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第028話

 ニコラの腰に抱きついてひとしきり泣いたあと、ユーリは顔をあげる。困惑したグレーの瞳と目が合った。


「あ、いきなりごめん。道に迷ってたの」


 まだ寂しさが残っているのか、ユーリの手はニコラの腰に回ったままだ。


「君は誰?」


「えっと、私はニコラ・フォンティーニ。十五歳の駆け出し商人ってところかな。さっきは助けてくれてありがとう。もうだめかと思ったよ」


 ニコラは周囲に転がる森狼の亡骸に目を向ける。どれもこれも、ユーリの背より体高が高い。目の前の小さな少年が倒したとはとても思えない。


「僕は駆け出し冒険者のユーリ。ニコラ、一人でこんなところに来ると危ないよ?」


「ユーリ君に言われたくはないなぁ……」


 ニコラはユーリの頭を何度か撫でてから立ち上がる。右足首に激痛が走った。


「ったぁ!」


 骨までは折れてなさそうだが、完全に挫いてしまっている。走ることはおろか、歩くことさえままならないだろう。

 さて、これからどうしようかとニコラは思考を巡らせる。

 まず馬。もうこれについてはどうしようもない。ここに捨て置くしかないだろう。

 次に馬車。パッと見は壊れてはいなさそうだ。しかし馬がいないことには運ぶことは出来ない。

 そして荷物。首都エルドラードからはるばる運んできた絨毯や毛皮、香辛料。軍資金なのか手切れ金なのか、両親から貰ったその金で買った物なので、特別な思いなどはないが、額を考えると惜しい。

 最後に自分。大きな怪我は右足首だけで、後は擦りむいた程度だ。しかし足首である。ベルベット領都までは南に歩いてあと二時間はかかるだろう。普通に歩いて二時間だ。この怪我では普通に歩けるはずもない。三時間はかかるだろう。


 選択肢は2つ。

 1つ目はこの白い少女と二人でベルベット領都へ行くこと。この場合荷物を回収することは絶望的だろう。しかしやたらと強いこの少女とともに行動出来るので、命の危険は少なそうだ。

 2つ目が、この少女にベルベット領都まで助けを呼びに行ってもらうこと。これなら荷物を盗まれる可能性は少ない。そのかわり自分の命があやういが。

 ニコラは荷物の価値を計算し始め……途中でやめてため息をつく。

 2つ目の選択肢を取れるわけがない。命が無くなれば、金など無意味である。しかし反対に言えば、命さえあれば金などいくらでも稼げるのである。

 着の身着のまま無一文、ゼロからのスタート。ドンとこい。ニコラは自分の両頬をパンと叩いて気合を入れる。絶体絶命の状況から命が助かったのだ。それだけで十分すぎる。

 とにかく生きたままベルベット領都にたどり着くこと。全てはそれからだ。


「うっし、それじゃユーリ。ベルベットまでがんばって歩こう!」


 ニコラは気合を入れて、右足を引きずりながらも一歩目を踏み出す。が、


「あれ、荷物はいいの?」


 ユーリが馬車を指差す。出鼻をくじかれた形のニコラはため息をつきながらユーリに言う。


「馬がいないんじゃどうしようもないでしょ?勿体ないけど諦めるのよ。命にはかえられないから」


 ニコラの言葉に、しかしユーリが首をかしげる。


「勿体無いなら持っていこうよ」


「だからその手段が……」


「僕がくよ」


くって、あんたねぇ」


 何を言っているんだこの子供はと頭を振るニコラをよそに、ユーリは馬車まで行き、馬に繋がれている手綱を外し馬の遺体をどけた。


「なっ!?」


 毎回の戦闘技術の授業でグラウンド百週、いやナターシャの不足分を走っているユーリの身体強化は練度が上がっていた。

 また、無茶なランニングとその後のエマの治療の繰り返しで、筋力もかなりついてきており体も丈夫だ。馬程度の重量ならば、軽々とは言わないがなんとかなる。全身の力を使えば、馬車を牽くことだって可能だ。

 ユーリは自分の腰に手綱を結んで姿勢を低くし、力強く踏み出した。


「うそ……」


 荷物満載の馬車が、動いた。


「うん、いけそう。ニコラも乗っていいよ。その足だと大変そうだし」


「乗るって、でも……」


「足、痛いでしょ?それに乗ってくれたほうが速いし」


 ニコラは逡巡しゅんじゅんする。

 ユーリが問題ないと言っているのだから、乗っていくのが一番良いのだろう。足だって3時間も歩けば痛いし悪化するに決まっている。

 しかし、その、絵面的にまずいでしょそれは……とニコラは思うのである。

 荷物満載の馬車の御者台に乗り、腰に手綱を結ばせた幼女に牽かせるなど、第三者から見れば自分が極悪非道の人格異常者に見えること間違いない。もし自分がそんな光景を見たらすぐに憲兵のもとに駆け出すに決まっている。


「早くしないと日が暮れちゃうって。あ、もしかして痛くて歩けない?」


 いつまでも乗ろうとしないニコラに何を思ったか、ユーリはニコラを抱きかかえると、そのまま御者台にポイッと載せた。


「キャッ!」


 らしくない女性らしい悲鳴をあげ、ニコラは思わず手で口を覆う。


「それじゃ、出発!」


 仲間が増えて心強くなったユーリは、グッと力を入れて馬車を牽き始める。ある程度勢いがついてしまえば何てことはない。馬車は軽快に走りだした。



 西の山に日が沈みきり、周囲が暗くなる少し前に、ユーリ達はベルベット領都北門にたどり着いた。

 ユーリはギルドカードを、ニコラは行商人証明証を提示してベルベット領都に入った。小さな子供が馬車を牽くという光景に、荷物検査がやたらと入念だった気がするが、結果としては問題なく通行できた。


「うーん、どこだろう、ここ」


 ユーリは見たことのない景色に首をひねる。


「どこって、あんたここから来たんじゃないの?」


「ううん。僕が出発したのは東門だもん。こっちに来るのは初めて」


「どれだけ迷ってたのよ……」


 ニコラはユーリの無鉄砲ぶりに呆れた。


「どっちに行く?」


「とりあえず馬屋にお願い。流石にいつまでもあんたに馬車を牽かせる訳には行かないから」


「はーい」


 ギョッとしてこちらを見ている人に場所を聞き、近くの馬屋まで行く。ニコラは商人らしく、値切りに値切った末に一匹の馬を手に入れた。


「ユーリも隣に乗りなさい。せめて目的地まで送って行ってあげる」


「ありがと!」


 ユーリはぴょんと狭い御者台に、ニコラとくっつくように座った。


「で、ユーリの家はどこ?」


「今日の分を納品しないとだから、冒険者ギルドまでお願い」


「あんた本当に冒険者だったのね。了解」


 途中道を聞きながら冒険者ギルドへと向う。何気ない会話をしながら、ニコラはまたも頭の中で金勘定をしてた。

 ユーリへの謝礼についてである。

 ユーリはあの時、ニコラを助けてくれた。ユーリの力があれば、ニコラが狼に食い殺されるのを待った後に、馬車だけを持っていくことも出来たはずだ。

 しかしユーリはニコラの命を救ってくれた上に、ニコラが一度諦めた荷物を全て運んできてくれた。正直な話、荷物全てを謝礼として寄越せと言われても仕方が無い。

 荷物全て。仕入額で五十万リラはくだらないだろう。どれもが王都エルドラードで仕入れたベルベット領土ではあまり出回らない物である。当然価値は五十万を超えている。

 道を教えてあげた分を差し引いて二十万リラほどで手を打ってくれないだろうか……いやいや、道を教えてあげただけで三十万リラなんてふっかけすぎにもほどがある。自分は命を助けてもらっているのというのに。

 しかし惜しいものは惜しい。幸いユーリは物の価値も分からなさそうな小さな子供だ。もしかしたら十万リラほどを謝礼として提示すれば、すんなり納得してくれるかもしれない。

 いやしかし命の恩人に対してそれはどうなのか。

 先ほどゼロからのスタートだと意気込んでいた姿はどこへやら、命が助かったとあればすぐに意地汚い商人となっているニコラである。


「あっ! 冒険者ギルドだ! よかったー! ちゃんと帰れた!」


 結局ニコラの中で結論が出ぬまま目的地に到着してしまった。


「ありがとうニコラ! ここで大丈夫!」


「あ、そ、そう。そうね。あの、それでねユーリ、助けてくれた謝礼についてなんだけど……じゅ、ご、5万リラでどうかしら!」


 汚い。さすが商人、意地汚い。自分の命が五万だと言っているようなものである。

 咄嗟に口から出てきた五万リラという言葉に、ニコラは自分で自分にドン引きしていた。

 しかしそんなニコラの内心などこれっぽっちも察していないユーリはあっけらかんと言葉を返す。


「え? いらないよそんなの。それよりも道を教えてくれて助かったよ! 本当にありがとう! これ、お礼に食べて!」


 なんと、ユーリは謝礼を受け取るどころか、グミの実を小さな手でいっぱいに掴んでニコラへと渡したのだった。

 損得なんて考えてない、ユーリの小さな手で掴める精一杯を。ニコラへの感謝の気持ちも精一杯に詰め込んで。

 慌ててニコラは両手でそれを受け取った。赤くてツヤツヤとした宝石のようなそれが手のひらで転がる。


「じゃあねニコラ、会えて良かった! 商売うまくいくといいね! ばいばーい!」


 ユーリは御者台からピョンと飛び降りると、ニコラの返事も待たずに冒険者ギルドへと入ってしまった。

 ニコラは呆気にとられたまま、グミの実を一粒口に入れる。


「甘酸っぱい……」


 見返りを求めないユーリの無垢な良心と、金のことばかりを考えて命の恩人にさえ謝礼を躊躇う自分の醜い心。その2つを比べてしまってほろりと涙が溢れる。

 小さな博愛者に恥じない立派な商人になろうと心に決めたニコラであった。


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