヴィアの一挙手一投足に集中することにした。
他愛無い話をしながら三時間、距離にして20キロほど北上したところの、街道の左右の雑木林が鬱蒼としてきたあたりでオリヴィアは足を緩めた。
「さてと、ここらへんからゆっくり歩こうか」
キョロキョロと街道を見ながら進む。トロールの痕跡を探しているのだろう。ユーリもオリヴィアにならう。
暫くそうして歩いていたところ、
「あ、オリヴィア。あそこの倒木、変じゃない?」
ユーリが横たわる倒木を指差した。
のこぎりなどで切られた痕はなく、無理やり力でへし折られたようになっており、中心あたりがひしゃげている。
オリヴィアはその倒木に近づいてまじまじと観察する。
「……うん、トロールの仕業だね。多分この倒木を武器にして馬車を襲ったんだと思う」
もう少しだけ歩くと、今度は木の破片がバラバラと落ちていた。
オリヴィアはその中の一つを拾い上げる。
「人の手で加工されたものだね。ここで馬車が襲われたんだろう。今回のターゲットに間違いなさそうだね」
オリヴィアは空を見上げる。太陽の傾き的に、時刻は昼の一の刻をまわったくらいだろう。
「ここらへんを探す?」
「その前に栄養補給かな。水分は喉が渇く前に摂る。栄養は枯渇する前に摂る。いざ戦闘になってから『お腹が空いて力が出ません』なんて言ってられないからね。ただし決して満腹にはならないこと」
オリヴィアはリュックからりんごを取り出して齧る。
「携帯食料じゃないの?」
ユーリは素朴な疑問を口に出す。携帯食料は冒険者ギルドでも販売している冒険者の必需品だ。
「冒険者といえば携帯食料、まぁそう思うわよね。じゃあ携帯食料の利点はなに?」
「えっと、必要な栄養が含まれてることと、長期保存が可能なこと。あと比較的小さくて持ち歩きやすい上に腹持ちがいい」
「デメリットは?」
「えっと……あんまり美味しくない?」
「それもあるわね。ただ一番のデメリットは『腹持ちがいい』こと。意味わかる?」
オリヴィアはメリットである『腹持ちがいい』ことをデメリットだという。ユーリは首をひねりしばらく考える。
「あ、吸収が遅い!」
「そ、腹持ちがいいってことは、裏を返せば吸収が遅いってこと。長距離の遠征とかならメリットだけど、今回みたいに一泊二日程度の強行軍だとそのメリットは逆にデメリットになるの。冒険者だからっていつでも携帯食料を食べればいいってわけじゃないってこと」
もちろんリンゴのほうが安くて美味しいって理由ももちろんあるけどね、と言いながらりんごを一つユーリに放る。
「いいの? 自分のものは自分で用意しろって……」
「いいのよ。どうせお金がなくて学園のパンでも持ってきたんでしょ? そんなんじゃ力でないわよ」
あまりにも図星だったためユーリは恥ずかしくて頬を染めた。
二人でリンゴをシャリシャリと頬張り、芯を放り投げてから探索を再開する。
日も落ちかけて来たとき、ユーリはすえた匂いが漂って来たことに気がついた。
「……臭い」
「気がついた? これ、トロールの匂いよ。あいつら湯浴みなんて全くしないから臭うのよね」
大きな足跡に踏み潰された雑草や、荒らされた樹木が多い方へ二人は歩みを進める。進むにしたがってどんどん悪臭が強くなる。
ユーリは思わず鼻を覆うが、オリヴィアは平気そうな顔だ。
「臭くないの?」
「臭いわよ。決まってんじゃない」
ユーリの問いにオリヴィアはどこか憤慨したように答えた。
二人はどんどん臭気の濃い方へ向う。ユーリは我慢できなくなって鼻をつまんだ。
「……いた」
「うっ」
二人はトロールの寝床にたどり着いた。直径二十メートルの円状にポッカリと樹木の無い空間があり、中心で三メートル程のトロールが何かを貪り食っている。
「さてと、無事にターゲットを確認できた訳だけど、ここで問題。私は次のうちどの選択をするでしょうか。1、トロールが寝静まるまで待ってから夜襲、2、今すぐに奇襲、3、あえて自分に気づかせてから戦闘。なお、私はのメイン武器は細剣で、魔法はあまり得意ではありません」
突然のクイズにユーリは面食らいながら考える。普通に考えれば1か2である。そしてここは見通しの悪い雑木林の中。夜になるとほとんど何も見えないだろう。
よって答えは、
「2?」
「残念、答えは3でした。理由は帰り着くまでに考えておくこと」
言いながらオリヴィアはリュックをおろし、外套を脱ぐ。臨戦態勢だ。
「ユーリ君は安全なところから見てて。私が声をかけるまで動かないこと。良い?」
「分かった」
ユーリは頷いてトロールのねぐらの見える木の上に上った。
「さてと。気合い入れて行こうかしらね」
オリヴィアは腰に下げた細剣を抜き、ゆっくりとトロールに近づいて行く。
「水の精霊、双龍となり我が意に従え」
オリヴィアが唱えると、水の龍が2体現れオリヴィアを取り巻いた。
片手をあげ、振り下ろす。双龍の片方が勢いよくトロールに向かって飛んでいき、その後頭部へとぶつかる。
『グオオォォォォ!!』
ブサイクな叫び声をあげて、トロールが振り向く。怒りの表情をオリヴィアに向けたあとに、ニヤリと笑った。新しい獲物を見つけて喜んでいるのだろうか。オリヴィアの魔法は大したダメージにはなっていないようだ。
トロールは足元の倒木を右手で持ち、数回素振りをする。ゴウという音が轟く。
オリヴィアはそれを見て、トロールを中心に右に円を描くように移動して近づく。トロールは倒木を大きく振りかぶって、オリヴィアに向けて斜め下に振り下ろした。
まるでその動きを予想していたかのようにトロールの懐に潜り込むと一閃、足を切りつけて離脱。
脂肪が厚く体毛も濃いトロールには大したダメージにはならないが、それでもゼロではない。また右周りに走り出す。
同じようなトロールの攻撃、また躱して一閃。
トロールがオリヴィアから視線を外すと、オリヴィアは水龍をたくみに操り再び注意を自分に引き付ける。
それを繰り返していくうちに、足にダメージが溜まったトロールが膝を着いた。その隙をオリヴィアが逃すはずもない。
射程圏内に入ったトロールの目玉に向けて、オリヴィアが突きを放つ。狙い通り目玉に切っ先が吸い込まれていき、トロールの頭を貫いた。
野太い悲痛な叫びが響く。あまりの絶叫にユーリは耳をふさいだ。決まった。ユーリはそう思ったがオリヴィアは油断しない。素早くトロールから距離を取る。
即死には至らなかったのか、トロールは立ち上がり我武者羅に倒木を振り回す。しかしそれも長くは続かない。動きが鈍くなったところに、水龍を頭にぶつける。
再びガクリと膝を着いたトロールの残った目玉に一刺し。
先程より弱い叫び声をあげ、トロールが前のめりに倒れる。
ダメ押しとばかりに延髄を数回切っ先をつきたてる。トロールは痙攣した後、ついに活動をやめた。
用心深く体に最後の一刺しをお見舞いし確実に死んでいること確認して、ようやくオリヴィアは一息ついた。




