第017話
「はい。紅茶でも飲んで落ち着きなさい」
「ぐすっ……ありがと……」
ナターシャは紅茶を入れたティーカップをユーリの前に置き、どうしてこうなったのかと内心でため息をついた。
魔法実技でオレグに理不尽に怒鳴られた後、ワンワンと泣きじゃくるユーリをどうしていいか分からず、ナターシャはなし崩し的にユーリの部屋に来た。そして何もない部屋に呆れ、女子寮の自分の部屋から茶器を持ってきて紅茶を淹れ、ユーリに注いであげて現在となる。
なんで私がこんなことを……とは思いつつも、見捨てることが出来なかったのだ。目と鼻を赤くし、泣きじゃっくりをしながら紅茶を飲む見た目は美幼女のユーリに、本当にこの子は同い年なのかと疑問に思う。
もっとも、ユーリの言動が幼いのもあるが、どちらかといえばナターシャが大人びすぎているのであるが。
「あなた、本当に適性が無いのね」
「……うん」
「どうして魔法学園に来たの?」
「……魔法が使いたかったから。使えるようになって、家族を安心させてあげたかったから」
ナターシャはユーリを見る。
小さな身長に可愛い顔。髪は白髪と珍しいが、それがユーリの可憐さをより引き立てているように思う。
好奇心旺盛な黒い瞳は、今は悲しみに濡れている。
コロコロと良く変わる表情。泣きたいときには泣き、楽しければすぐに笑う。真っ直ぐで素直な子供だ。
一方自分はどうか。
領主と妾の間に産まれた不要な子。それが自分である。幸福は少ないが、それでも人並み以上に贅沢な暮らしを与えられた。大きな屋敷、広い部屋、高級なベッド。毎日三食は当たり前で、午後のおやつだってある。
四重属性が発覚してからは、王位継承争いをしている派閥から目をつけられ、伏魔殿と化した王宮で気の抜けないときを過ごすことも儘あった。
ある時から急に病弱になったこの身体も、あの伏魔殿で一服盛られていたのでは無いかと今では思う。
贅沢で、高級で、そして不自由な暮らし。性格がねじ曲がるのも仕方が無い。
そんな気苦労の絶えない生活から抜け出すためにこの学園に来た。治外法権のこの学園に。
ここでは権力に守られることはない。しかし、権力に殺されることもないのだ。そして継承争いが起こっている中での入園。実質の継承権の放棄である。
権力争いの中で歪に育った自分と、何もない田舎でのびのびと育てられたユーリ。本当に正反対だと思う。
育ちも産まれも境遇も。
可愛い男の子と可愛くない女の子というところまで正反対だ。ナターシャはそんなふうに思う。
真っ直ぐに愛されたユーリには、こんなふうに理不尽に否定されることは少なかったのだろう。
理由の分からないオレグからの拒絶で悲しみくれるユーリ。慰めてあげたいとは思うが、ナターシャにはうまく人付き合いをやっていくスキルなどない。
なんと声をかければいいかと考えていると……
「はー、まいっかー」
カランと乾いた声でユーリは言った。
まだ涙の残っている瞳をグジグジと真新しい制服の袖で拭う。
「まいっかって、あなたね……さっきあなたの今までの頑張りをすべて否定されたのよ?」
ナターシャにはユーリの思考が理解できなかった。自分の全てをとことんまで否定されたのだ。大泣きしてはいたが、まだ一時間も経っていない。立ち直るには早すぎる。
「たくさん泣いてナターシャとお話したらスッキリしちゃった」
この立ち直りの速さこそ、ユーリの長所である。
がむしゃらに向かって行って、壁にぶつかって、折れて、とことん泣いて、スッキリして立ち上がる。そしてまたユーリはがむしゃらに立ち向かうのである。
「それで、どうするの? もう魔法は教えてもらえないけれど……」
「え? どうして?」
「どうしてってあなたね……さっき怒鳴られたこと、もう忘れたの?」
この子はアホなのかしらとナターシャは額に手をあてて呆れた。
「もうオレグ教官はあなたに魔法を教えてくれないのよ?」
「また頼みに行くよ。だって僕は生徒で、オレグは魔法の教官だもん。教えてくれなきゃおかしいよ。もし駄目だったら学園長に言いに行く。それでもだめなら他の魔法技術の先生に教えにもらいにいく。それでもだめなら上級生の魔法得意な人に、だめなら同級生に、ベルベット領都の魔法部隊の人もいるし、魔法が使える冒険者だっている。全部駄目だったら自分で勉強するよ」
今度はそうそう折れない。異常なほど強くなって先へ進む。
もうユーリの瞳に悲しみは一欠片もなかった。あるのは真っ直ぐに貫く硬い意志の光だ。
ナターシャは思わず彼の瞳に見入ってしまった。その瞳がナターシャに向けられる。
「ぁっ……」
何故かドキリとした。
「ナターシャ、ありがとう。ナターシャのおかげで立ち直れた!」
真剣な瞳から一転、嬉しそうな表情のユーリ。
「私は、何もしてないわ」
「そんなことない! すごく嬉しかった!」
ユーリはナターシャの手を握る。
そして、しどろもどろに言う。
「それで、その、せっかくだからっていうか、お願いなんだけど……」
「……なによ」
「あの、僕と、友達になって欲しい……」
何を言うかと思うと、そんなことだった。
大きくため息を一つ。
「はぁ、良いわよ別に。友達でも何でも」
「ほんとに!?やったー!!」
はしゃぐ、はしゃぐ。
そんなユーリを見てナターシャは呆れる。
友達が出来ることがそんなに嬉しいのか。たかが友達。ナターシャはその時そんな風に思っていた。
ナターシャはまだ知らない。そしていずれ知ることになるのだ。
ユーリにとっての『友達』の重さを。