第021話
「駄目に決まっているだろうが阿呆」
エレノアに魔法素材を聞い次の日の夕方、ユーリは教官室にいるオレグの元に鑑定水晶を貸して欲しいと頼みに来た。結果は冒頭のとおりであるが。
「え? どうして?」
「心底理由が分からないという顔をするな阿呆が。当たり前だろう。反対にどうしてすんなり貸し出して貰えると思ったんだ阿呆。鑑定水晶が貴重で特別な物だと分からんのか。一般教養で百点を取ったことが疑わしくなる阿呆だな」
「4回も阿呆って言われた……」
今まで頭がいいねと褒められたことしか無かったユーリは、小さくないショックを受けていた。
「え、でもでも、鑑定水晶って何回使っても何か減ったりしないんでしょ? 鑑別式が始まってからただの一つも壊れたこと無いってくらい丈夫なんでしょ? それに学園にある鑑定水晶は入学試験の時にしか使わないんでしょ? だったら貸してくれてもいいと思うんだけど」
「減らないし壊れないからといって貴重で希少なものをホイホイ人に貸す阿呆がいるわけないだろど阿呆が。『今のところは』減る様子もなく壊れたこともないだけだど阿呆。使用頻度が少ないことが貸しても良い理由になるかど阿呆」
「ど阿呆になった……」
悲しむでもなく怒るでもなくユーリは呆然とした。正直、自分でも頭がいい方だと思っていた。そこに阿呆の連打である。
「分かったらさっさと帰って寝ろ」
オレグは取り付く島もない。ユーリの方を見もせずにシッシッと手で追い払う。流石にオレグのそんな態度にユーリが反撃する。
「……てに…………のに」
ユーリがボソリとつぶやいた。
「なんだ? 言いたいことがあるならはっきり言え」
「自分は勝手に拝借して使ってたのに」
「……」
ユーリの言葉にオレグが黙る。確かにユーリの言っている通りである。オレグは学園の鑑定水晶を勝手に拝借し、それがばれてしこたま怒られたのである。
しばらく目を瞑って考えた後、オレグはひとつ咳ばらいをして言った。
「納得行かないのは分かる。だが駄目だ」
「だけど……」
「駄目だ」
「むぅ~」
出てきたのは否定の言葉であった。大人というものは往々にして理不尽なのだ。
「ノエルぅ〜」
ユーリは近くにいたノエルに助けを求める。目があった瞬間にノエルは『しまった!』とでも言うような顔をした。
「あー、その。ユーリ、決まりは決まりだ。ちゃんと守らないと駄目だ」
「ノエルに服脱がされたっていう」
「そ、それはやめなさい!」
かなり沈静化しているとはいえ、ノエルロリコン疑惑はまだくすぶり続けている。それに加え、最近一部の女子生徒から恋愛感情とは別の、何かねっとりとした熱い視線を向けられているノエルである。これ以上余計な火種は起こしたくない。
「ユーリ、嘘をつくのは良くない事だ」
「……何で嘘って分かるの? 嘘だっていう証拠はないもん」
そう、冤罪は冤罪と証明できなければ罪なのだ。教官室に来ていた女子生徒の視線がノエルにまとわりつく。鳥肌が立った。
「あー、えっと。オレグ教官。その、鑑定水晶、少しだけ貸してあげたりとか……」
ノエルの言葉にオレグが冷たい視線を返す。
「お前まで何を言っておる、阿呆」
阿呆が二人に増えた。
「いえ、ですが、鑑定水晶は学園の持ち物ですし、オレグ教官の意見だけで決める訳には……」
オレグは大きく長くため息をつく。
「だったら学長に交渉してみろ。私は知らん」
「分かった!」
ユーリは勢いよく駆け出す。向かう先は学長室である。
◇
「鑑定水晶の私的利用は禁止されておるのぅ」
残念ながら学長からの回答も否であった。
「どうしてもだめ……?」
「うーむ、流石に特例で認めるという訳にもいかぬのぅ」
「そっかー……」
一歩目から早々の挫折である。
「それにしても、鑑定水晶を何に使うつもりなんじゃ?」
ユーリは自分の仮説を説明する。
「オレグの研究書にね、ナイアードのいん……髪の毛が水晶に触れたとき、青色に光ったって書いてあったの」
「ほう……それは初耳じゃ」
「もしかしたら鑑定水晶に魔法素材が触れると、何かしらの反応をするのかなと思って。それを取っ掛かりに研究しようと思ったの」
ユーリの言葉にヨーゼフはなるほどと顎髭を触る。
「おもしろい着眼点じゃな。しかし、だからと言って許可を出すわけにはいかんのぅ」
「そっか……」
ユーリはシュンと俯いた。
失礼しました、と消えそうな声で言い学長室から出ていこうとするユーリ。その背中を見て、ヨーゼフは引き止めるように咳払いをする。
「こほん、あー。これは独り言なんじゃがな」
ユーリが振り向く。
「もちろん、鑑定水晶の私的利用は禁止されておるし、許可もなく用具室に立ち入ることも禁止されておる。しかしの」
パチリとユーリに向けて片目を閉じた。
「不思議なもので、禁止はされておるが、罰則があるわけでもない。しかも鑑定水晶などは年に一度、入園試験のときにしか使用せぬ。誰かがこっそりと持って行っても、試験のときに返してあればバレるはずもない」
ヨーゼフは学長室の窓際の椅子に深く腰掛ける。
「歳を取るとすぐに眠くなるのぅ。小一時間ばかり、昼寝するとしよう。ポケットの鍵が邪魔じゃから、机の上にでも置いておくかの」
ローブのポケットから鍵の束を取り出し、サイドテーブルにおく。ひとつだけ、用具室の鍵を取り外して。
ヨーゼフの言いたいことを理解したユーリは、頭を下げて小さく言う。
「ありがとう」
「コホン、独り言じゃ、独り言。老人の独り言じゃよ」
ユーリは用具室の鍵を手に取り、用具室へと走っていった。